こんにちは、サユコです。
久しぶりの更新になります。
私のブログがどれだけの人に読んでいただけるか分かりませんが、久しぶりに当時の気持ちを思い出し、皆様に伝えたいことがあるので記事を書こうと思いました。
恐らく、ブログのタイトルに反して私が子供を産まないことについて書くのはこれで最後になると思います。
勿論、またフッと何か伝えたいことが沸きあがったら書こうと思いますが、もう伝えたいことはあらかた伝えてしまったので、これ以上子供を産む産まないことについて書くことはないでしょう。
私が元彼に子供が欲しいと言われ、当時のカウンセラーさんに誤解されたお話は過去に書きました。
もしかしたら、そのお話と重複してしまうこともあると思いますが、よろしかったらお付き合いください。
とても長い話になりますが、どうかご了承ください。
まず、私は発達障害やHSP(統合失調症になってからは感情が鈍くなり、現在はHSPの個性は薄くなった)の特性や生きづらさを言語化することがずっとできていませんでした。
新たに、自分の内面や過去の特性について分かったこともあるので、以前書いたお話と多少異なる表現になるかもしれません。
でも、私が伝えたいことについては変わりません。
初めに、私の子供の頃の話を聞いてください。
私は、最近になって幼少の頃を振り返り思うのですが、本当に本当に発達障害の特性を持って生まれたHSPだと理解することができました。
私は小学校3年くらいから30歳になり統合失調症を発症するまでずっと母親と折り合いが悪かったです。
今から思えば母は幼い私のために色々なことをしてくれました。
ピアノを習わせてくれたり、私は口をぽかんと開けてしまう癖があったので歯の矯正を早くからやらせてもらったり、将来目を悪くしないために早いうちに眼科でアドバイスをもらったりしてくれました。
でも、私はその母のやってくれたことに対して何一つ満足にできませんでした。
ピアノの練習は毎日できない、歯の矯正も口を閉じる運動を先生に教えていただいたのにすぐに飽きてしまう、目を悪くしないために時々遠くを見ることと教わったけど一度ゲームを始めたり漫画を読み始めるとずっとやり続けてしまい遠くを見れない。
こんな子供、自分の子供だったら最悪ですよね。
私はこんな子供でした。
しかし、私は必死で努力していました、努力してできませんでした。
また、私は味覚が過敏で極度の偏食でした。
これも、両親や学校の先生が直そうと叱ってくれましたがどうしても苦手な食べ物は吐いてしまいました。
同じ学年にこんな子は私だけでした。(今は味覚もよい意味で鈍くなり、ほぼなんでも食べられるようになりました)
私は今でこそ(統合失調症も落ち着いているので)普通の大人しい人または、軽い発達障害にみえると思いますが、子供の頃を思い出してみると結構酷い方の発達障害なのではないかと思いました。
ずっとできない自分が大嫌いでした。
また、自分としては母に努力しているのにできない思いを理解してほしい気持ちもあり、「できない理由」を延々と母に話そうとしていたために、ずっと言い訳の多い子供だなと思われてきたと思います。
(母と普通に話せるようになった今でも母にサユコは言い訳が多いと言われるため)
でも、私としては苦しくて苦しくて、ただただ自分の苦しい気持ちを母に理解してほしいだけでした。
それから、私はコミュニケーションが苦手で虐めれられることが多かったです。
私のブログで二人目に話に出てきたカウンセラーさんには、小学生の頃のいじめっ子について「そのいじめっ子はその年齢にしては行動が幼いから家で愛情がもらえなくてサユコさんを母親代わりにしてきたんだと思う。サユコさんが離れていきそうなとき、自分のお母さんがいなくなったように感じて、虐めたのかもね、もしくはその子が母親に同じことをされていたか。」と言われたこともありました。
そのいじめっ子は私が離れていきそうになったら私のことを虐めてきたので。
でも、そういうのを引き寄せてしまうのも私が大人しい性格で人の言いなりになりやすかったからでしょう。(後に、私が発達障害かつHSPで人の言いなりになりやすかった話もします)
ずっと自分は周りの人より劣った存在なんだと感じていました。
周りができることはできないし、友達には大切にされませんでしたから。
私は周囲に見下されていたのでしょうね。
中学に入ってからは、中学で母のように私を扱ってくる子とばかり仲良くなってしまいました。
普通に優しくしてくれる子もいました、でもなぜかそういう子といると緊張してしまい上手く話せなくなるので仲良くなれません。
また、一人に虐められると学校中に嫌われているような感覚に陥り(当時から統合失調症のような症状があったのかもしれません)、普通に話しかけてくれる子にも普通に話せなくなりました。
私が虐められていることを知って助けてくれた子が一緒に虐められてからはさらに恐ろしくなり、同じように浮いている子としか話せなくなりました。
また、私の方も意地悪してくる友人に嫌われる要素はあったのだと思います。
私はその意地悪してきた友人に対して、いつも母が私を馬鹿にするようなことを言ってしまっていたからです。
普通は、家で言われていても言ってはいけないことくらい分かる年齢だったと思いますが、私には分かりませんでした。
すべての発達障害やHSPの方に当てはまることではありませんが、私の場合その両方の特性があるためにそうなってしまったのだと思います。
まず、結構酷めの発達障害だったため言ってはいけないことの理解ができなかったこと、次にHSPのため環境に染まってしまうためそれが当たり前だと思わないと生きていけなかった、無意識に母の言葉の影響を受けすぎたためだと思います。
そんな生活をしていて私は中学2年で不眠症気味になりました。
夜3時くらいまで眠れなくて、学校で寝てました。
それでも、誇らしかったこともありました。
中学に入り、塾に入った私は一気に成績が伸びました。
学校で寝ていても、塾の先生には県一番の進学校へ行けるくらいの成績だと言われました。
私はいわゆる他はだめだけど(書き忘れましたが私は運動も壊滅的にできません)、勉強だけできるタイプの発達障害だったらしいです。
まぁ、当時は発達障害なんて診断されてなかったので知りませんでしたけど。
でも、そこでまた事件が起こります。
私が虐められていたので担任の先生が母に私の成績が良かったのでもっと学年1位くらいとれたらサユコさんも自信をもって学校生活が送れるのではないかと打診したのです。
私はもう小学生ではなく、中学生になったのでそこそこ我慢もできるようになり、頑張ったからこそ良い成績が取れました。
しかし、私は学校へ行くだけで苦痛なのでテスト前ではない日まで勉強はできません。
心がいっぱいいっぱいで休息を必要としていたからです。
勉強はいつもテストギリギリで終わらせていました。
それを母はやはり理解できなかったようです。
私の中学ではやはり虐められていて成績がよかったのでもっと頑張ってさらに成績上位になれた子もいたので、なおさらでしょう。
どう伝えようとしても母には私が余裕があるのにサボっている、言うことを聞かない子、言い訳の多い子にみられました。
そんな日々を過ごしているうちに大変なことが起きました。
父が会社をクビになったのです。
母は私に公立の高校へ合格してほしいと言いました。
ですが、私は精神が限界にきていてその頃からうつ病だったのかどんどん勉強しても暗記できなくなりました。
母は私の成績表をみて怒り狂って破いていました。
私は母に少し休ませてほしいと言いました。
母が公立に入ってほしいという気持ちが分かるからです。
私には休息が必要でした。自分の身体のことなので分かるのです。休めば記憶力回復するかもしれないと思いました。
でも、やはり母には私の言い分は私の言い訳に思えたようで、私の要求は聞き入れてもらえませんでした。
自分の気持ちが一番近い存在の人に届かないのです。
このときは、公立になんとか合格するために打診したのでなおさら理解されないことがショックでした。
結局、私は一番最初の受験日だった私立高校へ通うことになりました。
一番初めに受験したのでそこだけギリギリ特待生で合格できたからです。
私が受験した公立高校は最後に受験したので不合格でした。
母は怒り狂っていましたが、私は母とうまくコミュニケーションがとれなかったことがショックでたまりませんでした。
もしかしたら、少し怒るのをやめて休ませてくれれば公立高校に合格できたかもしれないのに。
母の頭の中で私のイメージは最悪なものだったと思います。
でも、当時の私は今のように自分を客観視できなかったので、母と普通にコミュニケーションできないのが不思議でたまりませんでした。
私は高校へ入学すると同時に言葉がでてこなくなり、母に頼んで精神科に受診しました。うつ病と診断されました。
そして、大学へなんとか入学するのですが、卒業近くに発達障害だと診断され、就職する前に発達障害向けの就労移行施設に通った方がいいと判断され、大学卒業直後就労移行施設に入ります。
私が子供のことで行き違いがあったカウンセラーさんと出会ったのも大学卒業直後です。
あと、この話ではあまり関係のないことですが、このときだけ母と上手く距離をとれて少しだけ普通に友人をつくることができました。
やはり、私は自分の属している環境に染まりやすいのだと思います。
折り合いの悪い母と距離を置いてから、少しだけでも普通に友人関係が築けるようになったのですから。
それから、しばらくして私は大学時代に出会った元彼と交際します。
私は最近になるまでどうして元彼が子供がほしいと話しただけでパニックになってしまったのか理解できませんでした。
むしろ、最初の頃は私の感情が過敏すぎて自分の気持ちでいっぱいいっぱいになって、こんな状態の私が子供欲しいなんて言われたらパニックになるのが当たり前でしょー--------くらいに思っていました。
後に、散々叩かれて突っ込まれて自分のパニックが異常だと気付きました。
まず、どうして子供が欲しいと言われただけでパニックになってしまったかをもっと詳しく解説していきます。
私は、相手に何か言われると相手の言うとおりに行動してしまうことがあります。
そう聞いて「えっ?今まで散々母親の言うことを聞いてこなかったじゃない!」と言われてしまうと思います。
そう言われると説明が難しいのですが、私は何か言われてキャパシティーオーバーになると何もできなくなります。
でも、今までも例えばバイトへ行く場合私の場合というかこれは発達障害全般にいえることかもしれませんが、大人の発達障害は頑張るときと頑張らないときが極端で、私の場合なんか全力出さないと仕事なんてできませんからパワーを全開にして全力で仕事に向かおうとします。
そのとき例えば母から「そんなに肩肘張るからいつもあんたはだめになるのよ!」と言われてしまうとその言葉通りになり、全力で頑張れなくなってしまいます。(統合失調症になってからこれは直りました)
勿論、母は悪意があって言っているわけではないと分かっています。
例えが分かりづらいですが、昔のことなのでほぼ忘れてしまっていて申し訳ないです。
でも、その言われたとおりになるのが嫌で今から思えば馬鹿みたいですけど、当時は母や周囲の否定的な言葉に怯えていました。
本当に自分にとって不利益になることを言われたときは(滅多にありませんが)、言いなりになるのが恐怖で怒鳴ってしまいます。(勿論これも今では直りました)
一応、怒鳴るまで拒否すると言いなりにはならないのです。
でも、私が怖かったのは当時の私は何か言われるかと身構えているときと、リラックスしているときで大きな落差があり、身構えているときは怒鳴らないにせよ言い返したりできても、リラックスしているときはほぼ無意識に相手の発した言葉やしてほしそうなことを察して、無意識に自分の意志と相手の意志の境が曖昧になったり、無意識に言われたことを「うんうん」と了承してしまうことがあるので怖かったのです。
私にはこんな特性があるので、相手に理解されないことが時と場合によってはとても大きな恐怖でした。
だから、行き違いのあったカウンセラーさんに馬鹿にされたように「僕に気持ちを分かってほしいんですかぁー?」と言われたときはめちゃめちゃ悔しかったです。
何故なら、それがまったくもって当たっていたことと、自分が必死になって自分を守っていた手段を馬鹿にされて悔しいと思ったからです。
だから、私は元彼に「私は子供を育てられない。虐待してしまう。」(当時は自分が子供欲しくない気持ちを認めたくなくて欲しくない理由を探していた)と言いました。
また、後で後述するのですが、私のそのときの本当の気持ちは自分が欲しくないであっても、育てられない、私は子供を虐待してしまうといった恐怖はとても大きかったです。
そのときに、彼は何度私が訴えようと「大丈夫、サユコさんは大丈夫、虐待しないよ。」と言いました。
私はその言葉で「相手に理解されなかった!」とパニックになってしまい、元々自分の気持ちを当時上手く表現できなかったので何も言えなくなってしまいました。
これは正常な人の思考回路ではないと分かっております。
でも、当時の私は(今は今で統合失調症だから生きにくいが)これっぽっちのことで大パニックになってしまい、さらに周囲に特性を理解されないうえに、自分でさえ自分の感情が分からない、伝えられないというとても生きにくい状態でした。
特に、子供に関することは自分以外の命に関することなのでより一層恐怖が強かったのです。
具体的に、私がどんな虐待をしてしまうと考えたかというと、ネグレクトや心理的な虐待です。
私は幼いころから疲れやすく、学校へ行っただけで寝っ転がってしまう子供で、大人になってからは外ではフルパワー、全力で頑張ればなんとか生活できるけど、休みの日は寝てばかりで、とても子供なんて世話ができないと思っていました。
その余裕のなさから心理的な虐待もしてしまうと考えていました。
だから、私の夢は子供を持たない人同士で結婚することでした。
私は、猫を飼っているのですが、自分の限界を分かっているため、叔母が野良猫を飼ってほしいとお願いしてきたときは反対でした。
私は動物は大好きでしたが、私には世話は無理と分かっていました。
最終的に叔母は、「お父さんとお母さんがいるから大丈夫よ」と言い猫を飼うことになりましたが、猫の世話はほぼ両親がやってます。
私も体調がいいときには世話をします。
ただし、猫の世話さえ私には一人では難しいです。
もしこの先一人暮らしになったら絶対に私は動物を飼いません、責任が持てないからです、そう決めてます。
そして、最後に私が子供を持つことが恐怖になってしまった理由は、「私の遺伝子の遺伝」です。
今まで私がどれだけ情けなく苦しい思いで生きてきたかこの記事を読んでくださる方に分かるように長々私の過去の汚点を書き記しました。
子供を産みたくない理由を書くだけでこんなにも生きづらさがどんどん出てくる私です。
こんな遺伝子、遺伝させたくないです。
私は元彼のことが大好きだったので代理出産で彼と他の女性の子供なら遺伝だけはしないし、育てられないかなと少しだけ考えてしまったほど、彼が好きで彼の遺伝子は遺してあげたいという気持ちはありました。
ただ、やはり育てるのは無理そうなので元彼が臨んでいる国家試験が終わったら別れを告げようとしていたのに、前の記事に書いたように共依存状態になってしまい、別れるときに子供のことでパニックになったり、別れるのが大変な心理状態になってしまいました。
私はそのときカウンセラーさんとの関係が上手くいかなくなってしまったので、代わりに心の相談室という電話相談員のおじさんにパニックになって「私は発達障害だけど、彼氏が子供を望んでいます。だから、代理出産を考えています。」と言うと「そんなことありえない!!」と理由もよく聞かずに怒鳴られました。
パニックだったのでとてもショックでした。
前の記事で、カウンセラーさんに「発達障害だから子供欲しくないです」と言ったら、「貴方が欲しいかどうかが問題なんです!!」と熱く言われたのが怖かった理由も正直に「私が欲しくないんです」と話して、もしなにか否定されたり攻撃されたりしたら、相手の意志を無意識に読み取って言いなりになってしまうことを恐れたためです。
それから、統合失調症になってからデイサービスで40代くらいの女性に「子供欲しくないんですよね」とカミングアウトしたら、「えー、子供欲しくないのに結婚はしたいの?」と言われたり、70代くらいのおばあちゃんに40代で結婚した女性タレントに対して「あの子はもう子供も産めない年のくせに旦那が可哀そうだ」という意見を聞いたりしました。
その女性タレントさんは実はデキ婚だったのですが、その方は知らなかったようでした。
私はそれらの言葉を聞いてとても嫌な気持ちになりました。
大きなお世話だと思います。
本人がそれでよければいいと思いませんか?
私がなんで最後にこんな記事を書いたのかというと、もっと子供が欲しくないとカミングアウトしやすい社会にしてほしいからです。
前の記事に書いた通り、子供が欲しくない人は少数派です。
子供が欲しくない人がカミングアウトしやすくなってその人たちが産まなかっただけで少子化が悪化するとは思えません。
私は生まれつき子供が欲しくないと思っていましたが、もし子供が生まれてくるなら私の悪いところが遺伝してほしくないなとか、今の私には子育ては絶対無理だという確信があり、自分の子供がいるなら苦労はさせてやりたくないという気持ちもあります。
だから、もっとカミングアウトしやすい社会になってほしいのです。
私のような人間が追い詰められて母親になってしまう前に。
私は母親になって子供をつくることはしませんでしたが、恐怖で統合失調症になってしまいました。
子供の悩みがあるかないかに関わらず、私のような特性を持つ発達障害やHSPの人がいることも分かってほしいです。
もしカウンセラーさんやセラピストさんがこの記事を読んでいたら、今後接するヒントにしてほしいです。
よろしくお願いします。
それから、私は勿論発達障害だからHSPだから子供を持つなとは言っておりません。
それらの特性があっても、両親が欲しくて生まれてきた子はきっと幸せになると思います。
今の私は統合失調症で大変ですが、母と和解できて母の愛を知ることができました。
それは幸せです。今では両親に感謝しています。
私は今、統合失調症の治療中です。
まだできないことは沢山あります。でも、今は母との関係も良くなり、周りに良い人も増え、少しずつだけど回復し続けています。
もう私にHSP的な繊細さはありません。
もうその方は活動をやめてしまいましたが、統合失調症で発症してからの方が周りと衝突しなくなり幸せになったとブログに書いていた人がいました。
統合失調症になると性格や、得意なこと、趣味などが変わります。
私も新しい自分になって発症前よりもっともっと幸せになるために努力します。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。