斎藤一人さんファンのあなた、こんにちは♪

どうも( ^ω^ )
タカやん先生です。

今日も一人さんから

すごく勉強、気づきになる言葉

をいただいています、
一人さん、よろしくお願いいたします♪



【『あたりまえ』から『ありがとう』】


いろんなところを旅していると。

たまに、お世辞にもあまり
美味しくない蕎麦屋とかに
行きあたることがあります。

そういう蕎麦屋に行くと私は
思わずチップとか置いてくるんです。

まわりの人はそれを見て。

「なんであんなおいしくない
蕎麦屋でチップを置いてくるの?」
って聞くんだけど。

私はこのおいしくない蕎麦屋で
家族を養ってきたんだと思うと。

それってスゴいことだなと思うんです。

もしかしたら、このご主人は、
うまい蕎麦をつくる才能が
ないのかもしれない。

それなのに泥棒になるわけでもなく。

こうやってまじめに蕎麦屋を
やってる人は、スゴい人だなと
思うの。

この蕎麦で娘を大学にやったり。

結婚させてやって。

そうやって家族を養ってるのは
スゴいなって。

そうやって世の中を見ていくと
スゴい人っていっぱいいるの。

それで、そうやって見ていくと
楽しいの。

それで大事なのはやっぱり、
当たり前じゃないってことなんだよね。

前にも書いたけど、人生でいちばん
イヤな言葉は「それぐらい当たり前だ」
ってことなの。

私は会社に行くと必ず「ご苦労さん」
とか。

「ありがとう」ってみんなに言うの。

それでお茶を出してくれたら、
また「ありがとう」なんだよ。

社長にお茶を出すのは当たり前
じゃないんだよ。

それと同じで、旦那さんが
給料を持って帰ってきてくれて。

それが当たり前になったら
人生が急に味気ないものに
なっちゃうよね。

社員だから働くのが
当たり前じゃなくて。

働いてもらっているんだから、
「ありがとう」なんだよね。

この世の中に当たり前のものは
何もないんです。

水だって、何もないところからは
出てこないんです。

「水!」って言うと、誰かが
それを持ってきてくれるんです。

さらには水道局の人やコップを
作ってくれる人がいて。

はじめて水を飲むことができるんです。

あるはずがないことが起きたときに。
”有難い”っていうの。

だから、ありがとうとは
あるはずのないことなんだよね。

私は米一粒でもつくったことないけど、
それでも毎日ご飯を食べることが
できるの。

それは、誰かが私の代わりに
米をつくってくれるおかげなんです。

私は漁師じゃないから魚も
とれないけど。

それでも魚を食べることができるのは
ありがたいことだよね。

それを、どっかで当たり前だって
言っちゃうんだよな。

”あたりまえ”を”ありがとう”に
変えたら。

人生に花が咲くよね。



                斎藤一人



以上です