親が子供に対して、「将来のために、勉強した方がいいよ!」、友人に対して「一緒にこの趣味を始めようよ」、上司に対して「この案で行きましょう!」
人が人に動いてもらうために意見を伝える場面は公私を問わずに発生する事象だ。人間が相互に交流する社会性を持った生き物である以上、自分の思う通りに動いてもらう必要性は多々発生する。だが一方で、その自分の思うように動いてもらえたことが果たして人生で、何回あっただろうか? 大体は自分の思う通りに動かすことができずに終わってしまったのではないだろうか?
果てには、「人に期待することが間違いである、人生を楽しく生きるコツは他人に期待しないこと」という思想が出てきている。確かに、それも考え方の一つなのであるだろう。ただ私には、それが諦めていることに見える。
私なりに、人に動いてもらうにはどうすればよいか、思考の末に体系化?したものをこのブログで発信していきたいと思う。
まず初めに、全てのメッセージには理由が存在する。身近な例として「親が子供に勉強を進めている」場面を想定したい。
一番言いたい事、キーメッセージは「子供であるあなたは勉強に努めるべきである」ということだろう。そこにはどのような理由が存在するのだろうか?
親と子供の共通の目的として「子供が食うに困らない暮らしを、自立してできるようになる」としよう。
(もちろん、価値観の違いにより、芸能人として成功してほしい、成績はどうでもいいからとにかく明るい子でいてほしい、など考え方にばらつきがあるだろう。その場合は、目的に沿った論理展開をするべきだが、根本の思考の流れは同じなはずであるので、個々人の状況に踏まえて論理展開をしてほしい。もし、この場合は、どんな論理展開ができそうか?という意見があれば、共有していただきたい。私の方でも考えてみたいと思う)
食うに困らない暮らしをするためには、「一定以上の収入を稼ぐ職に就く」ことに言い換えられるだろう。
ではなぜ、一定以上の収入を稼ぐために、勉強をする必要があるのだろうか? 一定以上の収入を稼げる職につくできる確率を因数分解すると次のようになる
式; 一定以上の収入を稼ぐことができる確率=①学歴の高さ×②社交性
に分解できる、と私は考えている
日本の就活においては、公務員試験・民間就活問わずにはまずは履歴書を書く必要がある。
新卒就活においては、社会人としての能力は押しなべて低く、対人を除いた能力は学歴で判断される。「学歴フィルター」なんて言葉があることが、その最たる例だろう。
ただ、履歴書で就活がうまくいくか? 答えはNOだ。なぜならば、面接試験も行われる。一緒に働けるか、対人関係能力を見るために面接で「②社交性」を評価するわけである。
さて、勉強によって高めることができる能力は①学歴の高さ、である。確かに、確率を上げるためには勉強は一つの手段として有効であるだろう。但し、社交性を身につけておかなければ面接試験で詰む。
さて、ここで子供からの反論だ。「②社交性を上げることができれば、勉強の必要がないのでは?」
手痛い反撃である(実際に、こんなことが言えるほど頭がいい時点で、勉強の必要性はわかっていそうだが)
ここで示すべきは「勉強も②社交性を上げるために有益な手段」であるということだ。
国語力を上げることができれば、やり取りがスムーズに、英語が得意であれば異文化の人間と交流ができるようになるし、理科・社会系も多様な人種と交流するための共通のトピックとして有益である。
ただ、ファクトが無ければただの意見である。定量的な、勉強をしたことで社交性が上がった、といえる数字を示すことができれば、反論の余地はなくなる。著名人のコメント、学歴とFACEBOOKの友達数の相関関係を取り、示すことができればよいだろう。
求めるものは何であるのか、それを構成する因数は何で、その因数を上げるために「◎◎は有益である」ということが言えれば、人もおのずと納得してくれるはず。
もちろん、上記は私の意見である。もし、何かしら意見がある方がいらっしゃればぜひとも議論したいと思う。
次回はエモーショナルな話をできれば、と存ずる
【独り言・補足】
もちろん、「今が楽しければそれでいいんだよ」「高卒でも成功者はいるでしょ」という反論があるだろう。
それに対しても理論武装をするとすれば、
・今が楽しければそれでいい
→学生時代の幸福は親の浮揚が前提となっている。永続させるには、親の扶養無でそれを足り立たせるだけの経済力が必要だ。
・高卒でも成功者はいる
→①そもそも、高卒の平均年収は〇〇円であることから、成功する可能性が限りなく低い。
②成功者の共通点として、何かしら事業で成功することを目的として大学進学を選ばなかった人が多数。今あなたは、その共通点をもっているのか?
となるだろうか