今の気持ちを何と言えばいいのか…

怒りに似た、腹立たしさもあるし。
裏切られたような、悲しさもあるし。




でもやっぱり、がっかりとした気持ちなのかな




実家がとうとう引っ越しをした。
都内の一等地にあったマンションから、母の生家があった、ど田舎に家を建てた。


今回のことで70と80に近い老人2人が、引っ越しをするということは、本当に無謀なことだということを知る。


引っ越しは、いくら人手を借りても指示をする必要があるし、取捨選別は自分たちで決めなきゃいけない。


でもそれが、その年になると、全くできない。
とっさに決めるということができなくなっているのだ。


軽い気持ちで手伝いに来たが、結果としてかなり仕事を休んで、手伝うことになった。


荷造りと新居に置く場所の指定
廃棄大型家具の指示
開梱と収納、ゴミの分別


終盤、見た目にも、父母は疲れているように見えたし、連日往復8時間の移動は、私にも堪えていた。皆、限界だったのだろうと思う。

だから、すっかり通信環境を整えるのを忘れてしまった。母のらくらくフォンでは、あっという間に通信制限がかかってしまう。
毎日、猫の動画を見るのが楽しみだといっていた母に、早く無線Wi-Fiを設定してあげたかった。

しかし、今は契約者以外が手続きをすることはできない。無線LANの訪問設置をしてほしいと頼んでも、契約者が申し込まねばならない。まずそこができないのに…


そのため、色々と確認する私に母は、
もういいから、ゆっくりやるからねと言った。
そしてその夜、叔母(母の姉)から長文が送られてきたのだ。



要約すると
母はもう限界であること
何を言われても、頭がぼうっとして何も考えられないこと。
私に助けてほしいことがあったら、母から連絡がくるから、それまではほっといてあげてほしい。



と、言うことだった。

母が姉(叔母)に、愚痴ったのだろう
そのことが私に伝わる事は誤算だったかもしれないけど、母が思うより叔母は、妹思いの正義感の持ち主だったようだ。


とても、ショックだった。
そして疲れもあったし、PMSもあったし
ひどく落ち込んだ。

翌日、車を出したら何もないまっすぐな道で、対向車もいないのに、壁にぶつけて左のミラーが綺麗に飛んでいった。

思ったよりも、私の精神状態は不安定だった。



そこから少し日がたって
私からの連絡はしていない。



改めて溢れた感情の精査をしてみると
尊敬する母にある脆い部分と、自己中な面と、それを露呈させる老いに、私がついていけなかったのかもしれない。



老人というのはそういう事なのだな
配慮という感情から先に切り離されるのかもしれないな


介護という2文字が、よりリアルとなった2024年1月の備忘録