こんばんは〜
お風呂の中でふと考えたことの記録です。
朝五時からプールに行ける「早起き会」というものがタックに存在するのですが、
一回これ申し込んでみたらどうなるのだろう?
と思い。
多分、まず朝は劇的に空いていますよね。
そして朝五時から水泳している人なんて、絶対に素敵な人のはずです。
そして、朝絶対に余裕を持って用意ができ、出社の頃には目も完全に冴えているはず。他の人が目をこすりながら電車に乗っている間、私は朝五時から1時間ほど水泳を終えてほんのりと疲れた状態で出勤。仕事後は帰宅しシャワーを浴びて疲れから即爆睡、翌日も朝から起床でプール。このルーティンを1日に取り込むことでどれだけ生活が変わることか。そして、自分は他の人とは異なる時間の使い方をしている、という「事実」(環境生成)が、事故優越感を生み出し自信につながるのではないか。
私は、「ありのままの自分を愛そう」という裸の自信、みたいなのは好きではありません。サボっている自分を正当化して愛そうだなんて、あまりにも傲慢だと思ってします。
努力して苦しい思いをして、精一杯やっている自分だからこそ自信が持てます。私はね。それって根源的には自身ないんじゃないの?と言われてしまうかもしれませんが、単に私の自信は自らの努力を根源としている、ということですね。だからこそ、この他の人と違うという優越感(この「努力」は絶対的なものである必要がある、つまり、努力をしていない天才と努力をしている自分を比べて、結果的に点数は負けていたとしても、その「努力をした」という部分にフォーカスして得られる優越感)は、私にとっては自信に直結します。
そして私の経験上、自信と結果は直結しています。
何らかの形で、自信があることは必ず成功している。
そして思いました。
多分朝五時水泳をやっている人で、メンタルが弱い人はいない。と。
正確には、これをやり続けられるほど毎朝「自分に勝つ」経験をしている人は、他人に叱責されたところで何もダメージを受けないのではないか?要は、他人に負けないのではないか?ということです。メンタル的にね。
だって毎朝、寝ていたい自分と戦って、自分が嫌がることを強制的に自分の人生に取り込めてしまう能力を持つ人間が(正確には、これを日常とする環境に生きるということでもある)、他人と比べられて、他人に「得点的に」負けたところでノーダメージなのではないか。と、思いました。
要は、自分の敵は自分、というように、その自分の中での最強最恐ライバルを毎朝ボコしている自分は、他人に負けることはないのではないか、ってこと。
自分のレベルアップの舵を握るのは自分しかいません。ということは、自分はどこまでも最強になれてしまう。(理論的に自分の限界を決めなければ)。で、そいつを倒そうと毎日奮闘している自分が現実世界で最強最恐になれないわけがないのではないか。
次は私が常々考える「beの状態」について書きますね!今回と少し似てますが。本質的には「環境をつくる」と繋がっています。
結局環境、人は結局環境。