さわ ともゆきの土埋木録 ~Enjoy Anywhere!~
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Remember

どーも!

兄・和也です。


さて、ちょっと前になりますが、2013年6月24日。

ともの3回忌を無事にとり行いました。


ともが死んで、丸2年がたち。

去年は、とものことを考えない日はありませんでした。


でも、今年はとものことを考えない日もあります。

忙しさを理由に、いまを生きていることを理由に。


実家に帰ると、

前は、必ず最初にともに線香をあげていました。

でも、今は、帰るまでにあげればいいや。


これがいいことなのか、わるいことなのか、私にはわかりません。

でも、とものことは絶対忘れないし、ともが死んだことは絶対忘れないし、

ともが生きたことは絶対忘れない。


今日はあえてともが辛い思いをしたことを、ここに書きたいと思います。

自分は、ともががんになり、本格的な闘病生活をはじめたときに、

就職で東京に行き、好き勝手にしていて、

はっきりいって、ともに何かしてあげたりとか、

一緒に闘病を頑張ったりとか全然してなくて。


ともの本当の辛さなどわからないのだけど、

自分がみた、闘病中のとものほんの僅か、ここに書きたいと思います。

あとで、母に怒られるかもしれませんが。お前に何がわかるってね。


前にも書きましたが、

私は、ともが亡くなる2週間前に、

ともの入院先の病院に行き、1週間とものそばにいました。


そのときのともは、脳への転移が進み、

目はほとんどみえない状態でした。

朝になり、カーテンを開けて、太陽の光が差し込んでくる。

でも、ともは、お母さん早くカーテン開けてよ!真っ暗で何も見えないよって言うんです。

そのとき、ともは、オレがみえていたのでしょうか。たぶんみえていなかった。

ともがオレをちゃんとみたのはいつだったのだろう。

そして、突然目がみえなくなったわけじゃなくて、転移が進むにつれて徐々にみえなくなっていたことも、

自分にはこらえようのないことでした。


おしゃべりも一日のうち調子のいいときしかできず、

でも、共通の友達の話とか、これから生まれてくる恵友の話とかすると、はっきり反応がありました。

ともさ~おじさんになるんだよ。と言うと、ともは、オレがおじさんでいいのかな~って。

恵友はさ、絶対とものこと好きになるし、ともにすごく懐くと思うよ。


それから、ともの親友がお見舞いにきてくれたときは、意識がはっきりするというか、

やっぱり友達の力ってすごいなと。不謹慎ながら、そんな友人がいる弟を羨ましく思ったし、

自分がともと同じ状況になったら、どうなるんだろうとも思いました。


ともの患っていたがんは、痛みがすごいらしく、起きているときはずっと痛い痛いと言っていました。

夜になると、痛みが増すのか、

痛い、痛い、お兄ちゃん助けてよって。お母さん助けてって一晩中叫んでました。

それを母は寝ないで、励ましていました。

自分はその場から逃げ出したい気持ちを抑えることで精いっぱいでした。

母の気丈さは、ある意味では常軌を逸していたのかもしれません。

それはまぎれもなく無償の愛なのだと。


ほぼ半身が麻痺していたため、

歩くことはできませんでした。

唯一、ともの親友が車いすで院内の散歩連れて行ってくれました。

そのときはとももテンションが高くなっていたように感じました。

ともにどこに行きたいって聞くと遊園地って。

なんで遊園地なんだよ。お前のキャラじゃないじゃん。。。って笑ったことを思い出しました。

なんで遊園地だったんだろう??w


食事もほとんど満足にできず、調子はいいときはゼリーが少し食べれました。

基本は点滴だったためか。

いつものど乾いたのど乾いたって言ってました。

アクエリアスとかとをゼリー状にして食べさせてやったりもしました。


ともはほとんど一日寝たきりだったので足をマッサージしてやりました。

すごく楽になるみたいで、穏やかな表情をしていました。

ともと話をするとき、ともの手を握りました。

この歳で弟の手を握るとはw

ともの手はすごく温かかった。

ずっと手を握っていたかった。

恥ずかしい気持ちもあったけど、手を離すことが辛かった。

ともと話終えたあと、涙が止まらなくなって、トイレに駆け込みました。


他にもいろいろとあった気がするけど、今日はこの辺で。

うまく書けないし。何がいいたいかわからない感じになっちゃいました。

まだまだですね。


ともを思い出す。

毎日じゃないけど。

ともの闘病中のことも、

ともが元気だったときの思い出も、

苦しかったことも、

楽しかったことも、


恵友をみたときに思い出す。

母と話したときに思い出す。

父と酒を飲んだときに思い出す。

家族といるときに、

仲間といるときに思い出す。


幸せを感じたときに、ともを思い出す。


ということで、ともの生きた証を、

ともを思い出そう。


母が主催で、

ともが書きためていたアート作品を展示する個展を開催することになりました。

すべて手作りの個展ですが、よかったら足を運んでいただければ幸いです。


場所:ビューガーデン(岩手県紫波町)

日時:8月11日(日)~18日(日) 10時~17時 14日は休み

詳細は添付画像をご覧ください。


ぜひ、お越しください!



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meeting only once in a lifetime

兄・和也です。


明けましておめでとうございます。


さて、新年早々、息子の話をしていいですか。

世界1の親バカだとはわかっているつもりですのでお許しください。


息子:恵友(1歳2カ月)


恵友と書いて”けいと”と読みます。

まえにもどこかで話したかもしれませんが、

名前の意味は、


その文字の通り、


友達に恵まれますように


息子の名前を何にするか考えた時に、

自分が生きてきたなかで唯一自慢できることは、

友達に恵まれたことでした。


それは、弟の友幸しかりでした。

見た目も性格も似ていないオレたちだけど、

不思議なもんでそういう共通点はあったんだと思っているし、

そのことについては、お互いに尊敬しあっていたと思います。


そして、もうおわかりの通り、友幸の友をもらいました。


あとづけだけど、もう一個、

けいとって読み方、

英語にするとKateになるんですよね。

これって外国では女の子の名前によく使われていますよね。

それもおもしろいかなと。

将来外国に行ったときに、すぐ名前を覚えてもらえそう!

だって、男なのにKate?ってなるでしょ!


まあまあ、最後の理由はともかく、


この名前がいいと言った自分に対して、

何の文句も言わず、いいね!と言ってくれた奥さん。

改めて、この人でよかったなと思いました。


けいと、

シンプルだけど、

世界で1番、愛しい名前です。

もちろん世界で1番愛しい存在です。

あっ、2番目でした。。。笑


日に日に、

見るたびに、

できることが増えていくけいと、


そんなけいとと、弟の友幸、ともと、

重ねてみてしまうことがたまにあります。

いけないのかもしれないけど。


ともは、脳にも腫瘍が転移していたため、

日に日に、

できることが減っていました。

そんな状態を、

そんな恐怖を、

ともはどんな気持ちで向き合っていたのか今はまだ想像もできません。

今でもそのことを考えると説明しようのない虚しさと悔しさがこみ上げてきます。


でも、ふと、けいとをみると、


笑顔をみせるようになり、

寝返りがうてるようになり、

はいはいができるようになり、


今では、歩き回り、

ご飯ももりもり食べ、

意味にはならないけどおしゃべりもできるようになりました。


日々、自分は、けいとに、

家族に救われていると実感する毎日なんです。



年はあけまして、

今回も年越しは、


愛する盛岡で、家族そろって過ごすことができました。



んで、盛岡滞在中、

奥さんが体験した怖い話がありまして、、、


たまたま、父も母も、自分も出かけていて

実家に、けいとと奥さん二人でいた時、

たまに、とことことこと、足音が聞こえたそうです。


ともが帰ってきてたんですね。

今は、世界中の空を旅してまわっているともも、

やっぱり正月は愛する盛岡に帰ってきたんだね。



そんなこんなで2013年。


今年も飛躍の年になりますように。


今年の自分のテーマは、


無理して行く!


です。とにかくがむしゃらに、

自分の限界をちょっとでも超えたい!



さてさてさて、


今年も、


皆様と、


皆様の愛する方々にとってハッピーな1年になりますように。



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Piece of Life

兄・和也です。



昨日、一周忌と納骨を無事に終えることができました。

この1年いろいろなことがあり、ともが亡くなってからずいぶんと時間が経った気がしています。



一周忌のとき、ともの親友たちと久しぶりの再会、

それぞれがそれぞれに成長をしているように感じられ、

なんかドラマや映画のエンディングでよくある数年後・・・

をみているような、

みんな新たな生活を新たな人生を歩んでいて、

不思議な、でも清々しい気持ちになりました。




夜は、両親が主催したともをしのぶ会、

小岩井のすてきなペンションで開催しました。


会には、高校時代、大学時代の親友たち、その家族がきてくれました。

北海道、関東方面と遠方から足を運んでくれた方々も。


会はもちろん盛り上がり、われわれ家族の知らないともを知りました。

のりがよくて、ふざけていて(笑)、本当に本当にあたたかい、ともの親友たち。

母と父のあんな笑顔を、久しぶりにみました。

やっと一区切りなのかなと。


ともの仏壇の前に座ると、

ともが病気にならなかったら、ともは、

どんな仕事をしていただろう、

誰と結婚していただろう、

恵友のいとこは男の子だったのかな、女の子だったのかな、

そういうことを今でも考えてしまう自分がいます。


だけど、

つながり、出会い、

ともの残してくれたかけらは、

われわれ家族を生かしてくれていて、

言葉はわるいけど、

それが教えてくれた幸せを感じています。


最後に、とものパソコンの片隅に残っていた文章を載せたいと思います。




『がらくた』


病気になって気付くことはたくさんある。そのほとんどが本人にとって残酷なものであり、悲しく切ないものであるように思ったりする。これは僕が病気になって悲観的になっているからではなく、自分を冷静に見直しているときによく気付くことである。


まず、重病を抱えた人は何を思うだろう。人によってそれぞれ考え方が違うが、その結果何を思うのか、いや、何に気付くは一緒である。それは、人は必ず死ぬという事実である。小学生だって知っている事実を認めることができるのは死との距離を実感した時でしかないと僕は思う。人は何かしらに依存し、そのものがない世界を考えられなくなる。人が死ぬということを頭で分かっていても自分にはまだ先のもので、死ぬことは遥か遠い先にあり感覚的に永遠に近いものだと思ってしまう。でも、実際は明日死ぬかもしれない。人生には限りがあって、どんな天才でも凡人でも必ず死ぬということに変わりはない。それを感覚的に気付いた人はどうするか?単純に考えると、限りある人生を自分のために楽しく生きようと思うのではないだろうか。僕もそのような考えを持った一人であるが、実際はこんな単純な考えに至る人は多くないだろう。病気になって周りの人の愛情を感じた人はその人達に恩返しをし、本当に死期が近い人は自分の葬式の準備とかをするだろう。人生思いっきり楽しんでやろうという余裕のあることができない状況にある人は実際たくさんいるだろう。


長い入院生活から解放された後なんか気付くこともある。それは、僕がいなくても世の中はいつもと変わらずまわっていることである。自分が社会にそんなに影響を与えてない事なんて百も承知だが、みんなが前と変わらなく何にも不自由な生活をしていた事実がすごく切なかったりするのである。「サワがいなくて本当に困ったよ。」なんて一言を当てにするほどの生活はしていなかったが、自分はこの世にいなくてもいい存在という証明のような気がしてしまうのである。


もし自分が病気になったら、多くの友達が心配メールを送ってくると思っていたが、実際はそんなことはない。長い間連絡を取ってなかった友達からは当然連絡は来ないし、慰めを送る勇気のない距離の人達からも当然連絡はない。相手の立場に立てば当然と思える事実も主観的に考える事が中心になってしまった自分はそんな事に気付かないのである。
そして、自分が悲劇のヒロインだと思っていたことに気付いた時、ようやく自分が築いてきた人間関係を理解するのである。


病人はこんなことに気付いたりする。というか、僕はここ数年でこういう事に気付いた。
ただ、こんなことはすごくどうでもいい事であるように思える。病人でも病人でなくても日々心の葛藤をし、人生の充実を実現するために生きていることに変わりはない。病を抱えて生きているとつい病気という状況に甘えあたり、つらい治療で弱気になってしまう。しかし、先の見えない恐さや病に犯される恐怖があるように、健康に生活している人の中にも、社会の中で感じるストレスや信頼していた人からの裏切られた屈辱など心の中を曇らせる要素はたくさん潜んでいる。実はみんなの優しさに甘えることを覚えてしまった
24歳の変態は毎日自分の弱さを露呈しながら、情けなくも生きています。


写真は、ともをしのぶ会にて撮影。
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