昨年秋に叔母の葬儀に参加したのですが、今月祖母が亡くなったのでまたまた葬儀に参列して来ました。


99歳の大往生です👏


実は亡くなる2日前に入居している施設で面会しました。


7年前の結婚式以来の再会ですニコニコ


会うなり、じーっと私を見つめ、両手を伸ばす祖母ポーン


もう自力で起き上がる力はないのに、起き上がり、私に抱きつこうとしているかのようでした悲しい


母は何回か面会に来ていますが、大人になった孫の顔は分からないだろうと私たちが子供の頃の写真を持参していました。


が、写りが小さく滝汗


「わからない」と首を振っていましたゲッソリ

分からないってか見えないよねネガティブ


でも、私が昔の呼び名を名乗りながら「知ってる?」と聞くとしっかり頷いていたので存在は忘れられていないなと感じました。


それだけでもう満足です照れ


そんなやり取りをしたのですが、その時は既に食欲もなく、話しかけている最中にふわっと意識が飛びかける感じだったのでもう会うのも最期だろうなと思って施設を後にしました。


その2日後の朝に呼吸が止まったと連絡が入ったのですが、きっとあの最期に会った時に見たふわっとした感じで穏やかに眠りについたのかなと思っています。


私が幼い頃は共働きの両親のかわりに祖母が保育園の遠足に参加してくれたり、夏休みは長期で祖母宅に泊まりに行ったりしていたので私にとっては関わりが深く大好きな祖母でした。


ふとん1ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん2ふとん3


さて、今回印象的だったのは祖母の思い出の品々。


祖母にまつわる品を棺に入れようと、古いアルバムやら体力測定の成績表などが広げられていました。


大正15年生まれの祖母ひらめき


女学生時代に太平洋戦争がありました。


高等女学校の卒業アルバムを見るとこんなページがありました。



「召され行く恩師🌟」


「戦勝祈願」


祖母が卒業したのは昭和19年、終戦前なのでその時はなんというか、普通の思い出の1ページ的な扱いだったでしょうか。

まだ負けるなんて発想にもなかったのかなキョロキョロ


ポップな星型でかたどられている恩師の写真を見るとなんとも言えない気持ちになります。


他にも授業風景として



「裁縫」「温室」と並んで


「薙刀」ポーン

いかにも時代を感じるアルバムです。


戦争で通信兵だった祖父はよく戦時中の話をしていましたが、祖母からこうした話を聞くことはなく。


あまりにも日常すぎて、特別語るような思い出でもなかったのかなと思います。

おしゃべりは好きなタイプなので笑い泣き


ハイカラで新しい物や旅行が大好きな祖母、今頃、新しく足を踏み入れた天国を楽しく散歩していることでしょう飛び出すハート