俺が成長していく過程で、やはり避けて通れない所がある。俺の人格形成は決して順調に進んだ訳ではない。人並みに接する事が出来るようになるまでには、紆余曲折の道程がある。恐らくだが、俺の人格形成は大学時代で完了したと言える。それは大学で心理学を学べた事が大きい。これが無ければ俺はどんな人間になっていたかわからない。それ程高校生までは危うかった。下手をすれば犯罪者になっていたかもしれない⋯。歪んだ青春時代を送っていたかもしれないのだ⋯。人の心はちょっとした違いで大きく歪む事がある。与えた側はほんの気まぐれであったとしても、受けた側には大きな波紋となって現れる事があるのだ。虐待、虐めの本当の怖さはそういう所にある⋯。
俺の子供の頃は、自分で言うのもなんだが、とてもドン臭くて不出来な子だった。とにかく何をするのもトロ臭く、キビキビ動く人には不快この上無い存在であったろうと大人になって、子供を育ててみて理解した。ただそんな個性しか持ち合わせていなかった俺には、「何で早く出来ないの?」と聞かれて、その理由なんてわかる筈も無かった。その理由がわかったのだって、大学に入ってからなのだから⋯無理もない。人間には、行動を起こす時に瞬時に行動を起こせるタイプと、その行動の結果を導き出す為にはどう体を動かすべきなのか脳内で熟考して初めて動かせるようになるタイプがいるのだ。前者の場合、考えなくても体が勝手に(正確に)動くので、自ずとその行動は早くなる。ある意味動物的だ。危険回避は動物的勘で補う。それに比べて後者の場合、考えてから始めるのだから自ずと行動は遅くなり、危険回避も考えの中に含まれる。ただしこのケースは子供に致命的な損を与えてしまう。子供は経験値が低いので、思考力が足りないのだ。だからなかなか正解を導き出せない。なのでいつまで経ってもグズグズしてしまい、大人が求める行動が出来ないのである。そんな時に、大人が怒ってプレッシャーを与えようものなら、それはもうパニック必須である。ここでは大人が、考える子供に幾つかのヒントを提示しながら正解まで導く根気が求められる。そんな時間が取れない時は、文句とかは言わないようにしながら、順序立てた行動で手伝うようにして、行動をルーティン化するまで仕込むしかない。
⋯⋯とこんな風に子供はタイプ別に対処法を変える必要がある。俺は完全に後者タイプだった。だが、母親は自分が前者タイプだったので、後者タイプを理解出来なかった訳だ。俺の小学時代には何度「早くしなさい!」と言われたか知れない⋯。言われ慣れた所為で、耳にタコが出来た程だ(笑)何をどうすれば早く出来るのかを知らなければ、いつまで経っても行動は早くならない⋯。後者は大人にとって面倒なタイプなのだ⋯。
毎日毎日怒られている内に、小学4年生くらいの時に偶然垣間見た2時間ドラマの「実の子じゃないから愛せない」的なセリフに衝撃を受け、『やっぱり血が繋がっていないから、こんなに怒られるんだ!』と一人悲しくなったものだ⋯。小学卒業するくらいまでは、暫く実の子ではないと思い込み、中学を卒業したら家を出る計画を真剣に立てたりもした⋯。
子供は大人に認められる事で伸びてゆく。怒るという事はその対象を否定する事に繋がる。否定されて育った子供は自分を認められない。自己受容が出来ない。自信を持つ事が出来ない。自分を信じる事が出来ない子は、誰の事も信じられなくなる。慢性的な人間不信に陥り、負のスパイラルが始まる訳だ。俺も途中で自己修正出来ていなければ、そうなっていた可能性が高い⋯。
ただ俺が恵まれていたのは、父親が優しく強い人だった事と、友達だけは否定されなかった事だ。ここだけは本当に感謝している。ーーー