以前、天河神社の柿坂宮司さんがおっしゃっていた言葉に、
「歩くことも祈り」という言葉が、聞いた当時は衝撃的でした。
でも、よくよく考えたらそうなんですよね。
だって、
祈りとは、「意を宣る(のる)」が語源なのだから。
自分の意志が行動に出ていない人なんてどこにもいないのに、何故か、何かに対して一つの想いを集中させたときに、
その祈りだけ別の何かのように見てしまう。
これは、西洋文化の成れの果てなのかもしれません。
日本人なら、語源を理解すれば、当たり前で普通の事。
そんな風にスピリチュアルって、日本人にとっては当たり前だったことを、おかしな解釈で偏見を生み出されてしまった産物なのかもしれません。
もっと、自分を良く知るように、
本来の日本というものを深く知って生きたいものですね
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