ブログを拝見していたら
歳晩
ということばを使ってらして
年末でも
歳末でもない
趣のあることばだなあ
と
俳句をしらべました
たくさんあったなかで
この句が
気に入りました
歳晩の灯を戀ひありくおないどし 高浜年尾
めったに出ない街だけど
歳晩の 街の灯りに誘われて
気のおけない
おないどしの女友達
もしくは
おないどしのボーイ?フレンドと
どうでもいい話に
白い息を吐いて
笑いながら
ますます更ける夜だけど
ゆらり
そぞろ歩いてく
そんな情景が
思い浮かびます
職場では
いよいよ長老
若い同僚には
なにかと常に
気を使ってます
若い人たちが
終始AIでこしらえてきた仕事に
うん!
よくできてる
なんて口では言いながら
(実際、AIの仕事は
たいてい「よく」はできている)
文章を考えるのが面白いのに
なんでそんな面白いこと
AIにさせるのだろ
惜しくないのかな
じぶんのからだ
じぶんの手で書きたくないのかな
阿刀田高さん
90歳になった今でも
原稿は手書きなんだって
理由は
手が考えてる から
わたしもそう思うナ
手が感じてる
手が伝えてる
同じ年には
そんな価値観や
どこが疲れた
なにが楽しい、も
安心して話せる
この句ではさらに
「おないどし」とひらがなになってて
ほっとするような空気感が
いいなー
うんうん
と、ふと
この俳句の解釈が載っていました
歳晩の灯を戀ひありくおないどし 高浜年尾
年末の慌ただしい時期、外は寒く日が暮れるのは早い。家々には灯りがともり、そこにはそれぞれの家族団欒がある。ひとり歩く自分は心惹かれ、その灯りの向こうに自分と同じだけ歳を重ねてきた人々の暮らしがあることを思い、寂しい中にも静かな連帯感を覚えている。
いくつか調べても
やはり同じような解釈が出てきて
高浜年尾(高浜虚子の子)という方の
人となりや作風からだけでなく
なんらかの
根拠もあるようでした
しかしこんなにも
まったくちがうとは!
じつに面白い!!
さて今日は
そんな おないどしと
奈良で忘年会
奥の院 冬牡丹
雪が積もると
また綺麗でしょうね
お昼ごはんは門前で
そして
さいごは
忘年会のメインイベント
草餅を買って野点コーヒー☕️
のはずが
まさかの草餅売り切れ😱
しょうがないからコーヒーだけ淹れようとしたら
バーナーだけ入れ忘れたー😱😱😱
(立山で使って、戻すの失念)
カフェのコーヒーを
テイクアウトしました
…早いネ…
…手軽だね…
そして美味い!😂
楽しみにしていた
初めての豆はお預け
またこんどネ
それから
広い公園を散歩してると
前から思ってたけど
ここから
二上神社に歩けるはず
行ってみよう!
となり
そのまま
歩いて行くことに。
ところが
道が分からなくなって
途中
山の獣道?をゆく
子どものころは
よくそんな
どうみても通ったらあかんところ
に入って遊んだりしたけれど
まさか還暦をゆうにすぎて
こんなところに分け入るとは
おないどしは杭に乗ってジャンプ
着地に失敗
いたたたた…としばらくやっている
(脳内では小学生のように跳んだつもり)
到着したら
ふたりとも
ヌスビトハギだらけでした
ふたかみやまの
神さまがまします
小さなお社
地元のかたでしょうか
おひかりをあげておられました
帰りは
ちゃんと調べたら
ちゃんとした車道があり
というか
この神社にも広い駐車場完備
ここまでクルマで来れたんかい😆
大阪からは
左右はんたいの
雄山と雌山を眺めながら
ふつうの車道を
てくてく
なんとも凸凹な
忘年会終了👋
帰って明るいうちに
玄関に門松と
しめ飾りの代わりをつけて
いよいよ歳晩も
あと1日
































