日々頭の中で言葉をぐるぐる回していると、複雑な悩みが生まれるのを感じる。
もし仏教にある空を極め、言語活動やそれらをすべて破壊したなら悩みは生まれないんじゃないか、そう思って実験をしてみた。
・画像・映像で思考する
・英語で思考する
1画像・映像で思考する
この状態で、ストレスを生じる状況をイメージする。
状況: 森の中で迷ってしまい、どんな道を選んでも外に出ることが出来ず、夜になってしまう。
数分ほどその状況を、一切の言葉を頭の中で生ませず、純粋な映像のみでイメージしてみた。おそらく動物の思考に近い
。。。数分後、
結果:複雑な感情はうまれず、純粋な恐怖が生まれた。しかし、言語がないので論理思考を持たず、この先どんなことが起こるか、といったことはあまり想像できず、あまり未来予測のケースが複数想像されることはなかった。
2英語で思考する
では、先ほどのイメージによる思考はイメージ思考に慣れていないからである可能性を考えた。そこで、思考を英語に切り替えてみた。頭の中の言葉を英語のみにする。そして先ほどと同様のシチュエーションについて考える。
。。。数分後、
結果:あまり恐怖の感情は生まれなかった。これは恐らく、単語や文脈に対して感情とのひも付きが薄いからでないかと考える。
人は言葉を深く使うたび、感情と結びついていく。それが英語は普段使わないので結びつきが弱いためだと体感的に結論づける。
以上から、言語活動を滅することは恐らく複雑な感情を生まないために一時的な効果を生む可能性があることが分かった。