仏陀はこの世が苦しみだと説いた。

 

 

空虚さや悩み、多くの苦しみに私たちの人生は満ちていると。

 

 

では、苦しみとは何だろうか。仏陀は執着が苦しみを生むと言った。例えば我が子、我が物、我が身体、そこに執着を持つときに、失うことの苦しみや心配が生まれると。

 

 

科学が発展したいま、その苦しみについて機械的に解き明かしていこう。今苦しんでいる人も、正体を知れば怖くない。幽霊が存在しないと確信している人が夜の墓を怖がらないように。

 

 

苦しみは、大脳で処理された情報が、偏桃体に送られることで始まる。そして偏桃体が指令を出すことで、その指令を受け取った部位が神経伝達物質やホルモンを放出する。

 

 

そしてその物質によって細胞の反応が起こり、身体の反応が起こる。(心拍数や涙の放出、不快感など)

 

 

まとめると、

 

   情報     指令                ホルモン・伝達物質

大脳 ー> 偏桃体 ー> 各部位(ホルモン・伝達物質生成箇所) ー> 身体の各部位

 

 

 

という連鎖反応だ。では、これを止めるにはどうしたらいいだろうか。

 

 

 

繰り返すが、仏陀は執着を捨てよ、といった。大脳での情報処理を変えればいい。あくまで暴論だが、すべてのことをどうでもいいと思っている人は、多くの苦しみが生まれない。なぜなら脳内で普通の人が悲しむような情報を受け取ったところでその情報は無視され、素通りされるからだ。

 

 

 

しかし、そこまですべてを捨てろ、というのは死ねというのと同義だからおすすめしない。大乗仏教で言うところの空観というやつだ。あくまで俺はどちらにもよらない中観をお勧めする。

 

 

 

本題に戻るが、苦しみを脱する方法、その解決策は見えただろう。苦しみを苦しみと評価し、偏桃体に送られるのを阻止すればいい。

 

 

俺が知る限り方法は三つある。

 

 

一つは、瞑想により、自分の脳内で起こるすべての出来事に対して、「評価しない」訓練を積むこと。瞑想はぼーっとしているだけでは意味がない。起きた出来事や、自分の中で起こる感情をすべて見つめ、ただ見る「止観」。評価しない=偏桃体に送られ連鎖するのを防ぐ、その訓練を積むことだ。心の筋トレと思って一日5分10分でも、ただ自分を見つめる、評価しない、見るだけで考えを止める。その訓練をする。ただ自分の中で起こる感覚、そして呼吸に集中し、見る。

 

 

 

二つは、出家すること。すべての所有するものを捨て、家を捨て、あらゆるものを持たずに仏教に帰依する。(俺はお勧めしない)すべての執着するものが無ければそりゃ苦しまないと。おそらくちゃんとしたお寺に行けば瞑想もできるので、苦しみから解脱できるかもしれない。

 

 

 

三つは、未来のゴールを持つこと。先ほど言ったように、すべてのことがどうでもいいと思えれば悩みは消えるわけだ。では、自分にとって本当に大切なことが何かわかっていれば、その辺の小さなこと(人間関係、周囲の目)で悩むことはなくなる。なぜなら、自分にとって本当に大切なもの以外はどうでもよくなり、認識しなくなる(見えなくなる)からだ。

そしてその未来に向かって進んでいる自分に確信を持ち進めるなら、未来も現在もひっくるめてハッピーになれる。

 

 

以上が俺の知る限りの苦しみからの脱却方法だ。他にもわかったらまたまとめようと思う。