7世紀につくられた水城
西日暮里にある中学の入試問題を参考にしながら、正誤判定問題の訓練をしてみましょう【2019年度の問題から】7世紀に大宰府の北方につくられた水城とよばれる防衛のための堤について、正しいものを選べ。ア 卑弥呼ひきいる邪馬台国の反乱にそなえるため。イ 藤原純友の反乱にそなえるため。ウ 唐や新羅の侵攻にそなえるため。エ 元の再度の侵攻にそなえるため。この問題は、7世紀がポイントだね!7世紀は601年から700年までだね。誤文は時代が違うものを選ぶことがあるだよね。時代が違うだけで正しくないと判定するわけだ。特に、1274年の文永の役の後、鎌倉幕府は博多湾に防塁(石塁、当時は石築地と言われていました)をつくるのですが、確かにこのことと、水城をつくったことはよく似ているよね。また、藤原純友が伊予(今の愛媛県)の日振島で反乱を起こし、大宰府を攻め落としたということから、藤原純友と大宰府の関係も考えて問題を作っているね。アは、弥生時代。イは平安時代。エは鎌倉時代。だから古墳時代は、ウということになるのだね。でも大事なポイントは、660年に大和朝廷と深い関係にある百済が新羅に滅ぼされて、百済復興の旧百済勢力のために援軍を出したわけだ。ところが、663年白村江で唐・新羅の連合軍に敗れてしまう。(良く高校生に、中大兄は唐・新羅軍を663ロクロクミないで白村江と覚えようって言ってたっけ)ここで質問(@_@)なんで、中大兄は朝鮮半島が大事だったの歴史の紛争は、それぞれの国の欲から起こります。特に経済的欲です。砂鉄しか鉄資源のない倭(日本)。朝鮮半島の鉄資源を確保したかったんだね。そうそう、チョット雑談。律令の時代の九州の役所は大宰府。菅原道真のたたりを鎮(しず)めるためにつくられたのが、京都では北野天神、九州では太宰府天満宮。➡役所の大宰府は大の字に点がない。太宰府天満宮には点がある。文学史の太宰治にも点がある。役所の大宰府を答えるときに、太宰府と書いたら、テンデハナシニナラナイ(点で話にならない)ということになるよね。おおサブ―。