テレビの出現
テレビが登場するとその勢いは益々盛んになり、はっきりとした
始まりは判りませんが、ポップス中心の番組も人気が沸騰、僕の
記憶の中で一番印象に残っているのが『パント・ポップ・ショウー』、
『シャボン玉・ホリデイ』、『ザ・ヒット・パレード』の3つ。
とにかく、当時は原盤の歌手自体は殆んど知らないまま、日本の
ポップス歌手による日本語吹き替えの曲を効くのが大好きで、
50‘S、60’Sの曲をかたっぱしから聴いていました。
1950~1980年代は僕の波乱に満ちた人生の中でも、
特に思い出深い時代でした。
人よりもちょっと特異な人生を送った僕の生活のそばには
いつも音楽が存在していました。
その中でもオールディーズと呼ばれるアメリカンポップスをはじめ、
当時の様々な音楽は、僕の支えとして今も心に残っています。
テレビの出現
テレビが登場するとその勢いは益々盛んになり、はっきりとした
始まりは判りませんが、ポップス中心の番組も人気が沸騰、僕の
記憶の中で一番印象に残っているのが『パント・ポップ・ショウー』、
『シャボン玉・ホリデイ』、『ザ・ヒット・パレード』の3つ。
とにかく、当時は原盤の歌手自体は殆んど知らないまま、日本の
ポップス歌手による日本語吹き替えの曲を効くのが大好きで、
50‘S、60’Sの曲をかたっぱしから聴いていました。
当時はロカビリー歌手として、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、
山下敬二郎などがいて、最初のウエスタンカーニバルが、今は無く
なってしまった日劇で開催されたのもこの頃だと思います。
今みたいに、テレビが普及していなかった頃だったので、そのときの
様子は、時々観ていた映画の最初に流れるニュース映像によって見た
くらいですが、今でも鮮明に覚えているのは、やたら寝そべったり、
転がったりしていたような印象があります。
紙テープが散乱していて、女の娘がステージに上がりこんで、歌手に
抱きついたり、歌手を客席に引き摺り下ろしたり、はいていた自分の
パンティを投げ込んだりと、それはもう、大変な騒ぎで、良く考えたら、
当時の女の娘より、まだ今の女の娘の方が、お行儀が良かったような
気がします。
当時の思い出としては、よく父親の仕事場である映写室に入って
遊んでいましたが、ある日、父親が目を放した隙に、勝手に電極版
に触れ、危うく感電死するところでした。(笑)
映画の方は、未だ少し無声映画が残っている頃でしたが、アメリカの
映画では西部劇が特に印象に残っていて、大好きな俳優さんはゲーリー
・クーパーでした。
その頃から、続々と外国の曲、主に当時の進駐軍のベースキャンプ用
のFNS放送を経てアメリカの曲が伝わってきて、当時の日本のポップス
(ロカビリー)歌手といわれる人たちによる日本語版が歌われるように
なりました。
ロックンロールとも少し違うと思いますが、アメリカンポップスも、
この頃からどんどん上陸して来ました。