2021年12月12日

 

これが前回、ブログを更新した日。

 

私、こんなことを書いている。

~2021年の秋の訪れとともに、自分の中のいろんな要素や経験が、

内奥でポコポコと発酵&醸成し始めました。~

 

正確には、その予兆は2020年8月に母を見送った直後から始まっている。

 

母の他界した日の1週間後が私の誕生日だ。

 

そう、4年前の誕生日前後からそれは始まったのだと思う。

 

そこから始まった体験の数々はとても頭で理解できるものではなく、

自分ではコントロールできない激しい波に飲まれながら

猛スピードでどこかに運ばれ、

服が乾く間もなく次の波に飲まれ、

いつも全身ずぶ濡れのような日々を過ごすこととなる。

 

それでも自分に起こった出来事の意味や方向性を必死に調べ求め確認しては、

遭難ギリギリでどうにか生きてきた。

自分を単なる「統合失調症」と定義付けて鼻で笑って終わらせなかったのは、
先人の方々が共有してくださった足跡があったからこそだ。

 

船にはたった一つ鏡があるだけ。

自分の内側しか映し出さない鏡が見せることからは、

逃れることは出来ないのだと先人から教えて頂いたことで、

諦めというか流れに委ねるしか選択肢がなかった。

 

この日々は同時に、外側の現実や他人にかかっていたフックを

どんどん外していく過程でもあった。

 

4年経った今、私はかなり図太くなっている。

図太くなった分、以前の私ではやらかさなかったような現実が展開された。

例えば、自分をまんま表現した結果、集団から「拒絶や出禁」の鉄槌を下されたり、

上司と喧嘩腰の日々を送ったりなどナド。

とにかく集団から外される、浮きまくりの日々が始まった。

遭難中の嵐の中を先人の足跡と自分の本心しか頼れずに過ごす毎日は、

いつしか「傷つけられた被害者」という自己像を私の中から消し去っていた。

自然と舵取りは自分以外には任せられない事と、大海原を信頼して任せることも。

 

万年遭難中とはいえ、

この暴風雨で常識の色眼鏡の影響が一枚一枚吹っ飛ばされていく分、

見えてくる世界や人間の面白さも垣間見させてくれるので、

あながち大変なことばかりではない。

むしろ、型破りな楽しさや喜びを伴った遭難劇とでも言えようかw

 

その変化の過程を時系列で書いても、いつも「終わらない航海の途上」感で

どこに向かっているのかも検討なんてつかず先が見えない。

メモ書きはしているけど、それこそ統合失調症丸出しで

とても人様にはお見せ出来ないと、なかなか筆が進まなかった。

最近は遭難生活にも慣れ、よっぽどの事がない限りメモも取らないでいた。

 

先日、あるセミナーに参加した。

その方のセミナーはなんと17~18年ぶり。

聞けば聞くほど不思議なことに、

自分が遭難中に気づいたような事と被る内容が多い。

私がこの4年間観じてきたことを説明している?

先に教えてよ~、だ!


同時にこのタイミングで出された新刊の表紙をじっと見てみると・・・

「やはりこのことか」としか言いようがない。

珍しくイメージが降りてきたらしいその表紙のデザインが

何を物語っているかは、私には一目瞭然だ。

 

本の名は「Iコード」。

この本を読み解きながらであれば、ようやく自分の体験を文字化できそうだ。

 

ありがとうございます、Manaさん。