さとっち サンライズのブログ -26ページ目
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債権総論を採点する


 定期試験は、出題者にとっては、毎回出席してくれた学生たちがどの程度講義を理解し、学習成果をインプットしてくれたかをチェックする場になる。

 好きで取ってくれた学生や苦手だが挑戦してくれた学生のいずれにも、学習成果が出るような問題を考えることになる。勉強してくれればその成果がはっきりわかると同時に基礎力を調べる問題も取り混ぜることになる。

 その結果、今年は、社会人入学者がトップになった。奨学金をもらっている優秀なはずの学生に比べて20点以上の差をつけた。全体として昨年に比べて学生の力が低下しているように思ったが、この学生は基本も応用も一応押さえているように感じた。将来の目標は、法曹と聞いている。精進を続ければ、司法試験や司法書士試験、などの突破の可能性はあるように思えた。


7号館


大学入試センター試験の監督をする


 日曜日というのに、朝8時に大学へ行く。大学入試センター試験2日目の監督のため。雪降りの可能性もあり、電車が遅れたり、遅刻や急病など、さまざまな事態が考えられるため、「監督要領」を午前3時に起きて、読み直した

 試験は、「数学①」からはじまったが、NHKの取材が入り、私たちの試験室が撮影の対象になった。この映像は18時45分の東海地方のニュースで流されたようだが、私は見てはいない。この時間帯の受験生は17人しかおらず、教壇のある真ん中の列ではなく両端に固まっていたので、撮影スタッフはさぞ苦労されたことだろう。そんなハプニングに加え、最後の「理科③」が終わったのはなんと18時。10時間もの労働は、さすがに疲れた。

 監督は見ていればいいように見えるが、学生のように居眠りはできず、監視し続けなければならない。試験場の静穏を守るため、靴音を響かせたり、くしゃみをしたり、声を出すことも控えなければならない。全国どこで受けても均一の条件で受験できるように、また、どんな不正も入り込む隙がないように、細かな手順が決められ、受験生に告知することも決まっている。告知する文章を飛ばせば、試験本部と対応を協議しなければならないし、試験場で何が起きても対応できるよう、緊張を迫られる。さらに、今年から、タイムキーパーが置かれたので、試験の開始から終了まで、試験室の主任監督の判断では動けない。キーパーと二人で時間を確認し、「試験の開始」、「10分前の終了告知」、「終了の合図」、など、二人で受験生の前に立って(「腰掛けて告げることができない」)、口頭で確認をとりながら、時間を管理するのである。

 久々のセンター試験の監督だったが、他の監督スタッフの協力もあって、大学の名誉を汚すことなく、何とか無事に終わってほっとした。

1号館

笠松刑務所の参観(2008年1月16日)

 13時30分に笠松刑務所の正門前に集合、服装はスーツ、質問を用意すること、という固い約束をして先週のゼミを終えた。スクールバスの乗車時間も二通り指定し、JR,名鉄線の乗車時間も案内した。さらにメールで「10分前」に到着するよう促したが、それでも遅刻傾向のある学生達のこと、果たして・・・・」という淡い期待と大いなる不安を抱いて当日を迎えた。



 大学関連の雑務を片付けて、12時17分発のバスに滑り込む。3年のKさんとMさんはすでに乗車。笠松の資料を渡す。駅でS君に会い、予定通り31分発のJRに乗り込む。岐阜駅から名鉄の新岐阜駅まで歩き、ここで46分発を乗り過ごす(小さな誤算)。54分発に乗り59分に笠松駅へ到着。15分間、近くのコーヒー店で事前の打ち合わせ。ここから刑務所までは約10分。しかし学生の足では15分強(大きな誤算)。すでに4年生のKさんとDさんは到着していた(流石!)。2年生は、さらに5分強の遅れで到着。不安が的中した(やっぱり!)。



 参観は、まず、会議室で、総務部長さんの話を聞く。細かな点に触れた解説で、大いに参考になった。収容者は630人、初入所者が70パーセント、最高は16回出入りしているとか。薬物と窃盗が多く、次いで詐欺や殺人の順。長期・短期受刑者を分けることなく収容し、職業訓練として美容師の養成のほか、実社会の動きに対応して、2級ボイラー士、訪問介護員2級やビルハウスクリーニング技能士の養成も行われているが、高卒・中卒が多く平均年齢は40から50代であって、薬物の副作用のある人も多く、高度な職業訓練は難しいとのこと



 それから、所内の見学。6人部屋に8人、1人部屋に2人とすし詰めだが、部屋の戸が引き戸で、廊下に自由に出られる事でちょっと救われる。白い私物を入れるバッグが畳の端に置かれており、しかもバッグに大小がある。私物の量により、刑務所の中に外の貧富の差が持ち込まれている。部屋には、テレビや扇風機、流しが備えられ、看守がいなければ、寮生活を思い起こさせる。布団はピンクの敷布団に花模様の掛布団で気持ちが安らぐ。建物にも、遊びがあって、外と隔たれた殺伐とした荒涼感はない。この建物は女性の技官の発想が取り入れられているとのこと。朝食や夕食は各部屋でとり、昼食は食堂でとるが、各テーブルにA、B、B半、米(かゆ)の札が立っており、主食は米7、麦3の割合で、B半は、糖尿病患者に対する食事制限だとか。札を見る限り、この該当者が意外にいる。食事の内容は、ケースに陳列されているが、結構、盛がいいし、おかずも悪くない。ある日のおかずに「おでんの袋」がでんと置かれていた。おかずの費用は1日430円くらいということだったが、まずまずの内容だ。



 見学の後、会議室に戻って質疑。刑務官の受験を考える者がおり、活発とはいえないまでもまずまずのやり取り。事前の打ち合わせがちょっぴり生きた。「就職してから4年ぐらいは下積みでそれを越えると将来が見えてくる。」という総務部長さんの言葉に、「楽しいうちは仕事ではなく、つらさ・厳しさを感じながらもやりがいを感じるのが仕事」という思いを参加者は深めた。2時間余りの時間、部長さんの親切な応対に感謝!



 16時30分、岐阜に出て反省会。見学によって得たものは大きく、受刑者に対する理解も深まった。試験に対する意欲を高めたもの、撤退を決意するもの、ここでは、自由に感想を述べ合うことができる。18時に解散。大半は、穂積から18時30分のスクールバスで大学へ戻った。滅多にないこの様な機会が、参加者の人生に何らかのいい効果を残してくれるよう願いたい。


明けましておめでとうございます


2008年正月の富士山


謹賀新年

 旧年中は一方ならぬご厚誼を賜り、厚く御礼申し上げます。

 昨年は、正月に沖縄の戦跡を訪れ、平和の尊さを体感してきました。5月には、山形に出かけ、羽黒山や立石寺の石段に挑戦、「まだまだやれる」という実感を得ました。秋には、京都の源光庵の「悟りの窓」と「迷いの窓」を前に「違いがわかる」と感じて帰ってきました。暮れに、大学関連の雑務が入り、年賀状の配達が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。

 本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

         平成20年 元旦

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