「子供の頃、こんな風景があったなあ」とおもって、作ってみました。
板間を雑巾で拭いている景色です。
そういえば、学校の廊下や教室も拭いたなあ。
題して、福拭くです。
これは、販売は致しません。自分のために作りました。
「子供の頃、こんな風景があったなあ」とおもって、作ってみました。
板間を雑巾で拭いている景色です。
そういえば、学校の廊下や教室も拭いたなあ。
題して、福拭くです。
これは、販売は致しません。自分のために作りました。
図書館の書棚で、「セックスの哀しみ」という本が目に入った。「こんな本が公共図書館に?」と思いながら、つい取り出してめくってみた。そして「なんだこりゃ?」と思った。期待した(?)性描写の本ではない。ショートショートだけ。しかも今まで体験したことの無い不思議な内容。
貸し出しを受付に申し込む。係の女性は平静を保って、いつものように、事務的に対処してくれた。ちょっとがっかり。
バリー・ユアグローというアフリカ生まれの作家の本。私より少し若いようだ。柴田元幸という人の訳。
原題は、THE SADNESS OF SEX だから、ほとんど直訳の本だろう。
さて、このセックスとは? 思うに、いわゆる「人間性」とか、「性質」とか、「関係性」とかの「性」だろう。
なるほど、なかなか本質的捉え方だ。
まあ、荒唐無稽で何でもありだ。しかし、どこかに誰もがもっている人間の性(さが)が書かれていて、楽しく読んでいる。
「こんなの、オレも書いてみたい」と、ちょっと、そう思った。
このごろ、昼寝欲望が多くなった。
いや、昼前には眠くなり、飯を食ったら眠ってしまう。それでいて夜は睡眠の満足感が無い。
かかりつけ医に睡眠導入剤を処方してもらって、常用する情け無さ。
「昼寝をすれば眠れないのは当然だ」と医師も言うし、それはそうだと、了解するが、
明るい日中に、眠くなる。
一案を考えた。
昼食後にコーヒーを飲もう。ブラックで。
と言うわけで、きのうから実践。
ネスカフェ・ゴールドブレンドだがね。
さっきも飲んで、今、午後2時34分。まだ寝ていない。
この術、効き目あるかなあ。
お隣のSさんにヒマワリの種をもらって植えた。
1メートルくらいに成長したが、なんと、Sさんのは3メートルにも伸びている。
同じ種でも、育て方でこれほどちがうんだと、感心したり、自分の育て方のまずさに悲嘆したり。
ヒマワリって、太陽に向かって花の向きが変わると聞いていたが、確かに、夕方には西に花のつぼみが向いている。
まだ花は咲いていないが、そのことだけはちゃんと確認しようと思っている。
わが、育ちの遅い ヒマワリよ。
ようやく、齋藤幸平氏の「人新世の資本論」を読了した。
文中、こんな箇所があった。
ある経済学者の論文を引用して、
「世の中には無意味なbullsyit job(クソくだらない仕事)が溢れていて、そんな彼らが高給を得ているが、essential work(必要不可欠な仕事)をしている人が貧困に喘いでいる」と言うもの。
さて、私のやっている仕事は「必要不可欠な仕事」ではない。では「社会悪か?」
待て待て、私は高給を食んではいない。世界旅行も、ブランドも、ゴルフも関係ない。
と、心落ち着かせた次第。
少なくとも、私の張り子を喜んで下さる方がいるのは、事実のようだ。
当地には「ばしょう菜漬け」と言われる漬物が昔からある。
ちょっと辛くて、バリバリした食感。冬の副食として御飯と食べると、食が進んだものだ。
似たようなものに、「野沢菜」や、「高菜漬け」があるが、当地の人は、「あれとは違う」と、郷土食自慢をする。
植物的分類(素人の)では、これはカラシナ科であって、バショウ科ではないのに、どうしてバショウと言うのだろう。
奥の細道の松尾芭蕉となにか関係があるのだろうか。
そもそもバショウ科にはどんな植物があるのだろう。
なぜ、同じ岩手でも、限られた地域でだけで言われるのだろうか。
興味は尽きない。
今日得た情報では、地元の種屋さんで種を売っているらしいので、今年は植えてみようか。
ただ、野菜を満足に植えて育てる自信が無い。植える畑も無い。さて、どうしよう。
今日で八十路となった。
八十路は「やそじ」と読む。念のため。
では「九十路」はどう読む?
「くそじ」と読んだら叱られる。「糞爺」と思われるから。
「ここのそじ」と読むそうだ。
娘たちから「おめでとう」のメールが来た。
返信に
「あわよくばと思いし八十路となりにけり」と、駄作を送った。
朝のラジオ体操、試しにスマホを尻ポケットに入れたまま、第一も第二もやったら、なんと、120歩を計測した。
消費エネルギーで計っているのか、揺れで計っているのか。
「それが疑問だ!」
とは、シェークスピアの真似っこ。
ある日 熊さんが 電車にはねられた
熊さんの 言うことにゃ
こんなとこ 電車が通るから いけないんだ
スタコラ サッサッサノ サー
熊さんが はねられた♪
これが先日の近所の東北本線。
子どもたちが通う近所(と言っても子供の足で40分以上)の小学校の近くにも
熊さんが出たってさ
スタコラ サッサッサノ サー ♪
北上駅の近くにも熊がいたってさ。
新聞に写真載ってた
さあ大変だ、どうしましょう。
共生なんかできないよ。なにしろ相手は襲ってくるんだから。
どうしたらいいか、なんて、オレ、分からない。
とにかく、「気を付ける」しか無いか?
大型店などに買い物について行って、待っているのが辛かった。
立っていられない。椅子を探して座るのが常。
美術館や博物館も見て回れない。
去年、信頼できる指導者(どんな資格を持っているか、何と言う職業なのかは知らない。ただ、直感で信頼できるとおもった)に自宅に来ていただいて、治療と、ストレッチの指導を得た。
言われたとおりに毎日やった。
今は、随分楽になった。買い物にもついて行けるし、美術館にも行けるし、先日は片道230㎞を車で福島まで行ってきた。
そうそ、毎朝のラジオ体操は5年以上は続けている。
あ、今6時23分。そろそろ体操の時間だ。「腕を前から上げて背伸びの運動」から始めよう。
10年ほど前からやっている趣味の講談。
師匠(宝井一凛師)に、「黒塚を読んでみろ」といわれている。
黒塚とは、福島の二本松に伝わる「安達ケ原ものがたり」で、鬼婆が死んだ塚が「黒塚」と言われていて、現存している。
HPで調べてみると、能や歌舞伎、神楽などでは演じられているようだが、講談では読まれていないようだ。
となると、自分で書かねばならない。
「講釈師 見てきたようなウソを言い」とは言うが、やっぱり現場を見ようと、ひと月ほど前、行ってきた。
ここで、鬼婆の名前が「岩手」だと、改めて確認。
しかし岩手県人としては、どうしてもこの名前を使うのにはためらいがある。
そこで今、鬼婆の名前を考えている。
そもそも、なぜ鬼婆が「岩手」だろう。
思うに、住んでいたのが岩屋だったから、もともとは「岩女(いわめ)」だったのではないだろうか。
それが変じて「岩手」になったのでは?
そんなことを考えながら、鬼婆の名前、考案中。