ようやくシャバへと戻り建築会社に就職した俺は寮に住むことになった。だが年少にぶちこまれた俺の頭は社会には追いつけていなかった。毎日が辛く感じた。毎日が孤独だった。建築も長くは続かずすぐに辞め千葉県から福岡県へ残り少ない金を握りしめ逃げるように地元へ帰った。地元へ帰ると昔のダチが俺のために総勢70人のバイク乗り車乗りを集めてくれた。俺はすでに少年院の大人達に更正されていたはずなのに体の奥から熱い血が駆けめぐった。それからの俺は再び暴走族に加入し夜通し暴れまくった。ここが俺の聖地なんだ、心からそう思った。ある日の夜俺は単車で流した後コンビニに寄ったんだそしたら黒光りの車が三台道路脇に止まっていた、その車から七人の真っ黒のスーツをきたいかつい顔立ちをした奴等が俺の方へと近ずいてきた。負けん気の強い俺は「なんや貴様ら何処の組のもんや」すると集団の中の一人が「A組のもんやがお前内の組に入らんか?噂はよく聞いとるばい」あの頃の俺は本当に馬鹿だった。「誰に口聞いとるんか貴様ら殺すぞ」俺はその集団に突っ込み瞬時に四人倒したが後ろからナイフで足を刺された。俺は痛みを忘れ最大の怒りが頭にのぼり刺した男の胸ぐらを掴み頭を押さえコンクリートに何度も顔面を打ち続けた。しかし足を刺された俺はさすがに負けると感じすぐに逃げたしかしすぐに追ってきた。捕まりそうだったが俺は近くに崖上になっている川に飛び込んだまだ寒い時期だった。必死で逃げた痛みも忘れて。そして朝の六時頃まで隠れていた俺は周りを気にしながら必死にダチの家へと逃げ込んだ。幸い刺された足は血まみれだったが重症ではなく傷が残るだけで済んだ。後から聞いたらその集団はA組の若い衆で俺の噂を聞いてスカウトしに来たらしいのだ、だか一転俺は今度は命を狙われる立場になったのだ。それから数週間おれは身を隠した。 続く
はじめてのブログ緊張する。俺は今この日本で人間が底辺からどこまで成り上がれるかを自分で挑戦し続けている。まずは今までのあらすじから説明しよう。幼少期四歳の頃はじめて喧嘩を覚える。兄貴の友達の腕を噛みついてやった。そして小学一年で俺の人生は180℃曲げられることになる。まずは小学1年だけで校長室に3回呼び出されたんだ。理由は喧嘩、万引き、喧嘩。喧嘩してる記憶しかない。そして運動会の日突然先生に呼び出された。「今お母さんから電話があってお父さんが亡くなられたみたい」俺は意味がわからず楽しみにしていた運動会を後にし汚い団地の我が家に帰ると母親が「お父さんが死んだ」その頃は俺は親父が嫌いだった。母親に暴力、ギャンブル。「死んでよかったね」葬式の日俺が母親に行った言葉だ。それから一年が経ち俺たち家族は引っ越すことになった。新しい学校でも喧嘩は負け知らず。四年生になったとき知らない男が母親と共に家に入ってきたその男とは後々修羅場をくぐることなどは知らずに笑顔で喋った記憶がある。その男をAと名をつけよう。五年生になりまた引っ越すことになる。また、名前も親父の名前から母親の名前に変わった年でもある。それから六年生にあがったときAの暴力と言う支配が始まった。二日に一回はボコボコにされた何回も殺してやろうかと考えた。母親、兄貴もやられていたが特に俺は荒くれのものだったのでほんとに酷かった。そして中学生にあがり一年生で暴走族に所属し喧嘩、リンチ、かつあげ、窃盗、集団暴走、家出。家にも学校にもいかず毎日友達の家に泊まったり野宿したりしていた。しかし三年の夏俺は家出していてAにつかまり家に戻らされた。しかし俺は次の日にAの金すべて盗んで逃亡した。しかしみごとにつかまりボコボコにされた。そしてそのままロープを腕に縛られ空港に連れていかれた。そのまま飛行機に乗り気が付けばそこは千葉県だった。そこにはAの知り合いがすんでおり俺はそこですむようにいわれた。しかし往生際の悪い俺は得意のバイク窃盗をして逃亡した。このまま千葉県から福岡に戻ってやる。中三の俺は単車で福岡に戻ろうとしたしかし静岡県で見事に警察に捕まった。そこから俺の戦い続けた自由への挑戦が幕を閉じた。そっからは更正所、少年院とぶちこまれ16の春俺はシャバへと戻った。  つづく