仕事とお金稼ぎは別だ。

 

 

生きる上で多くの人は仕事をして生活をする。

 

 

生きるためにお金がいる、お金がいるから仕事をする。

 

 

そしてやりたくないことを我慢して生きている。

 

 

ここに、人生=仕事=我慢 という最悪の式ができているのがわかるだろうか。そんなこと言うと、「そんなことは当たり前だ、我慢するもの、それが大人なのだ」「仕事はつらくて当然」なんて声が聞こえてきそうだ。

 

 

昔はそれでよかった。男は家長として家で尊敬され、そしてその男は外で我慢して家族のためにお金を稼ぐ。家の中で自尊心を満たされることを前提としてうまく彼らは誇りを持ち、バランスをとっていた。

 

 

そして彼らは少なくとも自分や家族、愛のためといった「目的」があり、彼らの選んだ人生であった。(もちろん全員ではないが)

 

 

少なくとも俺には昔の男はそういう風に見える。

 

 

そういったバランスを失った現代人は様々な方法で自分を騙し騙し働いている。そういった自己洗脳へのパワーはとてつもないものだ。「自己啓発」「転職」「現実逃避の娯楽」

これらの市場はどんどん大きくなる。それだけ「やりたくない」ことをやるのは大変なことなのである。

 

 

 

そんな大変な無理をしてまで私たちはやりたくないことや我慢を続けなければいけないのだろうか?

 

 

 

先ほどの構図は、絶望的にみえるだろう。「人生=仕事=我慢」+「仕事しなければ生きていけない現状」これらが合わされば、もう直視することが出来ない絶望だ。

 

 

 

しかし、一度正しく見なければならない。絶望的に見ている時点でそれを正しく見られていない。視点を広くしてみれば、これはあまりに偏った視点であるということがわかる。

 

 

 

まず、「仕事をしなければ生きていけない」という前提が間違っている。

正しくは、「ある程度お金があれば生きていける」だ。何が間違っているのか。「お金を稼ぐには仕事をするしかない」、これが大きな間違いだ。

 

 

 

ほとんどの人にとって、「お金稼ぎ=仕事」になっている。違う。お金は私たちの社会が生み出したシステムだ。そのシステムのお金が自分にある程度回ってくるようにすることが「お金稼ぎ」。「仕事」は、社会に自分の機能を提供すること。(受け売りだが)

 

 

 

だから、私たちは生きるために仕事をする必要はない。「お金稼ぎ」をすればいいのである。もしもやりたくないことを我慢して仕事にしている人がいるなら、それを仕事とは思わないことである。私たちにとって仕事は大切な価値観になりつつある。社会にとって仕事は大事だ。人はその人の機能をお互いに提供しあうことで助け合っている。

 

 

まず第一に「仕事」と思わない。「お金稼ぎ」と思うこと。

そして、お金稼ぎをするのなら、やることはシンプルだ。

 

・元手がない人→時間当たりのお金を生み出す効率を上げる、元手が必要のないお金を生み出すシステムをつくる

・元手がある人→お金がお金を生み出すシステムを作る

 

 

ここだけ頑張ればいい。俺にとっていまシステム開発の方がお金を生み出す効率が高いので開発の案件をこなす。たまにピークの時のウーバーイーツをやる。ひたすら時間当たりのお金を生み出すことをやる。そこに意義とか、感情とかは必要ない。元手ができるまでひたすらこれを頑張る。

 

 

それと仕事は別だ。私たちの人生にとって仕事に対する価値観はとっても重いものになっている。だから、「仕事=我慢するもの、嫌なもの、やりたくないこと」としてしまうと、あなたの人生そのものがつらいものに近づいてしまう。

 

 

お金稼ぎはお金稼ぎ。別で考える。そして、それができるのは技術があるからだ、とか頭がいいからだ、とか環境が、才能が、という人がいるだろうが、待ってほしい。

自分にとって負担が少なく、効率の高いことをやれば何でもいいんだ。俺なんか、ウーバーイーツもやってるし。誰でもできるぞ、こんなんは。

 

 

 

お金稼ぎは仕事だけじゃない。いろんなものがある。投資だろうと転売だろうと何だっていい。まずあなたが今仕事をいやいやしているとしたら、それを仕事と思わないことだ。あくまでそれはお金稼ぎ。大義も意義もクソもない。心からやりたいことにこそ価値や意義があるんだから、そういったことを仕事、ライフワークにしていこう。