京都で心屋智子さんのカタヨガに

参加してきました。



https://ameblo.jp/scene-nya/entry-12638130815.html




智子さんに会ってみたい!

 

そして

 

もっと自分と繋がってみたい!

 

どう繋がるのかはわからないけど

 

行けばわかる!と数十分後には

京都行きの切符を買っていた。

 

 

 

 

カタヨガを始めるとき

 

自分の今の状態について聞かれて

 

「心はリラックスしてるけれど

お腹に力が入ってる。」

 

と答えた。

 

緊張している。

力んでいる。

 

心と体が噛み合っていない。

 

そんな感覚。

 

ヨガを始めてからも

まだ身体はピクピクしてた。

 

 

 

智子さんのカタヨガは

 

しっかり!ではなく

 

6割の力で

むしろ力を抜いて

 

ポーズをとる。

 

誘導をしてくれるけれど

 

お手本を

お手本とせず

 

自分自身と繋がることを

大切にしてくれる。

 

 

声を聴きながら体を動かし

 

こんなに丁寧に

自分の体に触れたり

意識をして、ひとつずつ動かしていくのは

いつぶりだろうと思った。

 

そして、

少しずつ体に集中し始めたとき

 

気づいたら泣いてた。

 

泣いてる?って

自分で自分にびっくりした。

 

 

 

 

今、

 

呼吸ができるのは

 

心臓が止まることなく脈を打つのは

 

この体が動いてくれているから。

 

京都まで来れたのは

 

この足が運んでくれたから。

 


体のひとつひとつに

 

フォーカスをすると

急に感謝が溢れてきた。

 


わたしの体は一つだけれど

この体はいろんなパーツから出来ていて

 

それらがひとつとなり

 

それぞれの役割を果たすことで

 

命をつなぎ

命を支えてくれている。

 

それに気づいたとき

 

体の違和感はなくなって

何もなくなった。

 

溶けたような不思議な感覚。

 

心と体がやっと繋がった。

 

 

 

 

体は

 

この命をつなぐために

 

年中無休で働いてくれている。

 

無茶にも付き合い

 

時には自分自身を壊して

シグナルを送ってくれることもある。

 

 

未来を思い描いたり

 

理想に向かっていったり

 

思考やマインドを変えたりすることは

 

今、ここにはないような

でも、きっとどこかにある

そんな世界のようなことで

 

現実というものが

今、ここにある世界だとするならば

 


その世界と現実を

 

未来と今を

繋いでくれるのは

 

この体ではないかな。

 

その世界と自分を繋いでくれる。

 

とても大切な役割を担うもの。

 

 

それなのに

 

ろくに栄養も与えず

休みも与えず

声も聞いてあげられず

 

優先度も決して高くはない。

 

わたしはそんな風に生きてたなと

思いました。

 

 

あなたはどうですか?

 

 

 

当たり前のようなことが

実はそうではないということを

 

わたしたちはどこかで知っている。

 

 

「大切なもの」を大切に。

 

その

 

「 大切なもの」の中身を

 

わたしは今、見直す時期みたいです。

 


体験して、体感して。

 

もっと根本に戻っていく。

 

思い出していく。

 

繋がっていく。

 


 


 


カタヨガ、本当に おすすめです。


ここには書いてないけど


智子さんの問いも


わたしは好きです。







京都の紅葉も綺麗でした。




繋がっていこうね。