平成31年度東京大学入学式で祝辞を述べられた上野千鶴子先生の祝辞内容が賛否を巻き起こしているようですが、色々とサイトや感想をネットでめぐり、私が感じたことはこの祝辞の全文を読んだ方がどれくらいいるのだろうか・・・という事です。

 

性差別やジェンダー論で終始しているわけでもなく、

批判的なわけでもなく、

TV等ではその祝辞の一部しか報道はされませんので、

是非全文を読んでいただきたいです。

 

非常に哲学的で、本当に心から同意し感動した祝辞でした。

10回読んでも足りないくらいに素晴らしい内容で、全て暗記しておきたい程のスピーチでした。

 

 

先生の言葉の中で、私が最も強烈に印象に残ったのは最後の部分です。

 

「頑張っても公正に報われない社会が待っている」

至極当然のことであり、もう少し言い方を変えると、公正に報われず公平に報われるような気もします。

社会は平等では無いですが、公平だと思います。

 

頑張っても頑張り方がズレていたら報われないですし、

頑張りが「自分なり」でも認められません。

求められるのは「期待通り」ではなく「期待以上」であり、

期待以上を創るのは「問い」をどれだけ持つかです。

そして、もっと大切なのは問いの質と量ではないでしょうか。

なぜなら、問いの質が答えの質に繋がるからです。

 

上野先生も「社会とは問いに満ちた世界」だとおっしゃっていました。

学生時代は「正解のある知」を求め、その知をどれだけ持っているかが大学受験には影響しますし学校でも、既に世にある「知」を教えます。

しかし、社会に出たら求められるのはそこではないというのは私自身も感じます。

上野先生の祝辞の最後はこう締めくくられています。

 

『大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身につけることだと、私は確信しています。

知を生み出す知を、メタ知識といいます。

そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です』

 

平成という時代はまさにこの「メタ知識」を必要とされた時代だったように感じます。

バブルの崩壊

日本が積み残してきた宿題の解決

未来に残すことの出来ない宿題の処理

全て「既にある知」では処理しきれない問題ばかりです。

今上天皇も「現人神」から「象徴」となりました。

象徴とは何か・・・

それを問い続けられた時代だったように思います。

 

 

時代は常に「メタ知識」から創られていることを歴史は証明しています。

企業の発展もその「メタ知識」によって創造されています。

しかし、既にある知があるからこそ、その知に足りないものは何か

どうしてそうなったのか

もっとよりよくするにはどうしたらよいのだろうか・・・

そんな問いが生まれるような気がします。

既にある知をおざなりにしてメタ知識は生まれないと感じるのです。

しかし、既にある知だけを習得するとついつい「わかった」で終わります。

既にある知も身につけようとする努力を土台とし「知を生み出す為の知」を持ち人生を歩めるかどうかだと考えます。

 

社会人の私にとっても非常に考えさえられる上野先生の話でした。

 

東大は日本の最高学府ですが、

一流のお店には一流のお客様がいらっしゃるかどうか・・・という話をよくします。

おそらくこれは大学に置き換えると一流の大学とは一流の社会人を育む大学こそを一流というのではないでしょうか。

「メタ知識の習得を学生に身につけてもらうこと」

東大がこれを大学の使命だ考えているのだとすれば、偏差値ではなく教育機関としての学生に対するこの使命・理念こそが最高学府たる証のような気がします。

 

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