2016年12月14日(水)
私のとても大切な人が、肺がんで亡くなりました。
婚外恋愛で6年半の付き合いでした。
優しくて、慈愛に満ちた人でした。
また、明るく活動的で、いつも沢山の友達や部下に囲まれている人でした。
お互いに、自分の両親、夫婦、子供三人の家庭にあり、今思えば、6年半前出会った時、彼も私も仕事や家庭のことで行き詰まっていた時期だったのかもしれません。
でも、それ以上に惹かれ合うものがありました。
この歳まで、こんなにも人を好きになったことがなかった自分。そして、そんな私の事が好きで好きでたまらない顔をする彼。
偶然の出会いなのか、必然なのか・・・
お互い既婚ではありながら、自分達各々の仕事や家庭を「きちんと生き抜く」為に、癒し合い励まし合いながら付き合ってきました。
彼は奈良県から三重県に単身赴任、足掛け10年余り、海無し県に生まれながら、海の幸が大好きで、三重が第二の故郷だと言っていました。
私は、仏像に興味があり、彼と付き合って、奈良に行ったり、奈良の話をするうちに奈良が大好きになりました。
お互いに歴史好きだったこともあり、彦根城、関ヶ原、柳生の郷、司馬遼太郎記念館、大阪城にも一緒に行きました。
真田幸村が大好きで、三谷幸喜の「清須会議」原作を読んだら面白かったので、一緒に映画を観に行こうと誘ってくれた彼。
その前に「すてきな金縛り」も一緒に観に行っていたので、三谷幸喜は面白いなぁと言っていました。
そんな折、NHK大河ドラマに三谷幸喜作「真田丸」決定し、一昨年から二人でとても楽しみにしていました。
昨年秋頃から、体調の異変を感じながら度々病院に行っていた彼は、楽しみにしていた「真田丸」スタート直後1月末、更に不調を訴え、精密検査の結果、肺癌ステージ4の診断を受けたのが、2月初旬。
この7年間、会社が傾いていく中で、仕事のことで悩み、三度の辞職願も受理されずにいた彼は、今年肺癌の告知を受けた当初、労災の可能性があるとのことで、単身赴任中の部屋をそのままに抗がん剤の治療が始まりました。
だから、抗がん剤の治療スケジュールと合わせ、月に1度彼の部屋で逢っていました。
6月までは。
癌治療で有名な病院で、自分に合った抗がん剤がきっとあるはずと信じて頑張っていましたが、7月~8月抗がん剤の副作用の症状は更に過酷なものとなり、逢うことは出来ませんでした。
彼とはずっとLINEをしていたのですが、つらい副作用にもかかわらず、ごめんな放ったらかしにしてとか、いつも私に謝っていました。
私は、遠くにいて、何も出来ない自分が不甲斐なく思っていました。
今年初め、彼の次女のめいちゃんと私の息子の結婚の話がほぼ同時期に持ち上がりました。
ちょっとやんちゃなめいちゃんのことを彼はいつも気にかけていました。
俺がこんな身体だから、なるべくことを早めるようにと言ったら早速同棲を始めよった・・・と笑っていました。
そして結婚式は9月17日。
後から写真が送られてきましたが、髪は抜け、シルクハットを被り、モーニングに杖をついて、まるで妖怪人間ベムみたいやったと、笑っていました。
めいちゃんの結婚式を無事出席出来て本当に良かった。
ただ、強い副作用の抗がん剤の効果虚しく病状は悪化、体力も無くなり、次の抗がん剤治療は見合わせる・・・
10月始め、体力が少し回復して、次の抗がん剤治療の一週間前、亀山の部屋まで来てくれました。
杖をついて、車の運転は座っているだけだから大丈夫と。
今日は泊まっていくの?会社には顔を出すの?
会社には行かない。
その頃にはもう、労災の件は取り下げていたみたいです。
今まで好き勝手やってきた自業自得や・・・
誰のせいにもしない彼の性格、でも、なんで彼が?と、私は今年の初めから悔しく、腹立たしかった。
なんで、こんな良い人が、こんな辛い目に遭わなくちゃいけないのか。
最後に逢ったのは、11月1日。
私が車で天理まで行き、迎えに来てくれた彼の車で大神神社へお参りしました。
彼の車に乗り込むや否や、プレゼントを渡されました。
腕時計でした。
痛々しい姿で、近くのイオンに1人で行き、買ってきてくれたとのこと。
6年半の間、いつもお互いがそうしてきたように、開けていい?開けるといつも、お互いに大喜びする、それはいつもとびっきり嬉しい瞬間だったから。
私の好みにぴったりで、本当に心から感謝しています。
それから「だんご庄」のお団子。
中学校のすぐ側にお店があって、学校の帰りによく食べてた。
マツコの番組で紹介されていたから、小百合にも食べさせたくてな。
どんなにか、彼がこの日を待ちわびていたか、本当に嬉しく、でも、今は悲しい。
抜けたという髪も生えてきて、見た目はそんなに変わっていなかったけど、体力は衰え、大神神社の駐車場から、お参りするまで休み休み・・・亡くなる1ヶ月半前のことです。
その後、私のSimplogのブロ友さんのお勤めするBuonoさんで、イタリアンのランチ、何を食べても味がしないと言いながら付き合ってくれました。
彼は私のSimplogやアメブロを楽しみにして応援してくれていました。
Buonoさんの話をすると、何回か行ったことがあるので、是非私を連れていきたいと言っていました。
この1年間は、私にとっても辛い1年間でした。
何をしていても、常に彼は病気と闘っているのだと思うと。
11月1日最後のデートから1週間後の抗がん剤治療、更に癌は進行していて、治療するか否か聞かれたそうですが、彼は望みを捨てず治療を選びました。
望みを捨てぬ者のみに道は開かれるのです。
それは真田幸村の台詞じゃないの。
帰宅して、自宅療養に入って、それまでは2階の自室で過ごしていたのを、1階の座敷に寝るとのこと。
それでも、私とLINEを続け、誰もいない時には病室からしていたように、ビデオ通話もしました。
11月30日、毎日夜中に会話していたLINEが既読にならず、寝ているのかなと思ったら、夜中に息が出来なくなり、救急車で搬送され緊急入院したとのこと。
カンフル剤とモルヒネで持ち直した彼から、夕方になって報告がありました。
夜中1時位に集中治療室に搬送されて、4時半位に病室に戻ったら、家族や親戚がベットの周りで泣いていたとのこと。
救急車で運ばれている時は、小百合と食べ物の事ばかりを考えていたとも。
それでも数日は、比較的元気そうで、毎日沢山のお見舞い客で疲れると。
12月5日月曜日、酸素のチューブが取れた時、15分間のテレ電。
少しずつ症状は重くなり、LINEの間隔も、既読にならない時間も長くなる・・・
12月7日水曜日最後のテレ電15分間足らず。
司馬遼太郎の「関ヶ原」映画化、9月頃公開かな、一緒に観に行こうねと言っても、返事しなかった彼。
更にLINEのメッセージが減り、既読にならない時間が長くなって、私から一方的にLINEを送れば、俺の事は考えなくていいから、息子と嫁ちゃんの(結婚式の)ことだけを考えろ!と。
12月10日(土)息子達の結婚式の朝、
「今日の晴れ舞台、頑張れ!」とメッセージ。
自分の、体のことよりいつも私の応援をしてくれていました。
本当に感謝しています。
最後のメッセージは、12月13日火曜日未明。
、解ったら、少し笑えて、来た(^^)
その後私が送ったメッセージが午前3時頃既読になって、その後送っても送っても既読になりませんでした。
それから、12月15日木曜日に日付が変わった直後、私も彼も登録だけして放置していたFacebookの彼のページに、友達が4月に行ったお花見の写真を載せてくれました。
そういえば、お花見楽しかったってLINEありました。
朝になって、長女のみさきちゃんのメッセージ、他の友達からの「ご冥福をお祈りします」のメッセージ。
あんなに楽しみにしていた「真田丸」最終回を待たず、私の息子の結婚式に応援メッセージをくれて、見届けてくれて、彼は逝ってしまいました。
「真田丸」最終回の真田幸村は、最期は少し笑っていました。
彼も、少し笑って亡くなったのでしょうか。
2016年。
悔しくて、悲しい年になりました。
でも、彼からは沢山の深い愛情をもらって、私は幸せでした。感謝しています。
2016年、さようなら。
皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
















