ようやく、齋藤幸平氏の「人新世の資本論」を読了した。

文中、こんな箇所があった。

ある経済学者の論文を引用して、

「世の中には無意味なbullsyit job(クソくだらない仕事)が溢れていて、そんな彼らが高給を得ているが、essential work(必要不可欠な仕事)をしている人が貧困に喘いでいる」と言うもの。

さて、私のやっている仕事は「必要不可欠な仕事」ではない。では「社会悪か?」

待て待て、私は高給を食んではいない。世界旅行も、ブランドも、ゴルフも関係ない。

と、心落ち着かせた次第。

少なくとも、私の張り子を喜んで下さる方がいるのは、事実のようだ。

 

 

当地には「ばしょう菜漬け」と言われる漬物が昔からある。

ちょっと辛くて、バリバリした食感。冬の副食として御飯と食べると、食が進んだものだ。

 

似たようなものに、「野沢菜」や、「高菜漬け」があるが、当地の人は、「あれとは違う」と、郷土食自慢をする。

植物的分類(素人の)では、これはカラシナ科であって、バショウ科ではないのに、どうしてバショウと言うのだろう。

奥の細道の松尾芭蕉となにか関係があるのだろうか。

そもそもバショウ科にはどんな植物があるのだろう。

なぜ、同じ岩手でも、限られた地域でだけで言われるのだろうか。

興味は尽きない。

今日得た情報では、地元の種屋さんで種を売っているらしいので、今年は植えてみようか。

ただ、野菜を満足に植えて育てる自信が無い。植える畑も無い。さて、どうしよう。

 

 

今日で八十路となった。

八十路は「やそじ」と読む。念のため。

では「九十路」はどう読む?

「くそじ」と読んだら叱られる。「糞爺」と思われるから。

「ここのそじ」と読むそうだ。

 

娘たちから「おめでとう」のメールが来た。

返信に

「あわよくばと思いし八十路となりにけり」と、駄作を送った。

 

朝のラジオ体操、試しにスマホを尻ポケットに入れたまま、第一も第二もやったら、なんと、120歩を計測した。

消費エネルギーで計っているのか、揺れで計っているのか。

「それが疑問だ!」

とは、シェークスピアの真似っこ。

ある日 熊さんが 電車にはねられた

熊さんの 言うことにゃ

こんなとこ 電車が通るから いけないんだ

スタコラ サッサッサノ サー

熊さんが はねられた♪

 

これが先日の近所の東北本線。

子どもたちが通う近所(と言っても子供の足で40分以上)の小学校の近くにも

熊さんが出たってさ

スタコラ サッサッサノ サー ♪

 

北上駅の近くにも熊がいたってさ。

新聞に写真載ってた

 

さあ大変だ、どうしましょう。

共生なんかできないよ。なにしろ相手は襲ってくるんだから。

 

どうしたらいいか、なんて、オレ、分からない。

とにかく、「気を付ける」しか無いか?

大型店などに買い物について行って、待っているのが辛かった。

立っていられない。椅子を探して座るのが常。

美術館や博物館も見て回れない。

去年、信頼できる指導者(どんな資格を持っているか、何と言う職業なのかは知らない。ただ、直感で信頼できるとおもった)に自宅に来ていただいて、治療と、ストレッチの指導を得た。

言われたとおりに毎日やった。

今は、随分楽になった。買い物にもついて行けるし、美術館にも行けるし、先日は片道230㎞を車で福島まで行ってきた。

そうそ、毎朝のラジオ体操は5年以上は続けている。

あ、今6時23分。そろそろ体操の時間だ。「腕を前から上げて背伸びの運動」から始めよう。

10年ほど前からやっている趣味の講談。

師匠(宝井一凛師)に、「黒塚を読んでみろ」といわれている。

黒塚とは、福島の二本松に伝わる「安達ケ原ものがたり」で、鬼婆が死んだ塚が「黒塚」と言われていて、現存している。

HPで調べてみると、能や歌舞伎、神楽などでは演じられているようだが、講談では読まれていないようだ。

となると、自分で書かねばならない。

「講釈師 見てきたようなウソを言い」とは言うが、やっぱり現場を見ようと、ひと月ほど前、行ってきた。

ここで、鬼婆の名前が「岩手」だと、改めて確認。

しかし岩手県人としては、どうしてもこの名前を使うのにはためらいがある。

そこで今、鬼婆の名前を考えている。

そもそも、なぜ鬼婆が「岩手」だろう。

思うに、住んでいたのが岩屋だったから、もともとは「岩女(いわめ)」だったのではないだろうか。

それが変じて「岩手」になったのでは?

そんなことを考えながら、鬼婆の名前、考案中。

 

 

多少 張り子を作り

多少 文章を書き

多少 講談をやり

多少 酒を飲み

多少 テレビを見 

多少 庭を作り

多少 本を読み

多少 人と会い

多少 散歩をし

多少 PCでゲームをし

多少 何をしようかな?と考え

そうして暮らしています。

かかりつけ医の先生に、

「ボケる暇がありませんね」

と言われました。

と言われました。

「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」 と言います。

庭に小梅を植えています。「きっと梅の木はどんどん伐らなければならないんだ」と思って、毎年伐っていました。

わざわざ小梅を植えたのは、小梅の実をとって、「カリカリ梅」を作ろうと思ったから。

ところが、大間違いだったようで、花はあんまり咲かないし、だから実もあんまりなりません。

どうやら、「梅伐らぬ馬鹿」とは、枝ぶりを楽しむための言葉だったようです。

 

梅は新しい小枝に咲くようで、枝を切ったら小枝も出てこなかったのです。

「オレ、馬鹿だなあ」と感心?し、今年は伸びた枝の先っぽを伐って、小枝の成長を楽しんでいます。

今はどんどん葉も繁って、小枝も出ているよう。

「来年はきっと、花も咲き、実も生るぞ」と、楽しみにしている素人園芸者です。

近所に住むOさんは私と同い年。

一緒にお茶を飲んでいたら、

「今日は庭のツバキの木が大きくなったので伐る」とのこと。

数時間後、行ってみたら途中で投げ出した様子。

聞くと、「疲れて無理なので、明日、続きをやる」。

「いいよ、やってやるよ」と言って家から枝切り用の鋸を持って行き、彼が備えていた脚立に登って伐りました。

「え?もう終わったの?」とは、私には心地よい感想。

「一応、俺、物作りやってるから」と謙遜して見せたけど、内心は、なんだか誇らしい。

同じ歳で、俺の方がまだ体力あり?

 

安達ケ原の鬼婆伝説の岩屋に行ってきた。

実はちょうど60年前、友人と自転車旅行で立ち寄ったことがある。

「こんな風景だったっけ?」

60年という時間で記憶があいまいなのか、それとも風景が変わったのか。

多分、後者だと思う。

いろいろの人に聞いたり、見たり、資料やらを見てきたが、あんまり伝説がオドロオドロしくて、「このまま講談にはできないなあ」が実感。

少しは「見てきた上で、ウソも書こう」

 

というわけで書いているが、書いたら覚えなければならないから、これも大変だ。