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志万田さをり

昭和レトロな歌謡ブルースシンガー

はじめましての方も、

何かのご縁で志万田を知っている人も

ブログをご覧いただきありがとうございます!

 

シンガーソングライターで、活動家、そして

ボイストレーナーの志万田さをりです。

(ややこしいので、アーティストで!)

 

自主レーベルAllyMusicより、

主催イベントのお知らせです!!!!

 

 

sisterhood

毎月第2木曜日

Live Space 早稲田 RiNen

 

愛想笑いの 後で

いつも 押し殺してきた

怒りも 悲しみも

いつしか 傷ついたことにすら

気づかなくなっていた


息をひそめていた

あの日の私が

ここにいるよと 叫んでる

この声で この体で

生きているよと 叫んでる



私の色を解き放つ


#metoo は、生きづらさに名前をつけてくれた。

#withyou は、生きづらさを言葉にする勇気をくれた。


それでもまだ、言葉にできない痛みや悲しみが、

ふとした瞬間にやって来る。


そんなとき、映画の世界に逃げ込んだ。

そんなとき、貪るように音楽を聴いた。

そんなとき、一冊の本を読みふけった。

 

 それぞれの物語が交差する 『sisterhood』。

毎月第2木曜日 早稲田リネンにて開催!!

 

 

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ブログのお引越しをして告知するほど、

気合の入った企画です。

 

自己紹介ブログでもがっつり書いてきたように

①シンガーソングライター

②活動家

③ボイストレーナー

 と、これまで光の指す方へ突き進んで参りました。


sisterhood はそんな私の集大成。

これからのライフワークを賭けて創造したい

ソーシャル・メッセージイベントです!


かつて2年ほど前に「みだれ髪」という

女性アーティストのイベントを主催したことがあります。


明治時代、家父長制 真っ只中の世の中で

赤裸々な胸の内を歌ったのが与謝野晶子でした。


与謝野晶子の生きざまと、

表現のインパクトに感化され



 

もっともっと自分の表現者としての

力、クオリティ、クリエイティビティを

社会に向けて発信していきたいという

 

ほんとまさに野望・・・!

 

 

若い子たちには「私にもできる!」って思ってもらいたいし

ウーマンリブの先輩たちには「やっとこんな時代がきた!」って思ってもらいたい。

 

そして将来的には、アジア全体と繋がる sisterhood なイベントに育てていきたい。

 

もちろん、女性のみならず、男性、LGBTQ、国籍人種問わずウェルカムなので

一緒に企画を盛り上げたい方、手伝いたい方、どうぞご一報ください♪

 

 

 

 

三回に分けてお贈りして参りました、

志万田さをり、自己紹介記事のラストです!


今回は、私がボイストレーナーになった経緯(イキサツ)について。


ええ、そーなんです。歌のレッスンしてるんです。

ボブ・ディランに憧れて、パティスミスに魅了され、


『きれいで上手いだけが歌じゃない!

  詩なんだ!言葉こそ全てだ!』


と、声楽的なことを重視して来なかった

若かりし頃の志万田ですが。

今や歌の先生なんです。

人生ってわからない。


私自身、自律神経失調症や鬱、PTSDなどを

ここまで寛解させてくれたのは

歌の力だと思ってます。


歌うことは、心身にとてもいい効果があることを

身をもって経験しているので

もっとたくさんの人にボイトレを知ってもらいたい。


ボイトレは健康や美容にいいことはもちろん、

呼吸や声が楽になると、

自分に自信が持てたり、

コミュニケーションが楽になったりする。


私にとって『詩を書いて歌う』ことが

世界と繋がれる方法でした。


声の障壁がなくなる ということは

心の障壁がなくなること。


心の中にある 小さな壁をなくすこと。

それが広がって、コミュニティへ、社会へ、世界へ繋がっていく。


「ボイストレーナー」という仕事で

一人でも多くの人の声を、心を解放することが

私の仕事。


それがこの星で

私に与えられた役割なんだと思うと

生きててよかった…!とさえ思う。


まだまだ勉強したいこと、

体得したいこと、たくさんあります。


夢中になれるものがあることに、

教室に、生徒さん達に、感謝して。

感謝の中でこの仕事を全うできたらこの上ないです。


ボイトレに、歌に、声に興味のある方は

いつでもご連絡下さい!!!


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自己紹介記事の②で詳細に書き綴ったけれど、
友人の言葉を、時々思い出します

「世の中には 2 種類の人間がいる。
 一つは物語を書く人で、
 もう一つは、物語を読む人。
 さおりは書く人だと思うよ。」

刑法改正や、#MeToo や、フラワーデモが始まったことで、ほんの少し、私が背負ってきた肩の荷が軽くなったと思う。

これからの社会

やっと、私のことを伝えることができる。

やっと、彼女のことを伝えることができる。

この過去の重荷が減ることはないけれども、
「一緒に持つよ」って言ってくれる
仲間に、これから出会えたらいいなぁ。

「持ち寄った花を、私の友人に、

   手向けてあげてほしい」


4/11の東京でのフラワーデモで、

私はそうスピーチした。

するとその夜、twitterに花の写真を上げてくれた人がいた。
私の話したエピソードと共に。

人は信じるに値するということを

私はその夜、教わった気がする。

これほどの多くの物語を残した彼女のことを、
伝えないといけないって、強く思う。

一人でも読む人がいるなら
私は書いて、伝えていきたい。

きっとそれは、人前で歌う人間の

使命というものだろう。

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日本のジェンダーギャプ指数が110位であることについて、もはや驚くこともない。

なんだその太鼓判。なんだそのお墨付き。


身をもってそのランキングに相応しい経験をしているせいで、

「だから私や、彼女や、あの子たちは、こんなにも不自由だったのか」と、

納得以外の何物でもない。

じゃあそのまま次の世代に、

このジェンダーギャップをお下がりさせるのか。


私が今、日本に生まれてきた赤ん坊だったら


『そんなお下がりいらんわ。』


そう冷たく言い放つだろう。

だからなんとしても食い止めたい。

良いものにしたい。


女に生まれてきたことを、

呪わなくていい社会にしたい。


そして自分が女に生まれてきたことを、

自分自身に許してやりたい。


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私が声の重要性に気付いた出来事をもうひとつ。
当事者として声をあげる大変さについて書きたい。


Springに加わってから
当事者性を自分の中に置いた状態で
意見する機会が何度かあった。

トラウマを想起し、言葉にすることは

とてつもない負担があった。

例えるなら、複雑骨折した骨が間違った形で繋がってしまい、何年も、何年も放置されていたものを

無理やり正しくつなぎ直すような
そんな心身的な痛みすら伴った。

どうして当事者がこんなに強くならなきゃいけないんだ



▼声を上げる仲間との出会い

Springの活動の中で、省庁の方々と意見交換をする機会があった。




講演会で長時間話すけれども、

デモやパレードで


▼たくさんの当事者
難病の団体、自死遺児の団体、
そしてもっとも印象にのこったのが
元受刑者の団体だ。


 

 

 

もっともっと

夢を語る女性を増やしたい

理想や政治を語る女性がたくさんいる世界にしたい

 

 

音楽は 抑圧の対極にある。

 

歌は 抑圧の対極にある。

 

だから私は、

音楽家として、

活動家として、

ボイストレーナーとして、

残りの自分の人生を、

命を全うしたい。

 

抑圧的な社会でアーティストの「表現力」は

きっと可能性そのもの。

 

音楽に政治を持ち込むな

という主義主張が根強い風潮がまだまだあるけれど

 

だったら私は、政治に音楽を持ち込もうって思う。

 

肌で伝わる問題提起ってやつだ。

 



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今の私の将来の夢はこうだ。

シンガーソングライターとして
“政治的なメッセージソング”という音楽ジャンルを
もっともっとポピュラーにすること。

私の歌を聞いて育った女の子が
『政治家になりたい』と
私のボイトレを習いに来ること。

虐待や差別や貧困の中で育った子が
『活動家になりたい』と
私のボイトレを習いに来ること。


『メッセージソングが歌いたい』と
私に対バンを申し込んでくること。。。



だから、まだまだ頑張らないといけん!!

 

” シンガーソングライターの私 ” について書いた

前回のブログ記事に引き続き、自己紹介ブログ② !

書かせていただきます🙇


私は今、一般社団法人Spring のスタッフとして

性暴力の問題に取り組んでいます。


それも、刑法性犯罪の改正…。

要するに性犯罪の加害者を処罰する法律のことです。


む、むずかしっっ…!


上の一文だけでブラウザの「閉じる」をタップする人が何人いるんだろうか…。

大丈夫、怖くないですよ!!!


さて。

この活動に私が加わったのは

自分自身が当事者として長い間

困難を抱えてきたから。


治療・療養と向き合う生活が数年続き

その間に出会ったり、

言葉を交わした人の中には

自分よりも深い傷を負わされ、

孤独のなかで苦しんでいる人もいました。


なかったことにされている側に

立たされてしまったからこそ

見てきたものがあります。


何も悪いことをしていないのに

ただ女に生まれたというだけで

性暴力の対象となり

より過酷な人生を歩まされる理不尽さ。


私にはまだなにか

できるんじゃないか…


時おりぶり返すPTSDに翻弄されながらも

チキショー

チクショー

こんなんで私の人生が終わってたまるか…!


そう自分を奮い立たせ

私はステージで吠えていた。


行き場のない苛立ちや

世の中に対する怒りを


逃げ出したくなるほどの

哀しみや 孤独や 虚しさを


歌にして吐き出すことで

私は自分の中に受け入れてきた。


政治家やメディアを風刺する歌を歌っていた私が

今では直接、国会に行って

会って話して関係を作っている。




小学校から高校、そして24歳でこの世を去るまで

私の友人だった

生きる上で大切なことを

その命で教えてくれた

今もなお心の中で生きている、友人だ。

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彼女が育った家には虐待があった
一人っ子の彼女は常に、親から監視されていた。

まだケータイ電話もない時代

私との電話のやり取りは、親機で聞き取られていた。


自殺未遂で一命は取り留めたものの
一時期、車いすの生活をしていた
リハビリのため親戚に面倒を見てもらっていた時期があったのだが
そこで彼女は性虐待を受けた。


マンションの屋上の柵を隔てて
私はそのことを聞いた。

それほどまでに性暴力は彼女を追いこんでいった

こんな世界を変えたい。

世界は何もなかったようだった。
彼女が生きていたことも、
彼女が死んでしまったことも
まるで全てが幻だったかのようで
私は鬱状態を数年引きずった。

 

 

音楽活動をつづけながら、トラウマ症状との療養は続いた。

完全に社会に出遅れてしまった焦りと

どうすれば社会に追いつけるのかまるで見えなかった。

 


自助グループ

シェルターシンポジウム

「私にはまだ何か、できることがあるかもしれない。」

 

ちゃんと社会にでたこともない

音楽関係のゆるい仲間としかつるんだことのない私が

果たしてここで役にたてるのだろうか・・・?!

 

 

まだ何か、できることがあるかもしれない。

「さおりは地球」

活動していて心が折れそうなとき
私はいつもある友人のことを思い出す。

 

 

はじめまして。

シンガーソングライターの志万田さをりです。


これまで自身のホームページ内で

人知れず胸の内を書き綴って参りましたが、

もっとたくさんの人に届くように

アメブロへお引っ越しを致しました。


ブログ文化が普及した、このタイミングでアメブロって…


今さら感は否めないけれども

いつだって

何かを始めるのに遅すぎることはなく

それぞれ自分のタイミングってものがあるので

気にせず書いていこうと思います!


内容はこれまでと変わらず

気ままな長文ブログになりますので

眠れぬ夜のお供になればいいなと思ってます。


(余計眠れなくなっても苦情は受け付けません!)


このブログにはまず、自己紹介として3つの記事を書きます!

ブログのタイトルに掲げた

「音楽家」「活動家」「ボイストレーナー」

それぞれの肩書きについて…。

 

アーティストの私と、

活動家の私と、

ボイストレーナーの私。


どれが私?? 

いや、どれも私!!


このスタンスで生きていこうと決めるまで、

色々と考えました。


使い分け・住み分けを

しておいた方がいいかなぁとか。


それぞれに仮名をつけようかなぁとか。


「三つの顔をもつ」

「二足のわらじ」ってな感じにしようかなぁとか。

 

なんせ日本の社会では、色んなことに手を出すと

「何がやりたいの?」と思われそうだし。うーん。


「二兎を追うものは一兎をも得ず」 とか

「浮気者」「ムラがある」なんて言われてたら、

そりゃ自尊心ただ下がりになりますよね。


でもね、

んなこたぁー気にするこたぁーねえのよ!

外からどう思われるかなんてっ!!

 

私にとっては一つも欠くことのできない、

全部大切な、私自身だし。


それぞれのフィールドでの挑戦も、出会いも、

全て自分の成長に繋がっています。


どれか一つじゃ決して満足できないから、

じゃあ全部やろう。

人生一度きりなんだから。


周りの目を気にして

代わりに自分を見失って

一生を終えたくないじゃない。


人生最後の日に、「あぁ楽しかった!」って

昇天したいじゃない。


そんな私で。

そのままの私で

生きていきたいのです。(^_^)v

 

そんなわけで。

私が何者でなぜ、3つの肩書を持つに至ったのか。

そんな自己紹介をしよう。


まずは一番私の根幹に関わっている

音楽活動のことから。。。



 

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…



 

覚えている限り、私はとても内気で

とても慎重な子どもだった。


お喋りな子ども達でいっぱいの教室には、

いつも圧倒されていたし、

(自分も子どもなのにね)


休み時間は外にも行かず、

教室で絵をかいたり本を読んだりして、

空想に耽っていた。


かけっこにしろ、何かのゲームにしろ、

勝ち負けをつける遊びが苦手だった。

足は遅く、活発な子達に気後れしていたし…、


そうそう、たとえばね、


女の子が7~8人で、みんなで腕組んで

『勝ーってうれしー花いちもんめ!』

を大合唱しててさ、

ちょっと離れたとこから私はそれを見てたの。

 

『仲間にいーれて!』とか『一緒にあーそぼ!』

の、その一言が言えなくて、

誰かが気付いてくれるのを待っているような、

そんな女の子だったなぁ。


さらに

 小学校4年生くらいから声変わりがはじまり、

男の子よりも低い自分の声に戸惑い

友人とのお喋りが億劫になっていってね。


ただでさえ内向的なのに

ますます内向きになってくわけです。。


そんなある日、

映画「天使にラブソングを」に出会いました。


とても大きな出会いの一つ。


歌と手拍子が、こんなに素敵だなんて!!

落ちこぼれのクワイアが、生徒たちが

音楽を通してイキイキと自分を解放していく。。。


何度もVHSを観て、歌を真似て…

分からない英語を耳で追いました。


いい音楽に出会うと、たびたび沸き起こる、

塞がりがちな胸の中に、光が射すような感覚。

 


そしてその頃、

テレビCMで聞いたローリンヒルの歌声に

心を奪われた。


女性のアルト声の豊かさ。。。

高く澄んだ声だけが全てじゃないんだ!!


低音女子は洋楽に希望を見出だしたのでした(^_^)v



………xxx………xxx………xxx………



初めてギターを弾いたのは小学校4年生くらい。

母親が学生時代に弾いていたという

ガットギターを触るようになった。


主に練習していたのは

ミスチルのギターソロ曲集の中にある

「ゆりかごのある丘から」という


とーっても切ない曲でした…(^^;)))

どんな歌詞かって…



………xxx………xxx………xxx………


Mr. Children / ゆりかごのある丘から


あぁ僕が戦場に行っているその間

君はもう違う誰かの腕のなか

そして僕はひとり


………xxx………xxx………xxx………



こーんな切なく悲しい旋律に心引かれた

小学5年生のさおりちゃんは、

人一倍、感受性の強い子どもだったことが

よく分かりますね!


言葉にならない内向的なエネルギーが

ギターと向き合うことで

居場所を得たような気がしました。


子どもだから言葉にできないけれど、

多くのことを感じ取っていたんでしょう。


そういえば当時の文集に、

なかなか味わいのある詩を書いてましたよ。


………xxx………xxx………xxx………


ぞうきん


よごれて やぶれて 穴があいて

でもね

きたなくなればなるほど

教室はキレイになる


………xxx………xxx………xxx………


やっぱり当時から、物事の光と影を見つめてたんだなぁ…



 ………xxx………xxx………xxx………


内向きな自分が大嫌い。


とにかく主張ができなかった。

あそんでてもそう。

先を譲るか、仕方なく引き受けるか。


 

世の中の歌に、私の気持ちが歌われてないという孤独。

 

高校を卒業し、大学に入ったころ、私のパニック症状はピークにあった。

常に憂鬱か不安に苛まれていて、原因も分からず、

 

ネット依存気味になり、ケータイ通信費が2万円を超えたことがあった。

 

 

自作の曲での初めてのライブ。

暗闇の中に人の気配がして、緊張と、恐怖にも似た不安で

私はステージで泣きそうなほどだった。

 

ライブを終え、恐る恐るフロアに降りると、お客さんが声をかけてくれた

「あの歌よかったです」

 

まったくちゃんと歌えてなかったに違いない。

にも関わらず、歌がその人の耳に届いていた。

 

その時初めて、自分の世界が外の世界とつながったような

自分の存在を認めてもらえたような

そんな感じがした。

 

それからというもの月2本くらいのペースでライブ出演をするようになった。

曲もどんどん書けた。

 

 

トラウマが蘇り、引きこもり。

 

 

 

 

詩を書くことで、詩を歌うことで、人前に立つことで、

私は自分という人格を手放さずに生き抜くことができた。

 

”天賦の才能” なんて言葉があるけれども、

この言葉を生み出す力は、他でもない私を救ってくれた。

 

残りの人生ではこの力を、

誰か、苦しみの中にある誰かのために

使いたいと思っている。