★8年ぶりですが更新します★

 

(これは2010年の話です。内資企業でも公的機関でもリモートワークが定着した現在とは異なります。勤務していた外資系メーカーでは、他部門では在宅勤務が実施されていたにも関わらず、私の所属部署ではまだ採り入れられていませんでした。・・まぁ、会社全体のルールを人事部が仕切れていない程度の会社だったとも言えます。

 

私の希望する在宅勤務を自在に取り入れる代わりに、正社員ではなく「そのような条件で採用した契約社員」ならば良いという判断を人事部は下しました。

 

今思っても、これは憤るべきポイントでした。

しかし30代半ばと若かった私。アラフィフの今ほどの厚かましさと自己肯定感はまだ備わっていませんでした。

一度は退職を決意したわけだし、三人の子育てに疲れていたこともあり、この条件をあっさりと飲みました。

 

しかし。

新しい形態でスタートすると、それまで同じルールの下で仕事をしていたチームワークが崩れるようになったのです。

同じチームには他にもママ社員がいました。

彼女は子どもが一人だったものの、まだ保育園児で、子育てが大変な時期である点は同じでした。

私が親を頼れない(私の実家は近いのですが、子供を預けて働くことに反対で、私の子育てを手伝う意向がない人でした)にしろ、彼女も地方から親御さんを呼んだり、少し風邪っぽい子供を無理して登園させたりする中、少し具合が悪いと在宅勤務に切り替えられる私。

重い方の仕事は彼女が気を利かせて拾ってくれ、私は楽をする。

いや、私だってむずむずしていました。

でも賞与もなくなったし、そのために働き方を契約から変えたんだもの、仕方ないよね・・と自分に言い聞かせていました。

 

そんな中、チームは新しい製品の上市を抱え、みな多忙になって行きました。

子供の具合に合わせて(相変わらず三女は頻繁に熱を出しました)出張に行く行かないをギリギリでジャッジすることを数回続けるうちに、チームの対応は冷ややかになり、私自身も、最新の情報にキャッチアップできていないことで、戦力になれていない自分を自覚してきました。

 

働き方の問題じゃないかもしれない。

もう私の中に追いつくガッツが、ない・・・

 

 

3人の子供がそれぞれ


小学2年生、保育園2歳児クラス・0歳児クラス在籍中に、

ワーキングマザーとしての生活に限界を感じ、

上司に退職を切り出した私。


当時は組織を再編したばかり。

新しい上司は、少しだけ年上の男性でした。


押しが強くなく優しく、とにかく自分にとって最良の選択をしてください・・・、

という方でした。


ところがその上の部門長は外国人女性(欧州系)。

しかも3人の子を育てあげた方でした。

即、面談を設定されました。


気持ちを分かった発言をしてくださった上で、

あなたの今一番大変なところは何か?と聞いてくださいました。


末っ子の頻繁な病気、看病を人に頼むことができないこと。


(病児保育はすでに利用中だが、感染症による入院は完全看護ではなく、末っ子は人見知りなので人にも頼みづらい。

それを、復職あと短い期間で3回も経験済)


という点を伝えたところ、


退職を決意する前に、別の働き方ができないかを人事部に相談してみなさい。

会社はあなたを必要としている、と。


人事部の面談。


今思えば不思議な面談でした。


在宅勤務を提案されつつも、この会社、不思議なことに、他部門では在宅勤務が制度化していたにもかかわらず、私が所属する部署ではまだ明確に導入されてはいませんでした。

とはいえ産休、育休中には在宅勤務を時給ベースでいただいたこともありましたので、イメージはできました。


私が希望する働き方。

看病休みが頻繁にあるため、在宅勤務に加え、週3回程度の出社(または月12回程度の出社)を満たしたら欠勤ではないという扱いを認めてほしい。


人事部の意見。

あなたの担当している仕事は誰でもできることではないし会社もあなたを必要としている。ただし在宅勤務が制度化されていない貴部門では正社員でそれを満たすのは難しい。契約社員としてつづけたらどうか。


今思えば、ただひたすら疲れて逃げたかったのかもしれません。


そもそも一度退職を決意し、家でずっと子供を見ていることも思い描いていた私。



これに合意しました。


その時は、むしろハッピーな気持ちでした。


これで、都合の良い働き方を続けられる。


完全にやめるわけでもなく、厳しいフルタイム勤務が続くでもないのだ。

まだ0歳児と2歳児がいる。保育園を継続できるのはありがたい。



一度は退職しようとしたところも周囲は知っている。

今は「第一線から降りた私」なのだ。


だから、極力出張も断り、

「子育てを優先するができる範囲で仕事をする人」という、

新たな存在感を出していこう。




ところが、

世の中思うようにはいかないことを知るのは

その数か月後のことです。










あの地震の年の夏まで、10年近く。

私はフルタイムで働いており、保育園ママでした。


その間に2人の子を産み、

あわせて3人の母となりました。


新卒入社した外資系の某メーカー。

勤続15年。

後半はほぼマーケッターや、トレーナーとしての多忙な日々でした。


時に残業あり、時に出張あり。

ほぼ年に1度、海外もあり。


だけど、親は地方在住、サポートはなし。

夫も同業他社。基本、忙しい。


保育園送迎担当も私。


夫は・・家事育児を頼めばやってくれるけど、

自分から気はきかないタイプ。

そして、最初から分担はされたくないタイプ。

それでも、具体的な指示には反応してくれるので良い方でしょう。


足りない部分はファミサポさん、

シッターさん、家事ヘルパーさんを頼みました。

都心在住、自転車通勤。フレックスタイム。

もともと、時間的、物理的には勤務体制に恵まれてました。


マーケティングプラン策定。

早朝のテレカン。バジェット達成。

営業トレーニング。

プレゼン資料のカスタマイズ。


・・・本当に良く頑張っていたと思います。


ですが、やはり限界がありました。


退職の一番のきっかけは、末っ子が若干、体が弱かったこと。

何かと風邪をこじらせ、しょっちゅう、入院。


忙しい中にも充実感あふれるワーキングマザーライフにプライドをもっていた日々にも、次第にかげりが・・


資料を作りきれない。良い案よりは楽な案を選択したくなる。

土壇場で人に振る。

このままでは評価に影響が・・と不安がさしてきていたある時。


地方支社から、10数名の営業担当者が、

私のトレーニングを受けるために上京する予定だったその前日に

末っ子が入院。


完全看護の病院でしたが、

感染症だったので例外扱いに。

付き添い看護は保護者で、と・・・

トレーニングをドタキャン。



あってはならないことでした。



普段より、病児保育、病児シッター、とにかく他人の手をあれもこれも借りて乗り切っていて、

「病気の時も全部計算済」のつもりでした。


誰よりも人見知りベビーだった末っ子は、夫や祖母では泣き通す。

高熱のままその状態でいるのを「やむをえない」として見切るほど鬼になれなかった。


医師も、この子はしばらくこの程度の風邪で入院を繰り返すでしょう、と。


1年ほど前にはまったく考えていなかった「退職」の2文字を決意。

2か月後。

ある程度、仕事の切れ目の良いところで、上司と人事部に切り出しました。


しかし・・・

退職が延びることに・・・


この続きは、また・・・