Glory to God

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『1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

 2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

 3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』(詩23章1〜4節)

 

 

ソロモンの父であるダビデのが羊飼いの時に告白した詩編に書かれている内容ですが、

聖書では、ところどころで、”主は私の牧者”と表現します。

天地万物の創造主なる主が、

 

”初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光あれ。」すると光があった。”(創世記1:1-3)

 

私の主人として、羊である神の子供たちの人生を責任をもって牧されています。

 

 

なぜ羊・・・?ヒツジキラキラ

と疑問になり、人間を羊としてたとえるには理由がある!!口笛と思い、羊の性質について調べてみました!

 

 

羊は、サルやオオカミのように、特定のリーダーがいるわけではなく、群で生活し、上下関係もありませんので、群の1匹が何か危機を感じて走りだすと、追従していくそうです。

 

たとえば、1匹が走って崖からおちたら、一緒についていって、こぞって落ちていきます。ポーン

また、羊は、視野が広いわりには、近視でよくみえず、とても弱く臆病ものなので、羊飼いの主人の声を聞き分けて移動しているそうです。照れ

なので、羊飼いに一番近い羊が、指示に従って動くとそれに連なって他の羊も移動していますが、一番後ろでついていってる羊は何故動いてるか分かってないらしいです・・・笑い泣き

 

 

 

うむ・・・確かに私たち人間も、少しの問題や事件が発生しただけでも、焦ってあれこれ心配になる。問題が大きければ大きいはど、何かに頼らなければ、一人でたつことが難しく、すぐに崩れてしまう。何が正しくて、誰の声をきけばいいか。それとも、私自身の信念を信じるべきなのか・・・

 

 

私たちは未来を生きて行くとき、人間関係、友人関係、仕事、親子、恋人、子供、経済、病気いろんな危機や困難に遭遇することがあります。少しの不安もつもれば、今日生きて行くことが困難になり、いつのまにか、自身の精神はくずれ、患うように、背中に大きな重荷を背負っていきています。

 

 

でも、彷徨って苦しみながらいきていくことが、本来の人間姿ではなく、人間をデザインし、設計された創造主と共にいて、その主人の声を聞いて日々生活することが真の安息を得らると神は言われます。

 

 

サウロ王様は、自分の王座をダビデに奪われないために、いつもダビデを殺しに追いかけ、ダビデは常に命の危機にさられていました。

 

しかし、死の淵にたっていても、

”主は私の羊飼い何も乏しいことがない”と告白できたのは、

つらい時も、死にそうな時、誰にも理解されない時でも、

 

”主が私と共におられる事実を知り” 神の声に従っていきる事が、本当の幸せであり、主が仰せられた御言葉はすべて成就され、一点一画も変わらず(マタイの福音書5章18節、イザヤ書55章11節)、必ずその通りになることを知っていたいたから。

 

主がさけどころになり、約束通り守られることを体験していたから、どんな試練も苦しみも乗り越えられました。

 

それは、今をのり越える力を神様がくださったからですニコニコ星

 

 

この地のすべてをデザインし、創られた神から離れては、羊のように、どこにいけばいいのか分からず、未来に対して彷徨うしかなく、孤児のように苦しみながら生きて行く人生になるしかない。でも、神様は、そんなことはひとつも望んでいない!

神の願いは、神のもとに戻ってきて、共にいきることですニコニコ

 

盲目のピアニストであったクロスビーは、たとえ目が目えなくても、主が私の目となり人生を導かれていることを知って、むしろ見えないことが幸せであると告白し、喜びと感謝の讃美を残したように、神が共にいることの幸せをかみしめて、この地を生きてゆくことが、本来の人間の姿であると思いました。

 

 

神は目に見えません。大事なものはいつも目に見えない。人の心も、酸素も、電波も、ウイルスも、重要なものはいつも目にみえないのです。

 

 

人間は今、初めの人間アダムとイブが犯した罪によって、生まれながら罪をもち、創造主の神様と離れ、この世の王である悪魔(サタン)に運命を握られて生きてるので、このアダム系図にいる以上、必ず苦しみとのろいが訪れます。

人間自らこの泥沼から抜け出すことができず、救われる方法がないために、創造主なる神が唯一の救いの道を開くために、この地に一人子イエスをキリストとして送ました。

 

そして、イエスキリストは、わたしたちの罪と呪いと、人間のすべての問題を背負い、問題の根本を解決するために、十字架にかかって死に、神の証拠として3日後に復活されたことにより、すべてが「完了」し、終わりました。

この事実を信じ、イエスキリストをすべての問題の解決者として、心に主人としてお迎えする時、私の身分は悪魔に捕われた運命の身分から、神の子としての身分にかわり、天国の行く日まで導いてくださいます。ラブ

 

 

三位一体の神様は、万民の主であるので、神を知って受け入れるものは、みな神様の子供になるのです。方法は、告白の祈りを通して・・・お願い天使キラキラ

 

 

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

 

(ローマ人への手紙10章9-13節)

 

 

ドキドキ受け入れ祈りドキドキ

愛する神さま。私は罪人です。私は人生どこからきて、どこにいくのか知らずに彷徨いました。しかし、イエス様が私のために十字架で死んで復活されたキリストであるという事実を信じます。今、私の心のとびらを開いて、イエス様を私の救い主として受け入れます。私の心の中に来てくださって、私の主人になってください。私が過去に犯した罪、現在犯してる罪、未来に犯す罪までも十字架の血潮によって洗い清めてくださり、神様の子供としてくださって感謝します。今から天国にいくその日まで導いてください。

生きておられるイエスキリストの御名によってお祈りします。アーメンドキドキラブラブドキドキ

 

 

もし、ものブログをよんで下さったが、この内容が心に止まるとき、この祈りを一人でしてみてください。誰かにみせるものではありません。主に向かって告白するだけで神様は神の子供とする。と約束されました。お祈りいてみてくだささい照れハート

 

 

あなたに神の平安がありますよに・・・・ハート

 

 

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネの福音書1章12節)

 

 

 

まことのものを探すのは難しい

毎日の生活の中で、何が正しく、何が悪いのか、そもそも、良い悪いの判断とは何か?その基準はいったい誰がするのか?

常識か、それとも世論か、もしくは倫理なのか、それとも法律なのか

それとも・・・・

 

いつだって人は私の正さを主張する。よくも悪くも自分の思いを相手にぶつける

自分の正さを主張する時ケンカがおこる。

 

よく考える

”私”というもは、どこからきてるの?

私の考えはいつも邪魔だ・・・

 

でも、それでもいい。誰かが正しく、私が間違ってる、

あるいは、あれがよくて、それがわるい。

そういうことではなく、神は、ただ”人間の滅びの根本と真の真理”を正しく知りなさい。といわれる

 

うむ。

 

”主は生きておられる神の御子キリスト”

そのひみつを正しく知る者に、その信仰の岩の上に、主が主の教会をたてられ、それはハデスの門を打ち勝つことはできない。そして、天の御国のカギをわたされる。

そのカギは、天でも解き、地でも解かれるマスターキー。

 

 

ひみつ♥

 

 

 

<マタイ16章13-20節>

13 さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」


15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

17 するとイエスは、彼に答えて言われた、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天でも解かれています。」

20 そのとき、イエスはご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。

 

初めてブログを書いてみる

 

何のために書くのか、何のために思いを綴るのか

この文章を通し、多くの人と交わりたいとそう願うから

 

何の知識も教養もないけど、ただ、その日その日あたえられた神からの恵みの中で、今日私を生かして下さった1日が、どんな日だったのか残していきたい。

そして、その神の恵みが、今も苦しむ者の支えになってほしいと心から願う。

 

今日も神に感謝し祈りをする^^

今日も私と共におられる主

 

 

 

<ヨシュア書1章5〜9節>

5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。

7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。

8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。

9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」