わが家から車で15分も行けば、数か所の温泉がある。

その中のM 温泉はサウナも休憩所も無いが、入浴料、消費税込み300円。すこぶる庶民的だ。

週に何度か行っている。

ところが、時々一緒になるオヤジ、これがおしゃべりだ。

だれ彼かまわず、相手を見つけては大声で話している。

その話を聞いていて、彼の「素性」はだいたい知っている。

「あいつの相手にはなるまい」と、いつも素知らぬ顔をして距離を置き、「おれは関係ない」という態度をとってきた。

ところが先日、そのオヤジの話から「俺と同じ歳だ」と知った時、つい油断が出て、「ニッ」としてしまった。

すかさず「もしかして、同じくらいか?」と、声をかけられてしまった。

この時、善人の本性が出て、「ん」と言ったら、握手を求められた。

善人は、これも拒否できなかった。

結局、捕まってしまっ!

これからは、彼との時間帯をずらして行こうと思っている。

温泉には、ゆっくり、静かに入りたい。

庭さちっちゃな花っこ咲いでら (庭に小さな花が咲いている)

イヌフグリで ねがべが (イヌフグリではないだろうか)

一本採ってきて 図鑑ですらべでみだども (一本採ってきて 図鑑で調べてみたけれども)

わがんねがった (分からなかった)

んでも 多分 んだどおもう (でも 多分 そうだと思う)

 

イヌフグリどいえば 思い出すごど ある (イヌフグリと言えば 思い出すことがある)

むがす 20代のころ (昔 20代のころ)

春のいまごろ 妙齢な女流俳人ど 野原あるいでらった (春の今頃、妙齢な(30代?)女性の俳人と野原を歩いていた)

そのどぎ その女の人 花っこ指さして 「あら、イヌフグリが咲いてるわ」どいった (その時、その女性が野の花を指さして、「イヌフグリが咲いてるわ」と言った)

おれは なんぬも すらねがら (私は何も知らないから)

「ふぐりってなんだべ」どきいだ (「ふぐりって何ですか?」と聞いた)

すたれば (そうしたら)

「あなたもぶらさげているでしょ」どいわれで (「あなたもぶら下げているでしょう!」と言われて)

おらあ はあ おしょすがった (私は とても 恥ずかしかった)

 

 

今年ももう、三か月過ぎました。

ぼやぼやしていると、「今年の干支は?」と聞かれます。

コロナで引っ込んでいる時間があるので、 来年の寅、試作してみました。

 

首振りの張り子寅は各地にいろいろありますが、母虎に乗った子虎に首を振らせてみました。

それと虎の縞模様。何かアイデアがないかとよく虎を見たら、発見!

 

黄色に黒の縞が、「人」、「入」のデザイン文字みたいになっていたんです。

「これだ!」と思いました。

「人が入る」なんて、縁起が良いじゃないですか。

 

という訳で、写真載せてみます。

 

ばっけ は 「婆っけ」とも書く。つまり 「お婆さん」 のことだが、この言葉には 別称の意味が含まれている。

つまり、 昨今の「ジェンダー」の時代では禁句だ。 禁句を書いているんだから、俺も勇気が要る。

因みに反対語は 「爺っけ」だ。

「婆っけ」が集まると、話しが長い」なんて言ったら、 俺もすぐ、 世の女性やお年寄りから、 袋たたきにされるだろう。

でも、俺には職を辞するような 役目はない。

 

さすがに これ以上は書かない。

 

バッケはフキノトウのことだ。

バッケの語源についてはいろいろ言われているが、「これだ!」というのには会っていない。

そこで俺の論。

「バッケ」は蝦夷語だ。

約1200年前、坂上田村麻呂が陸奥に来るまで続いた 蝦夷(これも蔑称だが)独特の名詞だ。

だから、共通語で語源を辿ることは意味がない。

 

我々の遠い祖先が使っていた言葉が、まだ生きていると思えば、愉快であり、嬉しいことだ。

これは俺の夢のような仮説である。

つい こねだ ゆぎ 融げだばりなのぬ (ついこの間 雪が融けたばかりなのに)

つづさ べったりど くっついでら 去年のふぎの葉っぱ とのげだっけば (土にべったりとくっついていた 去年のふきの葉を除けたら)

なあんと は ばっけ めっこ 出すてらった (なんと 早くも フキノトウが 芽を出していた)

おっきな ばっけだ (大きな ふきのとうだ)

まだ あげえ 色すてら (まだ 赤い色をしている)

よっつも だ (四つもだ)

とったら いがべが とらねでそのまんまぬすてらら いがべが (採ったらいいだろうか 採らないでそのままにしておいたらいいだろうか)

 

採っても ばっけ味噌 つぐれねがら そのまんまぬすてら (採っても (自分では)フキノトウ味噌作れないから そのままにしておいた)

 

 

この3月で張り子を作り始めてから、57年を経ました。

岩手県人だったら、ここで、「じゃあ、じゃあ、じゃあ。そんたにか?(えーっ、そんなに長く?)」の合いの手が入ります。

 

今はやりで言えば、「クリエイティブなフリーランス」でやってきたのですが、周りにそんな人はほとんどいなくて、

「食えるの?」と何度言われたものでしょう。

張り子なんて過去の遺物みたいに思われていましたから(昭和40年代)、「食えるわけがない」。

実際食えないから、「食えるような物」を必死に作ってきたわけで、今となっては、恥ずかしい物も作りました。

 

時々、そんな時代の、自分の作った物に出会うと、{あいや、おしょすや (あら、恥ずかしい)}と、なります。

でも、給料取り(今でいうサラリーマン)は務まらないことを知っていましたから、この道で生きていくしかない。

 

必死でいろいろのことを勉強し、挑戦してきたわけです。

で、なんとかこの道でやって来られました。

まあ奇跡のようなものです。

 

試みに古いスケッチブックを開くと、意外な構想のラフ画があったりして、

「今ならこんなの作れるな!」と思って、それを参考にして、今朝、「トラ」作っています。

 

 

 

ゆぎ とげだけば (雪が融けたら)

つづじ べったりど つづさ はっていで (つつじが べったりと 土に這っていて)

枝っこ おれだんでねべがと 思ったども (枝が折れたのではないかと思ったけれども)

一晩たってみだれば (一晩経ってみたら)

枝っこ しゃんと立ってきてらった (えだは シャンと 立ち上がってきていた)

「あやあ 元気だったんだな」ど、おらあ おもしぇがった (「おや、元気だったんだねえ」と、私は嬉しかった)

 

ゆぎ どんどんとげで 枝っこどんどん顔だすて (雪はどんどん融けて 枝はどんどん顔出して)

一晩ごどに たぢあがって (一晩毎に立ち上がって)

はあ、ほどんど 前のような かだぢさ 戻った (はあ(感嘆符) 殆ど以前のような 形に戻った)

 

なんたら つええ もんだべな (なんと 強いものだろう)

 

んでも つづじの隣の あぢさいは (でも つつじの隣の あじさいは)

まんつ まんつ かわいそうなくれえ 枝っこおれでいで (まあ まあ 可哀そうなくらい 枝が折れていて)

めっちゃくちゃ だじゃあ (滅茶苦茶 だ)

 

んでも あぢさいは めぶぎが つええがら (でも あぢさいは 芽吹きが強いから)

もすこすまってれば あだらす めっこでできて (もう少し待っていれば 新しい芽が出てきて) 

まだ こどすも おっきな花っこ さがせでくれるんでねがど (また 今年も 大きな花を 咲かせてくれるのではないかと)

あだりの ゆぎっこ ほっつらがすて (辺りの 雪を放っ散らかして)

ほんとの 春くるのを まってら (本当の 春の来るのを 待っている)

 

 

 

 

「張り子の虎」を広辞苑で引くと、「首を振り動かす癖のある人や虚勢をはる人をあざけって言う語」と、あります。

でも、前段には、「張り子で虎の形に作り、首が動くようにした玩具」とあります。

作っている側にすれば、「前段だけで良いにになあ」と思います。

「あざけって云々」と言われると、なんだか、一段低く見られたような気になります。

 

ところで、首が動くようにするには、支点の片方に重りを入れなければなりません。

虎だけではなく、「起き上がり小法師」でも、底部に重りを入れなければなりません。

 

「この重りを何にする?」 これが長年の苦労でした。

 

河原に行って適当な小石を拾ってきたり、鉄のナットを買ってきたり。

また、パチンコ屋さんに頼んで古いパチンコ玉を譲られたり、水道の鉛管を溶かしたり。

更に、座金を凸型にたたいたり、セメントを型に流したり、いろいろやってみましたねえ。

 

そしてようやく今のやり方に至りました。

 

それはどんなやり方?

知りたい人は、私の張り子を買って、分解してみてください。

分解すれば、「なあんだ」と思うでしょう。ハハハハ

 

こういうのを、 「コロンブスの卵」と言うんですね。

 

もともとは親の教えで、張り子のお面を作っていた。なかなか食えなかった。

昭和41年が午年(うま)で、珍しい「丙午(ひのえうま)」。

それで農家からワラをもらってきて、「忍び駒」という藁人形を作ったら、よく売れた。初めてテレビの取材も受けた。21歳だった。

「干支は売れるんだなあ」と思った。が、干支を作る気はそんなに無かった。

昭和48年が丑年で、その前年ころ、誰かに岩手の郷土玩具、「張り子の金ベコ」を作ったら?と言われ、工夫して作った。

お面は平面的だが牛は立体。それなりの努力はした。そこは省略。

よく売れた。若かったから、食う間、寝る間を惜しんで作った。

それで今の土地を買い、頭金ぐらいは準備が出来て家を建てた。 

だから、「べこ小屋だ」と笑った。

だが、「金ベコ」は誰かが考案した物。それを利用することに多少の罪悪感があった。

「俺の郷土玩具を作らねば」と思って、金ベコはスパッとやめた。昭和52年頃のこと。

また、食えなくなった。

長女が生まれたのが昭和45年で、お雛さんも買ってやれないから、自分で作った。

お雛さんが作れるなら、長女の干支・戌(犬)も作れるんじゃないかと、初めてオリジナルの干支張り子を作った。

それが「福犬」だった。

戌を作ったら、「亥は?」と言われ、「亥のり天神」を作った。翌年は「大黒ねずみ」を作った。

こうして「干支玩具」を作るのが、年中行事となった。もう、4廻りに近い。

 

去年は「乳べこ」を作った。年が明けたのに、まだ作っている。そういえばまだ、丑年だ。

そしてもう、「来年の寅は?」と聞かれる。

そろそろ考えねばならない。いや、正直に言うと、もう、考えている。

 

 

むがし ゆぎのとげる おど、聞いだもんだった (昔、雪の融ける音を、聞いたものだった)

屋根さ積もったゆぎが よながじゅう ダラダラど融げで (屋根に積もった雪が夜中ぢゅうダラダラと融けて)

そのおどきぐど 「ああ、春、ちけなあ」ど、思ったもんだった (その音を聞くと、ああ、春が近いなあと、思ったものだった)

まだ ちゃっけ がぎのころなのぬ おもしぇがった (まだ小さな子供の頃なのに、嬉しかった)

 

このごろは そったなおども 聞がねども (このごろはそんな音も聞かないけれども)

雨どいがらは 融げだ水 ずーっと流れでいで (雨どいからは融けた水がずうっと流れていて)

 

はあっ 気がつげば 屋根さ ゆぎ 無えじゃあ (気がついたら屋根に雪が無くなっていた)

 

まだなんぼが降るごどもあるども (まだいくらかは降ることもあるが)

降るよりも融げる方、多いがら (降るよりも融ける方が多いから)

庭のゆぎの壁もしぇ 低ぐなってきた (庭の雪の壁も背が低くなってきた)

 

んだども やっぱり ゆぎの融げるおど 聞ぐごどねぐなった (だけどやっぱり雪の融ける音、聞くことは無くなった)