日記についての話だったから、私も今日から日記をつけてみる。
本の内容に驚いた。
「ものを書く」ということについて、 私がずっと父親に言われてきたことだった。
「『美味しい』じゃなくて、別の言葉でその味を表現しなさい」「その美味しさを何かに例えてみなさい」
幼少期から言われてきたことが、そのまま書いてあった。
あの時はめんどくさいなあと思っていたけど、今ならわかる、そういうことか。
昔父に言われてわからなかったことが、今になってわかるという現象が、大人になってからよくある。
特技を見つけなさい、とか
選ばれる側じゃなくて選び側になりなさい、とか
何か一つを続けてみなさい、とか。
全部言われた時はピンときてなかった。
そんなこと言ったってさ!とか、
そういうことじゃないし!とか思ってた。
でも、歳を重ねてわかる。そういうことなのだ。
当時の自分ができなかったことを責めるつもりはない。だってその時はその時で精一杯やってたと思うし。
でもいまだに壁にぶち当たった時に、ああ散々言われてきたじゃんね、と思ってちょっと虚しくなる。昔から、何も学ばない人間なのだ。
一方で、それだけ大人になったんだとも思う。 大人になったと言いますか、歳を重ねたんだよね。
この感覚は最近も抱いたことがあった。 先日、東京現代美術館で岡崎乾二郎さんの展示会に行った時だ。 展示されているものは「まさにアート」といった感じで、一見ゴミのような芸術品ばかり。(失礼な言い方すみません、でも本当にゴミと間違われて捨てられちゃったこともあるってご本人も解説に書いてた。だってダンボールの切れ端みたいなやつなんだもん)
父もふんふん言いながら、時に苦笑いをしながら(圧倒されたのだと思う)美術館を一周した。
そして、「やっぱり天才というのは一つのことをひたすらに続ける才能のある人だね」というようなことを言っていた。
そうなのだ、あのダンボールの切れ端をあんなにたくさん作っている。アート初心者にはそれ以上の、作品の意味とかそれが訴える社会問題とかまではよくわからなかったけど、まずあれを作り続けていることがすごい。それ以降も、彫刻とか、ペイントとか、タイルとか、イラストとか(これが初心者には一番わかりやすかった)色々なアートがあって、とにかく自分の世界観を突き詰めている感じがすごかった。身体を壊してまでも絵を描いていた。あれが彼の人生なのだ。命なのだ。 しかももちろんそれが世界的に評価されている。 いいなと思った。
「君は天才じゃない」 とこれまでの人生何度も何度も言われてきた。 父にも言われたし、仕事で出会った方、脚本でお世話になった諸先輩方からも言われてきた。 自分でもわかってる。私は天才じゃない。
天才だったら今こんな場所にいない。こんな鬱屈とした日記を書いていない。そんな時間もないくらい創作に没頭するのだろう。 机に向かうのがめんどくさいとか思わないし、次何書いたらいいのかってことで悩まない。暇はしないし、SNSのフォロワーだって多い。世間が放っておかない。世界は天才を求めている。
そんな中で、表現の場所に身を置いている。憧れている。 天才じゃないのに、しがみついている。 だったら、やるしかない。
まつんとラインしていて「千葉雄喜」さんの話が出た。 よく知らなかったけど、「チーム友達」の歌は聞いたことあった。 今世界的に一番売れている日本人の一人らしい。 そこでおすすめされた「宇多田ヒカル - 忘却 featuring KOHH」を見た。 歌自体は私はよくわからなかったけれど、前半のMVの映像にグッときた。人間の生命維持活動。 感謝が込み上げてきた。 私も今生きてるじゃん。体まじありがとう。 生きてくれてるのに、血を運んで、心臓動かして、新陳代謝して、栄養届けてくれてるのに、まじずっと怠けててごめん。 せっかく生きてるなら、死ぬまでにやっぱなんかやりたいっすわ。 自分だけの世界を作りたい。ちゃんと爪痕を残したい。このままじゃ死ねない。 明日死ぬならもう何もしないと思う。 でも、年末に死ぬとしたら、一本書き上げてから死にたい。 はい、とりあえず初日はこんな日記。 「寂しい夜には〜」に書いてあった日記のコツを何一つ生かせてないけど、まあいいか。 とりあえず10日間は続けよう。 曲を出したけど何の反響もなかった。 多分、天才は反響とか気にしない。 自分がやりたいからやる。それだけ。
