女にのめり込む理由が分からないまま、夫と女のメールのやりとりの頻度は
相変わらず尋常ではなく、ハートマークで埋め尽くされたそのメールに私は
ただ絶望する日々を送りました。
 
夫がのめりこんだ相手がなぜ50歳にもなる女なのか・・・・。
当時は、全く理由も解決する答えを見つける事もできませんでした。
 
今思うのは、その相手は、20歳の若い女の子でも、30歳の独身でも、50歳の既婚おばちゃんでも
誰でも良かったのではないかと思っています。
 
誰が夫の前に現れても。
夫に近づき、モーションをかける人に恋をして、のめりこみ、切らなければいけない関係を都合よく、のらりくらりとかわしてあたかもその人に本気で恋しているように演じる事が出来たのだと思います。
 
そして、その誰にも恋をしていませんでした。
でも、正確には、恋をしていました。

自分に恋をしていました。
 
恋をしていたのは、相手の女ではなく、全てを認めてくれるその世界と自分に。
快楽を与えてくれるその環境に。

自分を認めてもらいたい、そんな些細な気持ちが、深みにはまり、これをやめるには自分を否定する程の勇気が必要なのでしょう。

承認欲求から生まれた恋は、普段使わない言葉と絵文字を多様して、演じなければいけないほど中毒性があって、気づかないうちにどんどんと病んでしまいます。

この恋の覚め時は、それに引っ張らて病んでしまった妻の回復と、妻から承認欲求が満たされた時なのかもしれません。