宇都宮餃子”非”公認餃子ブログ

宇都宮餃子”非”公認餃子ブログ

『宇都宮餃子祭り』の時は、大量に更新します。しかし、それ以外は……(^_^;

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行ってきました大阪!



宇都宮でいくらでも食べられるだろうに
わざわざ時間と交通費かけて宇都宮の餃子を食べに(笑)



たぶん、大阪の人たちにとって宇都宮というのは、遠くて馴染みのない外国のようなイメージを持たれてるのではないかと思われます。

そんな遠方の土地の文化を堪能し笑顔になってくれている様子を間近で見ることができ本当に幸せでした(*^^*)
行って良かった!!

さあ今度は、本家本元の『宇都宮餃子祭り2016』です!!
宇都宮餃子祭り2016まで、あと一週間!!

そろそろエンジンかけていこうかと思ってます(笑)

あ、ちなみに10月22日(土)『宇都宮餃子祭り in OSAKA』に参戦してきましたチョキ

レポは次のブログで

~アニソンってなに?~

アニソンとは何なのか、何を差してアニソンとするのか、その定義づけは非常に難しいものです。
何せJ-POPでもロックでもメタルでもジャズでもクラシックでも洋楽でも演歌でも、アニメの曲として使われているのならアニソンになってしまうのですから(笑)。

わたしが考えるアニソンの定義はこちらです→『アニメの曲かどうか』
つまり、アニメの映像に合っているかどうか・・・ということ。合ってさえいればどんな性質の音楽でも良質のアニソンと呼んでいいと、わたしは思ってます。
そうです、極端なことを言えば、定義づけに“音楽性は関係ない”のです。

実に奇妙かもしれませんが、それこそがアニソンだと言えるのではないでしょうか。
こんな不思議な音楽ジャンル世界中探したってどこにもないでしょう(笑)
では“いいアニソン”とはいったい何なのでしょうか?


~そこに愛はあるか~

いろいろと言葉にならないもどかしい考えはグルグル巡るのですが、結局のところ『愛』にたどり着きます。
作品への愛、世界観への愛、登場人物への愛・・・です。

アニメそのものの魅力とは何かを今一度振り返って考えてみてください。
実際には存在していない二次元の絵に、多くの人たちの力が結集し、ついには命を吹き込まれ、芸術作品に生まれ変わるものです。
しかもアニメ制作に関わる三次元の人間は全員黒子に徹します。クレジットを見ても分かるように、原作者から企画・構成・キャラクターデザイン・美術・音響・音楽・プロデュース・キャストetc、たくさんの人が関わりますが、誰一人として作中に中の人が顔を出すことはありません。
せいぜい名前が載る程度で、生み出されたアニメの世界には三次元の人間は誰一人として出てきません(時にネタ登場はあるが)。

決して出しゃばらず、常に一歩下がったところにいる。そして本来、命がないはずの架空の世界に命を吹き込むために一致協力し全力を尽くす・・・。
日本人の特徴とも言えるのかもしれない他人を立てる「二列目の美学」こそが、アニメの魅力、ジャパニメーション文化を作り上げてきた一要因だとわたしは思っています。
これに同意される方・・・いらっしゃいますよね?(ふと不安になる)(^^;

実写ものを批判するつもりはさらさらないのですが、ドラマとなるとそうはいきません。演じる俳優さん一人一人にもリアルな人生があり、どれだけ壮大で感動的な役柄を演じてもメディアを通して情報が世に出続ける限り、俳優本人の“その後”が見えてきてしまいます。場合によっては“その後”の出来事によって、演じた役柄のイメージが壊れてしまうことも残念ながら生じるものです。
わたしが実写ものではなくアニメを好む理由もそこにあります。




アニソンも、そうであってほしいのです。



シンガー、作詞家、作曲家、アレンジャー、ミュージシャン、レーベルetc・・・
音楽を世に送り出すまでには、実に多くの人たちが関わってきます。(ここではあえて総じて「中の人」と呼ばせていただきます)
その中の人たち全員が、アニメ制作者たちと同様の黒子であってほしいというのが、わたしの願いです。
有名になりたい、たくさんCDを買ってほしい、曲に込めたメッセージを多くの人に感じ取ってほしい・・・。楽曲を世に送り出す側の思いは様々あるでしょう。
しかし、曲をリリースする際のこの普通の思惑こそが、アニソンとなると実はエゴになってしまう恐れがあるのです。

本来アニソンで何よりも最優先されるべきなのは「いかにそのアニメの世界観にあった音楽を提供するか」ではないでしょうか。
乱暴な言い方かもしれませんが、誰が創った、誰が歌っている・・・というのは実はそれほど重要なことではありません。
受け手であるファンがアニメに込められた愛を感じ取り、シンガーやクリエイターが高い評価を受けるというのは付随する結果であるべきものです。追い求める目標が先に来るようであってはなりません。
この事実にどれだけの中の人たちが気づいているのだろう?と首をかしげたくなることが時々あります。


~アニソンのゆくえ~

アニソンの目指すべきところ。それは、紅白出場でもオリコン1位でもありません。
一年後、二年後、五年後、十年後・・・さらには世代を超えて歌い継がれ、そのアニメ作品のなくてはならない一部として評価され、ずっと愛され続ける曲となることではないでしょうか?

近年、アニソンの音楽産業としての急成長は目覚ましいものがあります。
と同時に、垣根がどんどん低くなって行き、それまでアニソンに関わったことのないクリエイター、アーティストがアニソンをリリースすることも多くなりました。
それ自体はうれしいことです。これまで以上に多種多様な音楽に触れることのできるわたしたちは幸せ者です。昔ながらのアニソンこそが正義!などとは一切思っていません。
でも、次から次へと大量生産されては大量消費され、いずれ流行と共に消え去ってゆく・・・。そんな現在の音楽産業とは一線を画す存在であるアニソン文化は絶対に壊さないでください!これは切実な願いです
もしこの渦に飲み込まれてしまったのなら、アニソン文化もあっという間に朽ちていきます。完全に消えはしないかもしれませんが、安っぽい存在には確実に陥ります。

ぜひとも、作品への愛、世界観への愛、登場人物への愛、が溢れる楽曲を。そこに中の人たちの顔が出てくることのない楽曲を心から期待しています。
そうするならば、アニソンの未来は明るいものになるとわたしは信じています。

~アニソンがアニソンであるために~
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