トータルフードプロデューサー日記
Amebaでブログを始めよう!
1日はなんで24時間なんだろう。

もっと長くてもいいのに。

1日48時間あって、そのうち42時間くらい稼働できたらいいな。

1週間も短い。なんで7日間なんだ。


1週間が7日間って決めたのは、昔のバビロン人らしいと、

宮崎駿の本かなんかに書いてあった気がするが、その時代の物差しで決まった事だからなぁ。

今の時代の、というか自分勝手な物差しで測って良いならば(妄想だからだれも止めないと思うが)

ぜひ1週間10日は欲しい。あ、でもそうなると1年が365日じゃなくなっちゃうね。


…なんてことを妄想できるくらい、11月末から年末にかけては

仕事を詰め込むのを止め、考える時間を作るようにした。


やりたいことを仕事にするため、そのプロットを探す旅(頭の中)に出ようと、ここ2年間、

とりあえず片っ端から食に関するあらゆることをやって、

スケジュール帳を埋めてみて、色々なものに追われながら、

とくに今年は休みを作らずに、走り抜けてみた。


脳みそと心の中に詰め込んだ、2年分の経験と想いを、

早々にカタチにしてお仕事に。自分が一生をかけて取りかかれるお仕事にしよう。


メモ

・人を楽しませたい、という想いを自分は持っている(これは驚きである)。自分にとって人を楽しませる手段のひとつが「食」だった。それは学生時代の記憶から来る。
・食を次世代にちゃんとパスする。それをエンターテイメントにして取り組んでいる人っているのかな?食に興味のない一部の日本人(とくに若者)。食に関する選択肢が滅法少ない。やろうとすることは、これらのアンチテーゼとなるようなことだ。

・食を伝えるプロフェッショナル集団になる。それも人の五感に触れるものにしたい。
・チームで新しい価値&文化を提供していきたい。1人では限界がある。1人でやりきる責任感は必要だが、弱点を補いたい。幸せな食スタイルを世の中に1つでも多く作り、広く伝え、継続していくことができる集団をつくる。
社会に役立つこと、仕事、労働を新たにつくりたい。社会で認められて継続させていく。
・物質を売るのではなく、希望を売りたい。

・人と食の幸せなコミュニケーションを築く。

表参道ごはんフェス。

10月26日(土)、台風による悪天候を予想し、開催を中止。

残念というのはあまりにも簡単だし、落ち込むのもたやすい。

でも、そんなことになるのが勿体ないくらい、

人に恵まれて準備を進めてこれた。



今年のはじめに、思いつきで始まったこの企画。

いろいろな人に相談し、協力してもらい、助けられながら、

考えがまとまっていったんだと、改めて思い出す。



ごはんを美味しいと感じてもらいたい。

ごはんについてもっと知ってもらいたい。

新米の時期が待ち遠しくなるようなきっかけを作りたい。

ごはん周りの箸や食器に興味を持つことで、食べることを楽しんでもらいたい。

生産者さんがもっと世の中の人と話が出来る場をつくりたい。

お米屋さんへの敷居を下げたい。

7人のお米マイスターの選んだお米と、その違いを体験してもらいたい。

日本全国、北の農家さんと、南の農家さんが話す内容を単純に聞いてみたい。

鳥取、森林を手入れして水と空気を作り、その川下でお米を作っている同世代の男の話しを聴いてもらいたい。

お米のランクは誰が、どうやってつけているのか、聴いて、見てもらいたい。

うまいごはんをお願いするなら、この人たちで間違いない、という3組による朝ごはん、昼ごはん、夜ごはんを食べてもらいたい。

おいしい食の唄を耳と口で聴きながら、全国を旅しているキモチになってほしい。

参加してくれたみなさんに、なにかプレゼントして驚かせたい。


そんなことを思い出していると、

しょげてもいられないのです。


開催を中止することを、関係各所に連絡させていただいた際、

みなさんから励ましや、応援のコトバをいただきました。

これがどんなに救われたか。本当にありがとうございました。


雨降って地固まる。

今回のことを糧(あ、ごはんフェスっぽい)に。


お米のカタチをしたてるてる坊主、こんなかたちで応援してくれた方もいたり。

泣いちゃうね。

「LOVE 高円寺」というフリーペーパーがある。

高円寺のルック商店街にあるライトサイドカフェの三木さん中心に、発行されてきたフリーペーパー。


もともと、ライトサイドカフェの集客目的で発行がはじまり、

誌面には南高円寺の地域情報を載せていた。


何号か刊行した後、三木さんの好奇心と、周りからの要望もあって、

対象エリアが南だけではなく高円寺全体に広がった。


このフリーペーパー、とても評判よく。

でも、編集をしている三木さんが、ライトサイドカフェの方で忙しくなり(いつもお客さんでいっぱい)

次号の発行作業も遅れていた。


ある日、三木さんが

「LOVE高円寺を引き継いで欲しい」

と言ってきた。


最初は正直、お断りしようと思った。

他の人がゼロから創ったものを、引き継ぐのは骨が折れる。

前より良いものにしないと引き継ぐ意味が無い。

いままでのLOVE高円寺の読者や、広告主、

フリーペーパーを設置してくる協力者を

自分が引き継いだことで、がっかりさせるわけにはいかない。

考えれば考えるほど(と言っても考えたのは20秒くらい)、引き継ぐメリット少ない。

そもそも自分にはフリーペーパーに携わった経験がない。


これはいよいよ断ろうと思ったとき、

ちょっと待てよ、と。


地元の高円寺で、いろんな活動をしている中、

メディアを1つ持つのは良いかもしれない。

まだ「メディア」と呼ぶには小さいかもしれないが

三木さんが「LOVE高円寺」を作ってきた過程を見ていて

「これはきっと良いフリーペーパーになるだろうな」とも感じていた。

もっと大きく出来る可能性はある。


三木さんに2つだけ条件を出した。

・平井が引き継ぐ以上、三木さんは口を出さない。
・その上で、「LOVE高円寺」の名前は変えない。

三木さんは即答でOKをだしてくれた。


ということで、私、編集長になります。


高円寺を楽しむことは、新しいライフスタイルを考えること、そのものである。