やや詳しく教えてくれた「日本書紀 第28巻」:壬申 の乱(2)
壬申の乱とは,天智の弟であった大海人皇子と,天智の長子,大友皇子とが,天智死後の王位継承権を巡って争った戦乱であり,一般的には,「日本書紀」に書かれている内容に従って理解されているものと思われます。 天智は,大化の改新以来,天智天皇を支えてきた弟の大海人を皇太子の地位に就けていました。しかし,晩年になって,聡明な長子の大友を大王の地位に就かせたいと思うようになり,671年に大友を太政大臣に任じて後継者とし,大豪族で固めた近江朝廷の主宰者としました。これにより,大海人は皇太子の地位を追われることとなりました。 病床に大海人を呼び,殺害しようとした天智は,大海人に大王位を譲ると言いだしましたが,天智の陰謀だと察知した大海人は,その話を辞退して出家し,大津宮を出て,吉野で隠遁生活を送ることになります。大海人の周囲には,后の鸕野讚良(うののさらら)と,その子,草壁皇子以外には,わずかな付人がいただけでした。 天智崩御の672年,大友は大海人を攻めようと挙兵しました。天智の陵を造るためと称して,大友は農民たちを武装させていたのです。大海人はこの情報を得て,吉野を脱出して東国へ入り,湯沐邑(ゆのむら:現在の岐阜県安八町)のある美濃の兵を挙げて,不破(ふわ:現在の岐阜県関ケ原町)を抑え,東国を掌握しました。大和では,大伴氏もこれに呼応して飛鳥で挙兵しました。 これに対して,大友側の対応は遅れており,西国の軍事動員には失敗していて,各地で地方豪族率いる大海人軍に席巻され,大津宮は7月に陥落,大友は自害しました。 翌673年,大海人は飛鳥宮で即位し,天武天皇となりました。これにより,有力中央豪族は没落し,天皇中心の中央集権体勢ができあがりました。 …というのが,壬申の乱の概要として,日本書紀の28巻に書かれている内容の概略です。先日記載した検定教科書の内容は,これをすごく簡単にしただけという印象を受けます。実は,ここに書かれているのはちょっと違っていて,壬申の乱を陰で操っていた人物がいるという説があり,私はその説明が一番正しいと思っています。 また,東国とは何だったのか…これについて,少しわかりました。畿内から見て,そこから先へ行くと危険な場所(鈴鹿関,不破関の向こう)というのが東国だったのではないかということです。こうなると,いろいろと欲が出てきてしまいますが,東は今の滋賀県,南は奈良県…そのあたりまでが,当時の大和朝廷の勢力が及んでいた土地と考えるのが妥当でしょう。