人はサルのころからたいして進化していない。

 

 

 

感情や行動といった自分のコントロールすらほとんどの人はできないし、

 

 

 

出来ていると思っている人も無自覚に人をいじめたり蹴落としたりして、そのくせ自分は優しいと思っていたりする。

 

 

 

にもかかわらず、生きる上で求められることは高度化しすぎた。(自分含め)サルには生きづらい世の中になっていないだろうか。

 

 

 

間違っているのはシステムのほうであるのに、稼げていない自分はダメだとか、勉強できない自分はダメだとか、社会に合わせられない自分はダメだとか、自分を責める方向の考えが強くなっていないだろうか。

 

 

 

そうして自分に厳しくなった結果人にも当然厳しくなる。自然に任せて子供ができた親を、無計画だと責める。勉強しない子供を責める。さらにそれを愛のため、その人のために責めていると言うがそれは無自覚な自己防衛だ。ひどい物言いをした自分を正当化するための文言だ。認めたくはないだろうが。

 

 

 

正当化するのはなぜか。誰もが自分を嫌いになりたくないからだ。誰もが自分を好きでいるし、好きでいたいからこそ、自己愛ゆえに生きている。それは当然の摂理で、誰もがそうだ。

 

 

 

だとするならば、自己愛ゆえに他人を責めるのを、自分を責めるのをやめようじゃないか。クソゲーなシステムのほうが間違っているのだから、そういったシステムから一定の距離をとって、自分を、人を、大事にしてみてはどうだろう。