人は心のどこかでは他人のために行動をすることが善いことだと思っている。
脳を2種類に分けてみよう。言語化されているものと、言語化されていないもの。
そして、「人のための行動がよいこと」というのは、言語化されていない部分にあるのではないだろうか。
では、言語化されている部分ではどうか。現代では、「利己的に生きることが良いこと」とされている。
これは現代の拝金主義が浸透した文化圏では顕著かもしれない。
となるとどうだろうか。我々は強い自己矛盾を抱えてしまう。心のどこかでは人にやさしくしたいのに、他者から利己的に奪う行動をする。
そしてほとんどの情動は、言語化されていない脳で起こる。理性が強くなるほどに心が苦しくなる現象が起きてくる。
これは極端なパターンだ。心ではわかっていても、心を分かっていない。我々はついに脳の正体、心の正体について解明しつつある。
だからこそ、利他的な行動のもたらす効果、そして利己に縛られることの脳への悪影響を知ることで、強烈な自己矛盾は解消されていくだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なぜ生きる上で利他行動は必須なのか、ロジックを組む試みをしてみようと思う。
利他行動は人間にとっての必須栄養素であると知らしめたい。
、、、、が、まだ私はそれを組み立てるに至らない。例えば利他行動によって脳内の神経伝達物質及び脳の活動が影響を受けることや、ミラーニューロンによって他者によいことをすれば自分にも帰ってくる相互のフィードバックを生み出せること、メリットを書きだせばきりがない。しかし、我々にとっての必須栄養素であるとまで言い切るロジックがまだ組めない、。
だが、我々はわかっていないだけでこれは必須なことなんだ。どうにか、俺の生きているうちに広めたい。