まずはジャニュワリ―・ファースト(1月1日)。皆様明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
ところで昨年就任したアメリカのトランプ大統領が繰り返すアメリカ・ファーストという言葉。日本でも都民ファーストという政党が彗星のように誕生し、昨年はブームのように実に良く使われた。
○○ファーストは「一番大切なものは何か」が明確に示されているようだが、落とし穴もある。まずどうやって大切にするのかが白紙委任に近い。また「まずは○○」というだけで、その先が示されていない。「まずはビール」と頼んでメニューを見る時間を稼いでいるだけでは心もとない。
そもそも英語で「○○ファースト」はどんな使われ方をするのか。
例えばレディース・ファースト(まずは女性に)。自分は幼少時に米国で育った為この言葉にさほどの違和感がない。米国では、ショッピングモールで男性が(見知らぬ)女性に扉を開けるときも「どうぞ」の代わりに発したりする。レストランでもまず配膳を受けるのは女性というのが暗黙の了解だ。今では逆差別なんて言う声もあるのかもしれないが、米国では社会で弱いとされる立場の人に配慮することを習慣化する言葉として浸透してきた。
そしてアスリート・ファースト(何よりも選手の視点で)。スポーツの大会の開催運営には様々な利害が交錯する。主役である選手の利益だけは損ねずに調整するという譲れない一線を示す言葉だ。放っておいたら、この一線が崩れてしまうので、敢えてその一線をクローズアップさせようとスローガン的に使う。
日本では話題にものぼらなかったが、1990年代にトランプ大統領から数えて3人前のクリントン元大統領が選挙戦でピープル・ファースト(国民第一)を掲げたことがあった。政府と比べて弱い立場にあると思われる国民が主役であるという掛け声は、レディース・ファーストやアスリート・ファーストと同様の使い方だ。
トランプ大統領のアメリカ・ファースト(米国第一)はどうか。「国益(National Interest)第一主義」は長年米国政府が掲げてきた。これまでの国益第一で何が足りなかったのかが明確にならないと、言い放しの印象を拭えない。また米国は世界の弱者ではない。その意味でレディース・ファーストやアスリート・ファーストとは使い方が異なる。
「アメリカ」を国内の一部の弱い国民だと理解すると分かり易い。いわゆる白人ブルーカラーの人達はそう考えているようだ。因みにアメリカを偉大(Great)にするという時の「偉大さ」も米国民それぞれに違うはずだ。そうであれば選挙戦術としてはともかく、トランプ大統領のアメリカ・ファーストはあまりにも無責任なものではなかろうか。まさに誰の為に何をするかが全く不明である。
アメリカの「偉大さ」の源泉とは、基本的な国益を確保しながらも、賛否両論あるにせよ「米国流」で世界と向き合い続けたからではないか。飛行機の搭乗中の緊急時には、子どもに酸素マスクをつける前にまず自分のマスクをつけるよう指導される。親が自分の酸素マスクばかりに気を取られていたらどうなるのだろうか。
トランプのアメリカ第一主義の闇は、まず守るべき基本的な国益すら不明確にしてしまったことだ。言わんや、その先の構想も全く示しておらず(エルサレムをイスラエルの首都にするというつまみ食い的な政策が散発的に示されるのみ)、そのことで今後の世界の趨勢に不透明感を充満させている。
「○○ファースト」の中身とともに「その次は(What`s next)?」や「その他は(What else)?」が示されることは今後あるのだろうか。
日本としてはチャンスもある。不透明な世界構造は、「日本流」で世界と向き合い、日本の国益の確保と世界貢献の良循環をつくる余地を生み出すのではないか。
大勢の人が訪れた新年の一般参賀での天皇陛下のお言葉が頭をよぎる。「年の初めにあたり、我が国と世界の人々の幸せを祈ります」とのお言葉で締めくくられた。
まずは我が国を満たし、その先の世界と「日本流」で向き合うことを率先する日本。激動の2018年をその契機の年にできれば、日本の未来にも明るい兆しが見えるだろう。