《グスタフ・クリムト 大きなポプラⅡ (近づく嵐)》




このタイトルの言葉はYouTube「人生の最後に、我々が見るもの、光が生まれるとき-田坂広志-」の中で語られた言葉です。




私には、占いをしている友人がいます。
(厳密に言えば、もともとの友達が占い師になったのですが…)


その友人から、病気をする前に言われた言葉が、深く傷つき心に残っていることがありました。



私はその時、夫との関係に長く悩んでいました。
疲れ切っていて、自分の進む道が正しいのかどうかで、大きなストレスを抱えていました。



友人は独身で、悩みが少なく(少なくとも、その時はそう見えていました)私から見ると、とても軽やかに生きている人のように思っていました。




その友人に「悩みや苦しみが多い人は、それだけこの現世で学ぶ事があり、悩みや苦しみが少ない人は、天国に行く最終段階にいる人なのだ」と言われました。



今、思えば私が未熟で、その本当の意味がわかっていなかったのですが、その時の私にはその真意は伝わりませんでした…



深く傷つき、〝私は罪深い人間で、この罪をこの現世で解消していかなければならない…〟と思っていました。



しかし、何か脅されているようで、〝ではこの罪を解消していくにはどうしたらいいのか〝という方法は、どこかカルト的に感じて、違和感がずっとありました…





そこで、たどり着いたのが田坂広志さんの思想でした…



YouTubeの中で抜粋すると、



《 電子対生成の現場においては、この世に「陽電子」だけが、生まれることはない。

その時、必ず同じ量だけの「陰電子」が生まれる。

もし、それがこの世の理であるならば、この世に「喜び」だけが生まれる事はない。

必ず、同じ量だけの「悲しみ」が生まれてくる。


(中略)


生まれてきて、私は「喜び」とか「信」とか「善」とか「美」しか見てませんでした。という人がいたら、実は何かの錯覚だと言わざる得ない、本当はその人は「喜び」も「信」も「善」も「美」も見ていなかったという事。



人間の心というものは、ある意味でその両方を深く見つめていく事が大切なんだろう。

無意識に善きもの、正しきもの、美しきものだけで自分の人生を満たそうと思うと、実はその善きもの、正しきもの、美しきものすら本当の姿が見えていない。〜       田坂広志  》




目から鱗でした。この世は「プラスとマイナス」「陰と陽」、「正と負」、「ネガティブとポジティブ」の両方で成り立っているという事、そしてその両方を見ることによって、善や正しきもの、美しきものの「本当の姿」を知ることができる、という事実を知って、私の中のずっと眠っていた〝罪の意識〟がスッと消えていきました…




その真実を知ろうとする人に、試練があるのだという事、私が罪深いから試練を与えられているのではない事に救われました…




雨や嵐の日は〝悪く〟て、晴れの日が〝良い〟というのは、天からしたら、人間の勝手なんですね…

(そう思いがちですが…笑)




〝正しく解釈していきたい〟と思っていても、無意識の世界は容易ではありません…




でも、自分の中の「違和感」、「問い」を持ち続ける事が大事で、そのセンサーを信じる事だと思います。





〝無意識の自分〟はすべてを知っているのですから…





YouTubeでは、「光が生まれるとき」というハッとする概念を語ってられます。

是非、是非、聴いて下さい。





この拙いブログを読んで下さり、ありがとうございます✨






「人生の最後に、我々が見るもの-光が生まれるとき-」田坂広志 YouTube。