今年一年の休みを振り返ると、ほとんどが仕事で忙殺された。

でも、実際のところ、仕事をしなくてもいい日だってたくさんあったはず。

今日だってそうだ。何でダラダラカフェにいるんだろう。。

答えは本当にシンプルで、遊びたい人、会いたい人に、会えないから。

結構友達が多いほうだったが、年をとるほどに本当に心から笑える相手は減ってきた。
会いたい奴は、会う前に何も心配なんかしない。
何して遊ぶかなんて、その場で思いつくだろうし、楽しいに決まっている。
お互い会う前からワクワクしているし、会えば心の底から笑える。
そんな奴は、今の東京にはいない。

こんなことなら、もっと広く友達と遊ぶべきだったと後悔する。
特に大学の後半は、結構友達を増やすことができたのに、大事にできなかった。
会いたい人がいると、それに満足してしまうのが自分のいけないとこなんだろう。

数少ない友達に連絡したら、こんなことを言われた。
「今まで会った中でお前が一番人間的な魅力や力強さを感じる。そこが一番の強みだろ?」

耳が痛い言葉だった。
何故なら今営業で一番欲しい、足りない力こそが、人間的な魅力であり、一番欲しい力だから。
人間性の問題が、今の自分を取り巻く様々な問題の元だから。
今の自分は、ただの1人の感情を動かすこともできやしない。

何故こんな冴えない自分になってしまったんだろう。


この世の中は、思い通りにいかないことだらけだ。
自分の影響の範囲だけに注力していればいい問題なのに、
解決したい問題は、自分の影響の範囲外の、はるか先に見える。

もやもやしてばっかりや。
読んでくれている人に申し訳ない。
助けて欲しいと思って書いてるわけではないのだけども、
誰かに知って欲しいから書いているんだろう。
そういう自分が情けなくて、さらにみじめな気分になる。

情けない、本当に情けないので、
っこのブログも終わらせることにします。


こんなところでうじうじ書いていても一歩も前に進めないので、
色々行動してみて、

それで、何かを乗り越えたら、また再開したいと思います。


とりあえず、さようなら。
今年一年の休みを振り返ると、ほとんどが仕事で忙殺された。

でも、実際のところ、仕事をしなくてもいい日だってたくさんあったはず。

今日だってそうだ。何でダラダラカフェにいるんだろう。。

答えは本当にシンプルで、遊びたい人、会いたい人に、会えないから。

結構友達が多いほうだったが、年をとるほどに本当に心から笑える相手は減ってきた。
会いたい奴は、会う前に何も心配なんかしない。
何して遊ぶかなんて、その場で思いつくだろうし、楽しいに決まっている。
お互い会う前からワクワクしているし、会えば心の底から笑える。
そんな奴は、今の東京にはいない。

こんなことなら、もっと広く友達と遊ぶべきだったと後悔する。
特に大学の後半は、結構友達を増やすことができたのに、大事にできなかった。
会いたい人がいると、それに満足してしまうのが自分のいけないとこなんだろう。

数少ない友達に連絡したら、こんなことを言われた。
「今まで会った中でお前が一番人間的な魅力や力強さを感じる。そこが一番の強みだろ?」

耳が痛い言葉だった。
何故なら今営業で一番欲しい、足りない力こそが、人間的な魅力であり、一番欲しい力だから。
人間性の問題が、今の自分を取り巻く様々な問題の元だから。
今の自分は、ただの1人の感情を動かすこともできやしない。

何故こんな冴えない自分になってしまったんだろう。


この世の中は、思い通りにいかないことだらけだ。
自分の影響の範囲だけに注力していればいい問題なのに、
解決したい問題は、自分の影響の範囲外の、はるか先に見える。

もやもやしてばっかりや。
読んでくれている人に申し訳ない。
助けて欲しいと思って書いてるわけではないのだけども、
誰かに知って欲しいから書いているんだろう。
そういう自分が情けなくて、さらにみじめな気分になる。

情けない、本当に情けないので、
っこのブログも終わらせることにします。


こんなところでうじうじ書いていても一歩も前に進めないので、
色々行動してみて、

それで、何かを乗り越えたら、また再開したいと思います。


とりあえず、さようなら。
存在価値を問われる
キチリンという、いつも読んでるブログの中に、こんなエントリがあった。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/touch/20101028


新しい技術やビジネスはどんどん生まれ、その度に今まで与えることのできた価値を問われ、必死になって新しい価値を生み出していかなくてはいけない。

このブログを読むと、自分の仕事やお寺のことを不安に思う。

紙媒体という、メディアの新しい付加価値とはなんだろう?

お寺の檀家制度から生まれる、なくなった方への葬儀や家にお参りにくるといった行為は、どんな価値を今の若い人に与えて行くのだろう?

自分の周りは、常に変化で溢れている。その中で、自分はどうありたいか。どんな価値を自分自身で感じられるか、常に意識して生きていかないといけない。

なんか大変息苦しく感じる内容やけど、こういう変化は、自分は好きだ。
苦しいこともたくさんあるけど、変化は自分自身の成長につながるから。

一番心配なのはお寺や宗教の在り方。

今の団塊世代の葬儀がある間はお寺は安泰だろう。葬儀ビジネスも本格化して、葬儀の在り方は世間の注目分野になるかもしれない。

その中で、お寺はどういう存在価値を生み出せるのか。
もはや『たたりがでる』ような時代でもなく、『家』の宗教という考えは核家族が増えたことで崩壊し、それぞれが、仮に家族でちがう宗教でもかまわない、『個』の宗教と移り変わって行くだろう。

いや、そもそも無宗教とうたう人が増えて純粋に宗教という価値観はなくなるかもしれない。


こんな状況にありながら、うちの宗教本部では呑気にかまえている。

果たして俺が年をとった時、お寺はどんな価値を、与えているのだろうか?

俺もその価値観を生みだす一端になれたらと思う。