私が今も頑張れる秘訣。
みなさんにお伝えしようと思いますおねがい


私は静岡出身。
私の母は私が6歳の頃に離婚し子供3人を連れて
家をでました。。


母は生活のために、深夜までスナックを経営し
ていたので私が朝起きる頃はまだ寝ていました。


歳の離れた兄2人は適当に朝食を済ませてしまう
ので、小学校の頃は自分で自炊していました。


母の部屋の横はキッキン。


朝、私が卵焼きを作ろうとボールに卵を入れて
お箸でかきまぜる。

カチャカチャ卵を混ぜる音を母が
「寝てるだろ!うるさい!」と怒る。


ごめんねと言いながら、なるべく音を立てない
ように子供ながに気を使い日々生活をしていま
した。



毎晩母がいなかったのでとても寂しかったです。
怖い夢を見てもぬいぐるみを抱きしめ、じっと
我慢していたのを覚えています。


どうしても寂しくて仕方がない時は、母に手紙を
書いてテーブルに置いたりしていました。



ある日、夜中寝ている私を、お酒くさい母が
そっと私を抱きしめて小さな声で手紙ありが
とう。って言ってくれたこと、
本当に嬉しかった。



子供ながらにそれがとてもとても嬉しくて、
寂しい日はいつも置き手紙をするように
なりました。

 


学校帰りに友達の家に遊びに行くと、
クッキーを焼いた良い匂い。


お母さんと一緒に焼いた手作りクッキーなの!
一緒に食べよう!


とキラキラした顔で迎え入れてくれる友達。



まぶしくて羨ましくて切なくなったのを
覚えています。


私は大人になって結婚したら絶対に自分の
子供に寂しい思いはさせない!!


子供の私は心に誓いました。



時がたち、成長とともに私は親不孝な娘に
育ちました。
(どんな親不孝者だったかはご想像に
お任せします)



母は私が中学生の頃からリウマチを患い
手の指、足の指、股関節の骨が変形し
入退院を繰り返していました。




私は高校卒業しデザイン学校に
入学するため上京。


数年後・・・



母の容態が良くないと何回も兄から連絡を
もらっても理由をつけて実家には帰らない。



いよいよやばいと兄から深刻な電話。


帰省し母が入院している病院へいくと
身体中にチューブ。


酸素マスク。

顔は誰かわからないくらいむくみ、
腫れあがった母が横たわってました。


母に駆け寄るとかろうじてある意識の中、
私を認識したのか母の目に涙がたまり
頬をつたいました。



その時の私は自分を殺してやりたいほど
憎み後悔しました。


なぜもっと早く帰らなかったのか。


なぜもっと母の側にいてあげなかったのか。


・・・



母が亡くなり遺品の整理をしていると、
私宛に書いてあるバックを見つけました。


中を見たら私に宛てた手紙と私が子供の
頃に書いた置き手紙が沢山入ってました。


私はその時、子供の頃誓ったことを思い出
しました。


私が結婚し自分に子供が出来たら絶対に
寂しい思いはさせないって。



子供たちが帰ってくる家はクッキーのにおい
がするあたたかい家庭にするって。



今は、3人の子供に恵まれ、

子供達の夢、家族の夢を

最短で叶えるため自分を軸に起業しました。



私は家族との時間を1番大切にしています。
なるべく子供たちと時間を過ごす。
家族と一緒に過ごす時間を増やす。
家族というコミュニティを最優先に考えています。





あなたの頑張れる秘訣はなんですか?



大丈夫。一緒に頑張りましょう!