今頃になって、鴨長明の方丈記を読んだ。

冒頭の 「行く河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず」はなんとなく知っていたが、

最終章に ビクッ とした。

「そもそも 一期の月影傾きて 余算の山の端に近し。忽ちに 三途の闇に向はんとす」

 

なんと言ったらいいのか。

鴨長明ならぬ俺に評する何ものも無いが、ドキッとしたことだけは記して、これから酒を飲む。

私の町に住んで農業を営んでいた、歌人で畏友の板宮清治さんは、今年4月にお亡くなりになった。

私より9歳上だったから、89歳であったろう。

 

板宮さんは、昭和29年、19歳のときに短歌総合誌「短歌研究」の第二回五十首詠に応募して、あの、寺山修司と首位を争って入選した。

以来、現代歌人として歌界に名を残して逝った。

私は昭和48年にこの町に来て御厚誼をいただき、いろいろの事業を共に企画し、酒を飲み、談論した。

文化的、文学的恩人である。

板宮さんの歌を紹介してみよう。

 

 今日ひと日はげしき風に森ありき森をいたわる言葉はなきか

 踏切りの朝かがやきのむかうにも遮断されたる少女らが立つ

 強震のとどろくときに雪原の面村落を乗せつつたわむ

 

こんど、板宮さんの足跡を講じてくれとの依頼があり、改めて歌集を読んでいる。

そのせいか、七五調が移ったのか、散歩していて一首湧いてきた。

駄作を承知で、書いてみる。

 

 この国は豊なりしや廃屋並び黄金田は広し

 

暑くて、食欲が落ちて、だから体重が減ったらしい。

講談の依頼があって、浴衣を着て出ようと着てみたら、角帯の長さがいつもより余った。

やりなおして、折り返しを多くして、何とか腹の前で結んで、それからぐるっと背の方に回して、はい、出来上がり。

高座は二番目(トリ)で、前の人の講釈の終わるのを待っていたが、暑いので扇子を利用。

いつもは、パンパンとたたく扇子、今回は役に立った。

いやあ、この暑さ、一体どうなってるんでしょう。

地球が沸騰しているってだれか言ってたけど、まさにそういう感じ。

人間の勝手な所業のなせること。

今頃反省したってもう遅い?

とにかく、生活のやり方を変えなくちゃあ、もたないヨ。

 

私の住む岩手にも大雨が降るって予報出てます。

が、今のところ、晴天。黒い雲が空の3割くらいを占めていて、あれが雨を降らすのかなあ。

風が爽やかだけど、フジバカマや、オミナエシなど、秋の草を揺らしています。ちょっと不気味。

 

小屋の板壁の隙間から雀が入って巣をつくり、二回くらいは雛をかえしたよう。

もう、終わったかな?

終わったら、板をはずして隙間を埋めようと思っています。

雀には可哀そうだけど、小屋も大事だからネ。

代わりに巣箱を作ってやりましょうか。

 

といっても、すぐ近くのコブシの樹に巣箱を架けています。

近所に架けると、どうやらテリトリー争いをして、結局どっちにも巣を作らなくなるんだよね。

これ、経験識です。

 

 

 

「子供の頃、こんな風景があったなあ」とおもって、作ってみました。

板間を雑巾で拭いている景色です。

そういえば、学校の廊下や教室も拭いたなあ。

題して、福拭くです。

 

これは、販売は致しません。自分のために作りました。

 

図書館の書棚で、「セックスの哀しみ」という本が目に入った。「こんな本が公共図書館に?」と思いながら、つい取り出してめくってみた。そして「なんだこりゃ?」と思った。期待した(?)性描写の本ではない。ショートショートだけ。しかも今まで体験したことの無い不思議な内容。

貸し出しを受付に申し込む。係の女性は平静を保って、いつものように、事務的に対処してくれた。ちょっとがっかり。

バリー・ユアグローというアフリカ生まれの作家の本。私より少し若いようだ。柴田元幸という人の訳。

原題は、THE SADNESS OF SEX だから、ほとんど直訳の本だろう。

 

さて、このセックスとは? 思うに、いわゆる「人間性」とか、「性質」とか、「関係性」とかの「性」だろう。

なるほど、なかなか本質的捉え方だ。

まあ、荒唐無稽で何でもありだ。しかし、どこかに誰もがもっている人間の性(さが)が書かれていて、楽しく読んでいる。

 

「こんなの、オレも書いてみたい」と、ちょっと、そう思った。

 


 

このごろ、昼寝欲望が多くなった。

いや、昼前には眠くなり、飯を食ったら眠ってしまう。それでいて夜は睡眠の満足感が無い。

かかりつけ医に睡眠導入剤を処方してもらって、常用する情け無さ。

「昼寝をすれば眠れないのは当然だ」と医師も言うし、それはそうだと、了解するが、

明るい日中に、眠くなる。

一案を考えた。

昼食後にコーヒーを飲もう。ブラックで。

と言うわけで、きのうから実践。

ネスカフェ・ゴールドブレンドだがね。

さっきも飲んで、今、午後2時34分。まだ寝ていない。

この術、効き目あるかなあ。

お隣のSさんにヒマワリの種をもらって植えた。

1メートルくらいに成長したが、なんと、Sさんのは3メートルにも伸びている。

同じ種でも、育て方でこれほどちがうんだと、感心したり、自分の育て方のまずさに悲嘆したり。

 

ヒマワリって、太陽に向かって花の向きが変わると聞いていたが、確かに、夕方には西に花のつぼみが向いている。

まだ花は咲いていないが、そのことだけはちゃんと確認しようと思っている。

 

わが、育ちの遅い ヒマワリよ。

ようやく、齋藤幸平氏の「人新世の資本論」を読了した。

文中、こんな箇所があった。

ある経済学者の論文を引用して、

「世の中には無意味なbullsyit job(クソくだらない仕事)が溢れていて、そんな彼らが高給を得ているが、essential work(必要不可欠な仕事)をしている人が貧困に喘いでいる」と言うもの。

さて、私のやっている仕事は「必要不可欠な仕事」ではない。では「社会悪か?」

待て待て、私は高給を食んではいない。世界旅行も、ブランドも、ゴルフも関係ない。

と、心落ち着かせた次第。

少なくとも、私の張り子を喜んで下さる方がいるのは、事実のようだ。

 

 

当地には「ばしょう菜漬け」と言われる漬物が昔からある。

ちょっと辛くて、バリバリした食感。冬の副食として御飯と食べると、食が進んだものだ。

 

似たようなものに、「野沢菜」や、「高菜漬け」があるが、当地の人は、「あれとは違う」と、郷土食自慢をする。

植物的分類(素人の)では、これはカラシナ科であって、バショウ科ではないのに、どうしてバショウと言うのだろう。

奥の細道の松尾芭蕉となにか関係があるのだろうか。

そもそもバショウ科にはどんな植物があるのだろう。

なぜ、同じ岩手でも、限られた地域でだけで言われるのだろうか。

興味は尽きない。

今日得た情報では、地元の種屋さんで種を売っているらしいので、今年は植えてみようか。

ただ、野菜を満足に植えて育てる自信が無い。植える畑も無い。さて、どうしよう。