仙台にきた。

明日からここで仕事。

深沼海岸まで行った。
基礎だけ残った家がたくさんあった。
瓦礫は大半片付けられてた。
すごくいい天気で、海は穏やかだった。
ところどころ積まれた漂流ごみから、
津波の影は感じなかった。
彼岸の火事だから?
他人事だから?
感受性をなくしたから?

テレビで見たあの光景を実際目の辺りにして、
自分が何を思うのか、何を感じるのか、
それが知りたくて、早めに家を出たけど、
仙台駅周辺の、東京と何もかわらない街並み以外
何も想像をこえるものはなかった。

ここでたくさんの人がなくなったり、
たくさんの人が大切な人やものや夢をなくしたことを思うと、
今日を無駄にしちゃいけない、
自分の恵まれた環境をもっと大切にしなくちゃいけないって思う。

ビーチは生き返ってた。


$Hamapy Style

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明日から5日間仙台に出張に行きます。というかもう今日か。

震災後、被災者支援のため石巻へ行った同僚に、
今回僕が仙台へ行くことになって、
津波の被害を目にすることになるかもしれないことが
少し怖いという話をしたところ、

新幹線で仙台へ行くだけなら、震災があったことすら分からない。
おまえがあの場所を見たくないという気持ちも分かるけど、
これはすごく大切なことだから、少しでも時間を作って海岸
方付近をみるべきだって言われた。

今回の震災まで、津波はあくまでTsunamiだった。
死とか、瓦礫とか、そういうことを津波という言葉から感じたことはなかった。

昔、一日中波乗りのことばかり考えてた僕にとっては、
まったく別の、憧れっていうか切実ていうか、非日常というか、
圧倒的パワーのGround Swell、みたいなイメージしかなかった。
当時日本で一番売れてた波乗りDVDのタイトルも Tsunami Calling、だったし。

被災した方の前で、家族や友達、大切な人や場所をなくしてしまった
方の前で言う勇気はないけど、今までずっと、僕は海に感謝して生きてきた。
宗旨を問われたら、サーフィン自然教て答えられるくらい、海は僕にとって、
本当にSpiritualで、自然で、やさしかった。ぼくなりに、怖さ、厳しさ、力強さ、
自然を前ににした人間の小ささをも海から学んできた。

明日、今日か、テレビで何度もみたあの光景を実際に目にしたら、
いったい何を思うのだろう。




5才までほとんど意味のある発語をしなかった僕の息子は、
3才のときに広汎性発達障害との診断をもらった。

その後は順調に成長し、最近うけた検査では知的な遅れは見られない
との判定だった。

暗譜ができたり(5才からピアノ教室に通っている)、
Wiiでゲーマーなみの腕を見せたり、
教えてない負の数の計算がいきなりできたり、
県庁所在地とかそういうの暗記したり、
ゲームやパソコンでよく目にする漢字や英語の意味が分かってたり、
道を覚えたり、

僕よりうまくできることがたくさんある。
カーナビの操作も僕より早くて正確。
ルート消去とか、過去の履歴から行き先を設定したりして、
方向音痴の僕を助けてくれる。

割り算とかも年齢の割にはできる方だし、
時計を正確に読めるようになったのも平均よりかなり早かった。

でも、
こと言葉(口語)に関しては、フツーの人の何倍、何十倍も努力しないと
使えるようにならない。

ハルは基本負けず嫌いなので、できるべきなのにできなかった、
という状況を嫌う。
もういいよ。やめよって言っても、とりあえずもう一回やり直そうとするし、
ハルのなかでたぶん単なる記号でしかない言葉の使い方を覚えるために、
何度も何度も同じ質問を繰り返して、こちらの返答のしかたを確認してる。
たまにうっとしいけど、ハルにとって言葉とは、たぶん僕たちにとっての
ネコ語みたいな感じて、おそろしく難解なんだろうなって思ってできるだけ
つきあうことにしてる。
それでもたまに「うざい!」と思うときは、「ハル君もうそのお話はおしまいね」
て言ってあげると、それ以上繰り返すのをやめてくれる。

3年生になる今でも、ほとんど毎日(といっても休みの日くらいしか会えないけど)
ハルがあたらしく使い始めた言葉をきくことができる。
今日は動物図鑑を運びながら、「おもっ」とか言ってた。


昨日ハルとプールに行った。遊ぶプールじゃなくて、泳ぐプールのほう。
ハルは1才になる前、一時ベビースイミングに通っていたんだけど、そのときは
顔を水につけたり、ヘルパーをつけて泳ぐまねができたりしてた。
引っ越した関係でその水泳教室には通えなくなってしまったけど、その後も
水遊びは何より好きで、夏の休日の行き先の大半は水があるところと決まってた。

でも1年生になるころから、顔を水につけることを嫌うようになってしまい、
水泳を教えることが今までできなかった。
僕もハルと同じく水が大好きで、20代のほとんどを、オーストラリアシドニーの
海辺で過ごしたし、ハルが生まれてからも、1年間だけ茨城県大洋村の海の目の前の
家暮らした。水泳は小学校の代表選手だったし、選手としてではないけど、高校まで
つづけた。アルバイトでスイミングスクールで子供教えたこともある。

ハルとは何度も波で遊んだし、TAZAていうけっこうやばいプールで浮き輪にのりまくったり、
日が沈んだあとのホテルのプールでいつまでも大騒ぎしたこともある。
そのときは頭を水に入れられたけど。水中写真をとりたい一心で。

とにかく、ハルと水で遊んだ思いでは本が何冊も書けるくらいたくさんある。

僕にとって水とは、心を癒してくれる大切な場所で、別に泳ぐためのものではない。

サメの恐怖に怯えながらビーチから隣のビーチまで、単独で岬を回って泳いだこともあるし、
Baliではカレントに流され、アウターリーフで波乗りしているサーファーを待っている
ボートに助けられたこともあるでど、どうしていいか分からないくらい深刻な状況のときは、
いつも海に助けられた。

ピンク色に染まった風のない静かな波に浮かんでいるだけで、人は海から生まれたんじゃ
ないんだろうか、なんて感じてた。ただただうれしくて、しあわせて、微笑みがこぼれっぱ
なしで。

泳げるとか泳げないとかは大して重要じゃないんだけど、
できないことに挑戦するハルを見てたら、ついムキになってしまった。

今年学校のプールの授業でほめられたハルは顔を水につけることに自信をもってた。
先生にほめられたケノビも見せてくれた。でも、息を長く止めておくにはどうすればいいのか、
呼吸をとめるとはどういう動作のことをさすのか、そもそも、息を「吐く」とか「吸う」
とかの言葉の意味を理解していないことがすぐに分かった。

「息を吸う」吸うためには「息を吐く」という、僕たちにとってとても簡単に思える言葉の説明
が、ハルにとっては難しかった。ハルの手をとって息を吐いたり、指を吸ったり、キャンドル
の火を吹き消すことや、シャボン玉のやりかた、ヤクルトの飲み方、考えられるあらゆる例を
あげて口で説明したけど、やはり理解してもらえなかった。

水の中で快適に過ごすためには、息を止める必要がある。といった簡単な事を説明するのに
ヤクルトをストローで吸う話までしてる自分にいらいらして、ハルになんの責任もないこと
を分かっていてもやっぱりムカついて、もう今日は帰ろう!て不服そうなハルを無視しして
プールを後にした。

帰りの車の中では二人ともとても気まずくて、家に着くまで一言も話さなかった。

家に帰ってタバコすったら、すーとムカつきがどこかに消え、すぐにハルと息を吸う、吐く
のワークショップをした。まずは「吸う」「吐く」を漢字と顔とか空気、シャボン玉、ストロー
の絵を描き、言葉の説明から始めた。

ハルみたいな、自閉症と診断される子供の特徴のひとつに、
耳から聞く言葉に意味をみいだせなくても、書かれた文字は意味を持って理解しやすいっ
ていうことがある。
これはハルにも当てはまって、なるべくしないようにしてたけど、1年生くらいのときは、
言っても分からないことを書いて分からせる、みたいなこともしてた。

そのあとは、実際にキャンドルの炎をけしたり、ビニール袋でスーハーしたり、紙ふぶきを吹き
飛ばしたりすることで、「吐く」と「吸う」とういう言葉の意味を伝えた。

体から外に出すことが「吐く」で
体の中に入れることが「吸う」というふうに理解してくれた。すばらしい!


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