茅野市政60周年記念講演会
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小平奈緒選手の挨拶

皆さんこんにちは。
まずは茅野市政60周年、誠におめでとうございます。
そしてこの記念日に茅野市民栄誉賞を受賞する事ができ、本当に光栄に思います。
また、それと同時に沢山のプレゼントを頂き、沢山の応募の中から私の名前の付いた、えー、名前の、愛称の付いたスケートリンク、ん?スケートリンクのすみません。
私が幼い頃から地元で滑ってきたスケートリンクの愛称が、えー、私の名前の付いたものになり、本当にあの、心から大きなプレゼントを頂いたような気持ちで本当に嬉しく思います。
えー、そうですね。こんなに…
えー、こんなに自分の名前に誇りを持てる日はありません。(涙声で…)すみません。
そうですね、あの、奈緒という名前を付けて下さった両親と、その私を育てて下さった、えー、地域の…えー、茅野市民の皆さんに本当に感謝したいなと思います。
えー、ありがとうございました。
ちょっと30歳過ぎると涙もろくなってしまうので…すみません。
あの、でも本当に皆さんに支えて頂いて私が頑張れるという事なので、この私の頑張りが、またこれからの子供たちに伝わると良いなと思っております。
本日はどうもありがとうございました。
(会場拍手)

市政施行60周年記念講演会

小平選手、そして結城コーチ。今日は本当にあのお忙しい中、お越し頂きましてありがとうございます。

皆さん、夏っていうとまだスケートは遠いって思う方が多いかと思いますけれども、じつは2018年度、今シーズンに向けての戦いがもう始まっています。

今日ももうこの後、これが終われば北海道に行かれます。

そうゆう中で、本当にあの8月1日というある意味、スケートのシーズンからいうと厳しい時に来て頂きました。本当にありがとうございます。

当初は小平奈緖さんにしっかりと講演をしてもらおうかなって思ってたんですけれども、どうもあの小平選手、根が真面目ですので私と似て(会場笑い)

ここで30分喋ると一週間はそのことが頭から離れない。ということで、練習が思うようにならんと、これはなんとかしてくれって結城コーチから言われましたので、皆様にとりましては大変あの、不満だろうと思いますけれども、私があのちょっとコーディネイトしていただき、かえってリラックスした奈緖さん、そしてまた勇気コーチの普段は聞けないお話を聞ければ良いな。と思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

はい、じゃあ早速進めて参りたいと思いますのでよろしくお願いをいたします。

 

平昌オリンピックから半年が経過をいたしました。

まあ、オリンピックで金メダリストに輝いたっていうことは、やはり今までと、銀メダルはね、獲ってあったり、ワールドカップで優勝したり、スプリント選手権で優勝した利っていうのはあったと思うんですけれども、やはりオリンピックの金メダリストになったという、まあ頂点を極めて自分の中でこう、変わったものとか見えてきたものとかはそんなものはございましたか?

 

そうですね。あのオリンピックを終えて本当に地元にこうやって帰ってきても沢山の方々の笑顔を見ることができて、あ、そのオリンピックの影響力って凄かったんだなっていうのを実感しましたね。

その中でやはり私にはまだやりたいことがある!って思いがあったので、またあの皆さんの応援の輪が広がった中でまた私自身も頑張ろうという気持ちに今、させていただいてます。はい。

 

もうちょっと突っ込んで聞くと、やっぱ金メダリストになった。もう本当にね、オリンピックレコードで天辺に立ったわけですよね。やっぱ山もそうだけど、頂上に立たないと見えない世界ってあるじゃないですか。だから奈緖さんの中で金メダリストっていう頂上に立ったことで今までとは違うなっていう、そんな世界ってありました?

 

そうですね。まああの結果だけ見れば頂点に見えるのかもしれないんですけども、よくあの私が結城先生に言われていたのは、「上には上がいる」と、「先には先がある」ということで、まああのオリンピックの金メダルという結果は残すことが出来たんですけども私にはまだ可能性があるので。

あの、そういった意味ではまだ極めきれてないな!という思いがあるのでそういった中であの結城先生とまた積み上げていきたい事があるなという思いです。はい。

 

凄い答えですよね。(会場拍手)

改めて奈緖さんの凄さを感じたところですけども、結城コーチから見て、まあそのね、金メダリストになった前と後、みたいなところで何かお話していただけますか?

 

皆さんこんにちは。あの茅野市市政60周年記念おめでとうございます。

あの私がノコノコ出てきてちょっと不満もあるかと思いますが、なるべく長く喋らないようにしたいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします。

な、何でしたっけ?(奈緖さん含め、会場笑い)

 

あの、金メダリストになって奈緖さんに何か変化というか変わった部分というか、ございました?

 

まああの金メダルを獲る前からですね、その金メダリストになる相応しいその力が、力と素養があるのかな。というのを、まあずーっと13年間イメージしながらやってまいりました。

例えば、ご飯食べてる時に、そのご飯の食べ方は金メダリストの食べ方ではないね。みたいな言い方を、あの高校出たての小平にしたり。

で、まああのそういう風にして見ますと、まさになるべくして金メダリストになったのかなと。特に大きな変化はあまり感じないくらいもう相応しい金メダリストだなという風に思います。

 

はい。今のコーチのコメントで良いですか?

 

そうですね。まああの昔はそうゆう金メダリストに相応しくない選手だったところから、こうまあ結城先生と出会って、またあの、色んな周りの方々に本当に育てていただいたので、まあその中で皆さんに鼓舞されながらその相応しい人間っていうのを育てていただけたのかなと思っています。はい。

 

はい。やはりあの、先ほどね、まだ私には目指すものがあるっていうことでございますので、ここで満足せずに更に上を目指すということ私たちもしっかり応援をしていきたいと思います。

で、今ね、奈緖さんと結城コーチのこう見てると本当に固い絆といいますか、師弟関係で結ばれてるなと思うんですけども、まあ結城コーチは信州大学の先生であった、その前からきっと何かこう思うものがあったというかね、結城コーチに教わろうって思うものがあったんだろうと思うんですけども、結城コーチをこう、師として仰ごうと思ったその時期だとか、どうして、そんなとこぶっちゃけた話していただけます?

 

そうですね。あの私が最初に結城先生を知ったのはちょうど長野オリンピックの、あの先ほど紹介にもあったように特別講師という形で清水宏保さんとかに関わっている先生の存在を知って、まあその当時はまあコーチということですよね?(結城先生に尋ねる)で、あのまあそこから4年くらい経ち、中学3年生くらいの時に、そのコーチが信州大学で学生を教えているということで、その学生が凄く1年で伸びたっていうのを目の当たりにして中学校3年生の時に、将来は信州大学に行きたいな。っていう風な気持ちを抱きました。はい。

 

信州大学というよりも、結城コーチの元に行きたいなと?

 

そう、ですね。(少し苦笑しながら)まああのその当時から将来は教員になりたいという夢もあったので、教員になりたい夢も叶えられて結城コーチという何かスケートのことを凄く一生懸命研究している先生がいるっていう、まあその人の元で学びたいっていう思いが強かったので、その二つがその場所にあるっていうことで、そこでどうしてもやりたいと思って、はい、頑張りました。はい。

 

と、奈緖さんは言ってまして、もう結城コーチ、結城先生にある意味惚れて信州大学の門を叩いたわけでございますけども、コーチから見てどうでした?

 

はい。えーっと、もう目がギラギラしていまして。強くなりたいっていう気持ちの塊ですね。普通こう、ちょっとこう課題を見つけて話をすると割とこう、跳ね返って来たりですね、つまり反発があったり、えーまあ、あるいは自分のポジション、私は日本で何番目位の選手っていうのをちょっと決めて入ってくる高校生って結構多いんですが、そうゆう所が全く無くて、もうその、課題に対して、もうどんどんこう、乾いた土に水が吸収するかのように日に日に変わっていく様子がですね、特に1年目は鮮明に覚えてますけども、はい。

それと後はやっぱり中学、高校で沢山の練習が出来る体力を付けて入学してきてくれましたので、あの本当、もうやめなさい!と言ってもですね、ちょっと油断してるとまだ滑ってるっていうのでもう何度も注意するくらいですね。ちょっと他の選手とは違う注意の仕方をするくらいの本当にやる気の塊で、ええ、そこにまず最初、素晴らしいなという風に感じました。

 

まああの奈緖さんね。中学2年生の時に全日本ジュニアっていう、大学1年生くらいまでの、以下の大会があって、そこで中学2年生で大学生も相手に優勝してるんですよね。この茅野のリンクで大会があったわけですけども。

私は正直、その頃から奈緖さん凄いなって思ってたわけですけども、まあそういった何ていうのかな?栄光の歴史、栄光と言いますか歴史がある中で結城先生の元に行った、ということは更に自分の滑りを高めようっていう思いで行ったと思うんですけども本当にあの、結城コーチ、その時、奈緖はものになるって思いましたか?

 

いや、正直あの、名前は知ってたんです。あの沢山大会記録持ってる子がいるなっていうのは知ってたんですけど、どの子が小平奈緒なのかは正直こう、沢山滑ってる中で私の眼鏡の中にはちょっとまだ分からなくてですね。

あのまあ高校3年生くらいの…2年生の時に少しね、滑りを注目して見せてもらったんですけど。まあ3年生くらいになってあの、まあ沢山お誘いを頂いた中でもうちに挑戦してくれるということだったものですから、その辺からはもうずーっと、もし入学出来たらどうゆう所からこう、課題を見つけて行こうかなという、まあそんな目で見ていました。

 

はい。信大に入って結城コーチの元でしっかり練習を積んでどうでした?

 

そうですね。その当時はあのまあ国体で優勝出来たり、インターハイで優勝出来たりっていう形で信州大学に入学したんですけれども、あの中学2年生で全日本獲ったりっていうので、ですけれども、私はまだ何もスケートの事を知らないな。っていう思いでいたので、とにかく、あの何て言うんですかね、スケートが上手になりたいっていう気持ちを持って信州大学に入りました。

でも、あのスケートの知識っていうのをその深く教わる、教わるというか、一緒に考えてくれる人に出会うのがたぶん初めてだったので、あの、またその先輩たちもそのチームの中にスケートの知の流れがあったので、そういった中でスケートを学ぶっていう環境がもう楽しくて楽しくてしょうが無かったですね。はい。

 

今の言葉も凄いですよね。スケートを学ぶ。普通、スケートを練習するって表現は使うけども、スケートを学ぶって、これ結構凄い言葉だなって思って、その思いがきっと金メダルに繋がったんだろうって思いますけども、2010年のバンクーバーの時はもう卒業してたんだっけ?

 

卒業して1年目でしたね。はい。

 

はい。で、大活躍をして、で、次がソチ。

で、まあ正直ちょっと思うようにならなかった?

 

そうですね。あの世界の進化が凄まじかったので…自分自身も、私自身も自己ベストは更新し続けていたんですけれども、その世界の急激な進化に置いて行かれてしまっていたっていう現状を、そこで突きつけられた感じでしたね。はい。

 

そんな思いが、オランダへの留学って事に繋がった訳ですか?

 

という訳では無いんですよね。はい。(少し笑いながら)

 

じゃあそこら辺の動機というか、何故オランダかお話いただけます?

 

あのそうですね。あの何度説明してもメディアではその、ソチオリンピックで23個メダルを獲ったオランダが強いからオランダに学びに行ったんだっていう感じのストーリーで流される事が多いんですけれども。

そうではなくて、元々、海外でスケートを学びたいという意識が、まあ大学入ってから芽生えてまして、で、その何時その海外で学ぶかって時期をみた時に、ソチオリンピックが終わった27歳くらいの時が丁度良い時だろうという事で、そのソチオリンピックが始まる前にオランダとしっかりとあの、次の年から一緒に練習出来るように結城先生が向こうのチームと話をしてくれて、で、その願いが叶いました。はい。

 

なるほど。じゃあ、ソチの結果で云々じゃなくてソチの前からオランダには行こうと?

 

そうですね。あの、オランダの強さを学びに行ったのではなくて、やっぱりあの、文化として地域に根付いているスケートをとにかく見て来たい。

それを肌で感じて来たいっていう事の方が強かったので、やっぱりそうゆうものを見て来て何れ、地元のここ(茅野市)に還元する事が出来たり、またあの沢山の地域の子供たちにそうゆう事を伝え、スケートの楽しさというか、そうゆう事を伝えていけたら良いなっていう風に思っています。はい。

 

今の発言も凄いよね。またあの泣けてきちゃいそうですけども、あの…ね、ソチの、まあ苦い経験とかがあって強くなりたくて行ったのかなって大方の皆さんがそう思ってるんだろうって思ってました。もっともっと深い所にあった訳ですよね。

で、コーチからしてみると、そのオランダへの単身留学っていう事に対してはまあどんな思いだった訳ですか?

 

まあ、あの、大学時代から相談を受けていましたので。

で、実は他に他の国何度か挑戦というか、かなりコンタクトした事もあったのですが、まあ1回は叶わずに、もう1回はやっぱり拒否されまして。

で、まあやっと夢を叶えられるなという、小平の夢を叶えてやれるなという思いが一つと、あとまあ正直、あの大学の教員をしていますと自分を超えていく人間がどれくらい育てられるかっていう事が凄く大事だな。っていう風に思っていたので、私の枠の所に留めているのが良いという風に囲うつもりは全くありませんでしたので、むしろ沢山学んできてそれを私も吸収させて欲しいという、そうゆう思いで、あのまあ、「行ってらっしゃい」と言った瞬間は凄く寂しかったんですけど、でもまあ、頑張って奈緖だからたぶん沢山色んなものを持って帰ってきてくれるんじゃないかという思いでした。

 

やっぱし、自分の手元からちょっと離れちゃうのは寂しかったですか?

 

えーとですね。行くと言ったまず成田空港で、「先生、飛行機に乗れそうもありません」っていう電話が来たんですね。

その、ビザを持たないで飛行機乗ろうとして、要するに片道切符で行ったんです。何時帰って来るか決めないで行ったわけですよ。

そうゆう状況では飛行機には乗せられないと。果たしてこれ、行く前からこんな状況でどうなっちゃうんだろ?と思ったらですね、何とアムステルダム空港で「ウェルカム小平奈緒」という花束を持って待ってたというですね、その如何にオランダのウェルカムだったかというところで、もうそれで安心して。

もう後は時々メールのやりとりをして。まあ後はスケートの話がこう吸収あった時はもの凄く長いメールが来るんですけど、そうゆうのを私も勉強させてもらいながら、どうしてだろうね?とか、或いは、こっちで調べてみるね。とか、そうゆうような事でこう、後方支援をしていた感じですね。

 

はい。じゃあ、まあその2年間でしたよね。オランダで。その中でこう学んだ事とか得たもののどんな事、特にこういう事が1番自分の為になったみたいな事はございます?

 

そうですね。もう本当に一人で行ったので、あのまず現地に着いて、チームのスポンサーの車を与えられて、後は合宿地とかそういうのを、まあ直前に知らされて、ここのアドレスに次の日に来いと。次の日の何時に来い。というので、カーナビをセットして知らない土地なんですけど、一人で荷物を全部乗っけて運転するっていうような生活だったりとか、あの、まあオランダもあの、アムステルダムの方とかだと結構英語も通じたり、日本食材屋さんも沢山あるんですけども、そうではない、北の方のあの、ヘーレンフェーンっていう、あのスケートのメッカがある地域があるんですけども、そこはもう本当にど田舎で。もうスーパーもポツンポツンとしかなくて、人かと思ったら羊ばっかりで(笑)

本当にあの、そういった中で生活するのに日本食材を探すのに苦労したりだとか、あとは言葉が最初は分からなかったので、あの、コミュニケーションを取るにはどうしたら良いのかっていうのを最初の3ヶ月、2ヶ月くらいですね。は、凄く悩んで、で元々、人にそういう積極的に話しかけるタイプではなかったので、まあそこら辺からちょっとあの、心をオープンにして人と接するようになったっていうのは凄くオランダに行って収穫が、人、人間として変われたところかなと思います。はい。

 

これはコーチに聞いた方が良いのかなと思うんですけども。

まあ、昨年、2017年で世界スプリントの総合優勝。あのでかいトロフィーそうだよね?役所に持ってきてくれた。

あの、私を訪問していただいたんですよね。去年の5月だったかな。で、その時に私の印象で、あ、奈緖すげー優しくなったな!って思ったんですよ。

それまでは、何かちょっとこう、まだ尖ってるというか、凄い丸くなって優しくなって強くなった。って本当に実感して。

その時に、ああ来年のオリンピックもこの奈緖なら大丈夫だ!って思ったんですけども、そこいら辺っていうのはやっぱりオランダ遠征と何か関係あるんですかね?

 

そうですね。あの、少し神経質な所があったんですよね。

で、先生明日どうしましょう?っていうような事を結構試合前にこう、聞いてきたりする事が多かったんです。

もう帰ってきてからは、「先生、何とかなりますよ」って逆に自分で言うようになって。

あと、試合前のご飯の食べ方が、前はですね、ちょっと大丈夫かな、後で聞くとよく戻してたって言うんですね。

それがもう、今回の500mの時もレースが夜なもんですから、朝ご飯、昼ご飯一緒に食べるんですね。で、私はちょっとですね、何かあの、だいぶ食欲が無くなる感じで、少し緊張モードだったんですけど、これをバクバクって言うと怒られるんですけど、バクバク食べてたんですよね。

 

パクパクですね。(笑いながら)

 

パクパクね。

 

もうその辺りがですから本当にあの、市長おっしゃる通りで、何かこう達観したと言いますかね。考えても仕方が無い事はもうそこにエネルギーを使うのは勿体ないっていう、自分が出来る事だけをするっていうところに、本当にスポットがすぽっと入った感じで。

 

これは…(市長困惑?)

 

笑うところですね。

 

あの、今笑う所だそうでございます。

あのオランダやっぱ単身留学したっていう一つの経験からですかね?どうですか、奈緖さん。

 

どうですかね。まあ、あの、凄く変わったなぁと思うのは、よくあの、バンクーバーの時もソチの時もあの、皆さんと感動を共有したいっていう言葉を凄く使っていたんですけども、果たしてまあそうゆう発言をする中で本当に自分自身集中出来ていたかっていうと、もしかしたらあの、周りを、周りを気にする…何て言うんですかね、周りを気にかけているようであの、周りの人に頼っていたというか、何か自分からちょっと逃げていた部分が、自分と向き合う事に、周りと向き合う事で、自分と向き合う事から逃げていたなっていう部分が確かにあったのかなという思いがありまして。

で、オランダでは本当に一人で自分の中で考えを膨らませたり、自分に問いかけるような生活がまあ、続いたので本当にそうですね、自分自身と向き合った時間が多くなった分、まあ、あの、自分に自信を持つことが出来ましたし、自分に責任も持つことが出来てからは逆にその、周りの皆さんにそうゆう、何て言うんですかね、柔らかな雰囲気を運べるような存在になれるような人間になっていったのかなと思います。

ちょっと上手く説明できないんですけども。

 

そうですね。その思いがこう、周りに優しくなったなって思わせる事になったんでしょうね。

今の話聞いてすごく納得しました。で、奈緒さんはよく、「覚悟を決めれば勇気が出る」っていうフレーズ使うじゃないですか。

私あのフレーズ、私も好きでして。やっぱ覚悟を決めると、腹をくくると後はやるしか無いから勇気が出ますよね。そこらへん…

 

そうですね。あの、まあ、覚悟を決めるというよりは、「覚悟を持つと」っていう風に最近、あの、結城先生と話す中で、いや、決めるではないですよねっていう話をするんですけど、何か覚悟を決めるって言うと、何となく周りから決めなきゃいけないような圧迫感があるんですけど、覚悟を持つと勇気が生まれる、覚悟を持つっていうことは、あの、自分自身が抱くっていうことなので、やっぱり覚悟を持つっていう、その自分自身の中に生まれる覚悟みたいなものが勇気となって、その後の一歩を踏み出すきっかけになるのかなっていうのは常に感じています。

なので本当に最後に決めるのは自分自身だなっていう風に思いますね。

 

覚悟を持つね。決めるのではなくて。

あのまだ、今あの、色んな事に悩んでる人いましたら、ぜひ覚悟を持って今夜から行動していただきたいと思います。はい。

えー、時間もそうそうある訳ではございませんので、ちょっと次の話題に行きたいんですけども、まあ、オリンピック金メダル獲ってきました。

それからこの半年、もう、まあ今日も含めて、午前中もね、一日駅長に引っ張り出されたり、もうね、パレードがあったり、報告会があったり、講演会があったり、園遊会にも行った。マスコミにも、ね、テレビ番組でね、鶴瓶…

 

鶴瓶さんと。鶴瓶師匠と。

 

鶴瓶とね。対談した。もう色んな経験、今までしなかったような経験が沢山あったんだろうと思いますけども、まあ、その一連のこの、オリンピック以降のこの半年を振り返ってどうでしょう?

 

そうですね。本当にまあ、スケート選手だけをやっているのでは中々出来ない体験を出来るっていうのは本当に貴重だなと思いますし、これも、この忙しさも、まあ、おかげさまかな。と思いながら、またあの、こうゆう機会ですね、色んなジャンルの皆さんとあの、出会う機会っていうのをやっぱり自分の学びに変えていかないと、あの、ただのお仕事になってしまうので。あの、本当にその場その場でまあ、ちょっとあの、忙しくて辛い部分もあるんですけど、でもあの、本当に楽しんでやろうと思ってやってます。はい。

 

色んなあの、スケート以外、スケートやってた事以外で沢山の事を学べましたか?

 

そうですね。あの、色んな人の人生観っていうのに触れられる機会が凄く多くて、今までそんな、お話も出来なかったような人とお話をする機会があるっていう事は本当にこれからの私の人間力を高めてくれるきっかけになっているんじゃないかなと思います。はい。

 

まあ、そんなね、スケート以外の色んな出会いの中で、御嶽海と食事をしたっていうのがございましたよね。

紐解いてみると、名古屋場所ですか、御嶽海が優勝出来たのはね、奈緒さんのおかげかなと私は思ってます。

きっと御嶽海関も、ある意味の覚悟を持ったんだろうと、それで優勝出来たんではないかなって、まあ、勝手に思ってるんですけども。

その時は結城コーチもいらっしゃった訳ですか?

 

はい。そうですね。

 

どうでしょう、御嶽海関と食事をして。

 

どうでしょうね、そうですね。あの…番付…番付の記者の方っていうんですか?(結城コーチに尋ねる)

の、方と御嶽海関がいらっしゃって。あの、まあ、長野市内の、あの、お店でご飯をいただいたんですけども、第一印象は、お相撲さんなのにそんなに、予想してたよりはでかくなかったなっていうのがありまして。

また結構、あの、フレンドリーな感じで、でもあの、何かを変えたいっていう、ちょっとメラメラしたものは感じていて。

で、そうですね。お話する中で、まあ、御嶽海が、自分の中で何かを変えていかなきゃいけないっていうところに気がついて、自分でたぶん何かを変えたんだと思うんですけれども、私はちょっとそこは分からないので。あの、美味しく、あの、食事をいただいただけなので。特に何をしたとかは思えないんです。

けれども、あの、長野県出身のお相撲さんということで、今後もスポーツの力で長野県を盛り上げていけると良いな!とは思っています。はい。

 

奈緒さん、優しいからね。私が変えたなんて絶対どんな事があっても言わないと思いますけども、コーチからみてどうです?

やっぱあれから変わったっていうような。

 

いや、あの、御嶽海関がですね。あの、「先生と!奈緒さんの金メダルをお祝いしたいので。」って言ってくれたから行ったんですけど。

本当は、奈緒だけだったら、僕ちょっとお断りするつもりでいたんですけど(市長、会場笑い)

まあ、でも、もう席についてすぐ、コンディショニングはどうしてますか?えー、15日間もし毎日レースがあったらどうされますか?

もう、矢継ぎ早にあの、具体的な…こんな事はあんまり言っちゃいけないのかもしれません。お話がありまして。

まあ、私たちだったらこうするかな。なんていうような話を、あるいは、こうゆう時にこうゆう事した時に割と上手くいきました。なんて話を、あの、して。箸が進まないくらいあっという間に時間が過ぎる。そんな時間を過ごさせて頂きました。

あの、もうその時には私からそんな親方がいる方に言うのは失礼ですけども、何か自分を変えようとするような閃く準備がもうあったような、あの、今になってですけども気がしています。

 

はい。やはり、御嶽海関も本人の意思で強くなったということですね。

また、あの、諏訪湖場所で、8月6日でしたかな。また巡業に来ますので、また、あの、しっかりと御嶽海関応援したいなという風に思います。

せっかくの機会ですので、会場の方からお二人くらい、何か奈緒さん、あるいは結城コーチにお聞きしたいっていうような事ございましたら、えー質問のあれ、設けますけど。

 

(会場の方からの質問)

はい。あの、感動ありがとうございます。

奈緒さん、この前テレビで拝見したんですけども、凄く歌がお上手なので、ここでよろしかったらワンフレーズお願いしたいんですけど、いかがでしょうか?

 

すみません。あの、歌は無理です。あの、本当にあの、恥ずかしいので。あの収録も本当に一人じゃ嫌だっていう、その恥ずかしさを全力で…頑張ってやったので、すみません。本当にすみません。(照れながら)

 

あの、皆様のお気持ちよく分かりますし、私もあの、聞いたことが無いので聞きたいなと思いますけども、ここで…

 

あの、YouTubeで見ることができますので(笑)

 

ここでね、歌唄うと向こう2ヶ月分くらいのパワー使っちゃいますから、今シーズンに影響しますので。

 

すみません。

 

はい、他に、はい、どうぞ。

 

(会場の方からの質問)

小平奈緒さん。オリンピックの時は1000m、500mの二つのメダルおめでとうございます。

バンクーバーの時、ソチの時に悔しい思いをされたけれど、その後、平昌では金メダルを獲られ、皆に感動をありがとうございました。

結城コーチと小平奈緒さん、二人で歩んでこられた中で、どんな事を頑張れて来られたかを教えて下さい。

 

はい。

 

僕の名前は、○○○○○と申します。よろしくお願いします。

 

よろしくお願いします。○○○さん、質問ありがとうございます。

そうですね。結城先生と歩んでいく中でどんな事を頑張って来たかという事ですね。

うーん、そうですね。頑張って来たというよりは、あの、毎日の発見を楽しんで来た。その毎日が積み重なってオリンピックを迎えられたのかなと思ってます。もちろん、あの、成績が伴わなくて苦しんだ時期も沢山あったんですけれども、でも苦しい時期にも、あ、今新しい発見があったな!っていう楽しみを見つけながら毎日を過ごせて来れたので。そのやりとりを結城先生と凄く沢山出来たので、それが凄くこの何年間か良かったなって思っています。はい。

 

はい。ありがとうございました。

それではあの、会場からは以上とさせていただきまして、もう少し続けさせて頂きたいと思います。

まあ、あの、先ほどね、私にはまだ目指すものがあるって力強くおっしゃって頂きましたけれども、まあ、あの、奈緒さん、これから目指すもの。

まあ、スケート選手として目指すものもあるでしょうし、人生長いですから、その先の目指すものもあるんだろうと思いますけどもどうですか?

 

そうですね。今は…うーん、そうですね。あの、500mの世界記録というものを目標にしているんですけれども、でもやっぱり上手になりたい、スケートが上手くなりたいっていう気持ちが強いので、あの、もうスケートを極めるっていう事に、まあこの先何年やれるか分からないですけれども、私がスケートを出来る体、体力というか身体を持つ限り、そして情熱を持つ限り、スケートを極めていきたいなと思っています。

その先にまあ、世界記録だったり、皆さんの喜ぶ笑顔が見られると思っていますので、あの、また応援して頂けると嬉しいなと思います。

 

間違いなく応援します。(会場拍手)

 

ありがとうございます。

 

今日のところの目指すものはそのくらいにしときますか?

 

そうですね。あの、その先の事はまだ考えられません。

 

考えられませんからね。はい、あの皆さんきっといろいろお聞きしたいんだろうと思いますけども、今日のところは500mの世界記録を目指すというところで落ち着かせたいと思いますけども、そんな奈緖さんに対して、これからのスケート選手、あるいは人間として何かこう、贈る言葉と言いますか、アドバイスと言いますか、ございますか?

 

いえ、もう、あの、本当にアドバイスなんて、まさにもう金メダリストですので。

あの、十分それに見合う人生を歩んでいってもらいたいなと思うんですが、まずはあの、色んな所で、こうゆう人柄ですので、色んな所で可愛がっていただいて、まあ、第二の故郷、第三の故郷っていうのがまあ、本当にありがたいことで出来ています。

オランダも故郷の一つになっていると思います。

そんな中で、生まれ育った場所というのは本当にこの場所でしかなくて、本当にこの場所にまあ、私も呼んでいただいてこんな報告が出来るという事をまず、本当に喜びに感じて、そしてエネルギーにしていって欲しい。

それと、スポーツで勝つ選手、スケートで速いだけの選手というのは、まあ、私の見る限り沢山います。ただ、そこに終わるのではなくて、選手をやってるうちはその姿で、選手が終わってからもその言葉や態度でスポーツの素晴らしさ、人間の生きる事の素晴らしさみたいなところに、そういったものを伝えていけるような、あの、人物として活躍していって欲しいなという風に、あの、心から尊敬します。はい。

 

えー、そんなコーチからのメッセージを受けて、会場の皆さんに奈緖さんからお話する事、ございますか?

 

はい。そうですね。あの、本当にスケートが速い、人間ていうだけではなくて、本当に皆さん、あの、市民栄誉賞も頂きましたし、皆さんの目標になるような、そして皆さんと一緒に笑い合えるような、そんな存在で有り続けたいなと思っています。

えー、まあ、私に何が出来るかは分からないですけれども、でもやっぱりあの、私は頂いた私の人生を精一杯生きていきたいなと思います。

今日はありがとうございました。

(会場拍手)

 

えー、皆さんもお聞きして分かったかなと思いますけども、あの、私一番今日感動したというか感じたのは、ね、スケートを学ぶ、スケートを学びたいから結城コーチの元に来た、学びたいからオランダに行った、学びたいから選手をしてるっていう、これが一番今日は心に残りました。

本当に奈緖さんはスケートを通してスケートを学び、そしてまた人間を学んでるんだろな。えー、そんな事を感じたとこでございます。

まず、今シーズンは世界新記録が出る事を皆で応援したいという風に思いますし、まあ今日はね、語りませんでしたけれども、その先にも色んな夢があるだろうと思いますけれども、私たちはあの、いつでも、「奈緖カムバック!ウェルカム茅野」でいきたいという風に思いますので、その時はぜひ皆さん、今以上の絶大なるご協力をよろしくお願いを致したいと思います。(会場拍手)

長々の時間になりました。今日は本当にあの、私上手く進行出来なかったんだろうなと思いますけれども、感謝を申し上げ、対談を終わりにしたいという風に思います。

奈緖さんありがとう。また、結城コーチありがとう。

今シーズン頑張ってください。

 

はい。ありがとうございました。