右往左往した挙句、結論を出せないなんて
事態に陥ります。
それと同時に自分の信じたい情報を
誰から聞くかということも
実は非常に重要な要素だったりします。
人は自分の信じたいことを信じ
人から押し付けられての選択には
満足感を得るどころか粗探しをしてしまう。
他人で考えるとわかりにくいので
自分に当てはめるとシックリくるのかと。
デパートでウィンドウショッピングの時に
近づいてくる店員を煩わしく思うのも
押し付けがましくかかってくるセールスの
電話がうっとおしいのも
選択の自由を奪われてるから
とも考えられます。
だから自分で選んだものは愛着もあるし
人から褒められたりすれば舞い上がりそうに
なるほど嬉しかったり。
でも、よく考えると
その選択するための情報を
誰が
発信してるかによって僕たちの受け止め方が
全く違ったりします。
例えば、さっきの店員さんでも
全く知らない赤の他人の店員
だから、うっとおしいし邪魔くさい。
でも、これが仲のいい店員さんや
カリスマ店員なんて言われている人なら
同じ感情を持つでしょうか?
ずいぶん前にも記事にしたけど
具合が悪い時に隣のデスクの同僚が
「風邪じゃないないの?」
と言われても信用できないけど
行きつけの病院のお医者さんが
「たぶん風邪ですね」
って言われれば納得しちゃう。
同じこと言ってるのに…。
TVでバナナダイエットの話を好感度の高い
イケメン俳優が言えば説得力があって
次の日から売り場からバナナは無くなる
けど
スーパーで試食を勧めるマネキンさんが
「バナナはダイエット効果もあるんですよ」
なんて言っても「ふーーん、そうなんだぁ」
って通り過ぎちゃう。
僕たちはワガママ。
自分の信じたいものを信じ
信じたい人の発言なら「間違いない!」って
信じちゃう。
何を信じる
誰を信じる
この答えを自分で決めつけちゃってる。
先ほどのダイエットの話じゃないけど
実は情報を操作しようと思えば出来ちゃう
ところに怖さがあると思いませんか?
実際、僕たちセールスマンだって
ご自分で選択したかのように誘導することが
腕の見せ所だったりするし
もうすぐやってくるバレンタインチョコも
恵方巻きなども情報を操作された結果と
言えなくもない。
だってそんなの昔は無かったことだし
明らかにどこかにそれで得をしている人が
いることは確かだし…。
ちょっと話が逸れましたが
結局人が信じる情報も大きなウェイトで
誰から
という部分があるのは事実。
そして、誰でもかれでも情報を発信できる
ような今こそ
誰から
の部分が重要視されるのです。
僕も情報発信者としての端くれとして、
誰から
の部分で選ばれる側になりたいと思う。
誰かをコントロールしたいなんて
おこがましいことは考えていませんが。


