2019年6月、ネットでの誹謗中傷は続いていたが、ブロックするなどして適当に対応していた。加害者組織は工作員と一般人も巻き込んで工作をしてくる。工作員ではないJudyさんとは仲良くなり、DMでよくやり取りをしていた。

理解者がいることで私はとても助かったが、そんなことは加害者組織にとって予想外であったのだろう。しばらくして、Judyさんから「佐藤さんにDMが送れない」と連絡があり、その後、アカウントを乗っ取られてしまったようである。Judyさんのふりをした工作員がわざとらしく「佐藤さんのツイートをハッシュタグで検索していたら何個もありました」とあったので、本人ではないし、私のツイートは検索しても出てこないようにされていることが分かった。

町野スポーツクラブでは春のイベントを無事終了し、夏のイベントの準備をしていた。「参加者にお菓子を渡したほうがいいぞ」などと小学生の遠足のようなことをしていたようであったが、無意味だし高齢者ばかりなのでキッパリやめた。

この頃からさらに電磁波攻撃が強くなり、心臓が痛くなって5分ほど本当に動けないことがあった。同僚の高谷は見て見ぬふりするだけであった。また下痢も続いていて痩せてきてしまい、61キロくらいまでは回復していた体重も、57キロまで落ち、「佐藤さん、痩せたね」と会員さんから言われるほどになっていた。
「このまま黙って殺されるわけにはいかない」
と思い、ブログやTwitterに被害記録を発信することにした。2018年5月末で死の恐怖から発信を自粛していたが、1年ぶりに再開したのである。1年間も発信をやめていたが、被害は終息に向かうことはなく、むしろ加害者組織はバラされないから安心しているようであった。

この1年間は発信をやめていたので、こうやって被害記録を今、残しているのである。1日に数件だったツイートは数十件に増え、ブログの内容も変えていった。

私の行動をチェックしていた理事長:七尾と同僚:高谷はレポート用紙に記録していた。七尾の資料を見たら、私の行動記録が1センチ以上になっていて驚いた。中をチラッと見てみたら、ブログやツイートなどを印刷してファイリングしていたのである。さらに「1月に近所の人にこの犯罪の話をしただろ」と言われたときはまた驚いた。私がいつどこで誰に国家犯罪の話をしたか、までチェックしていたのであった。

そんな頃、高谷から食べに行こうと高谷の友達と3人で日本料理店で食事をしたことがあった。高級店なので、とても私一人では行けるような場所ではなかったが、加害者組織からのご機嫌取りだったのかもしれない。高谷のJT友達から聞かれた。
「聞いていいのかな〜。佐藤さんは、どうしてこんなド田舎に一人で来たの?」
私はやっとこの質問が来たと思った。
「いや、むしろ聞いてほしいんです。実は国家犯罪被害者なんですけど、分かりませんよね。『集団ストーカー』って聞いたことあります?」
「集団ストカー???」
ここで高谷が話を止めてきた。
「その話はやめよう。何か注文しよう。ビールもっと飲めよ」
高谷は間に座って、会話をさせないようにしてきたのである。そのため実に美味しくない食事となり、高谷が加害者側であることを確信した。

町野スポーツクラブでは半年間は試用期間でアルバイトであったが、3ヶ月後の4月からは社員にしてもらっていた。社員になっても特に給与は変わらないが、有給をもらえた。お盆休みもないので、夏のイベント後か前の忙しくない期間に実家に帰ろうと思っていた。心身ともに疲れ切っていたので休んだほうがいいと判断した。6月はイベントがない月だったので、早めに有給をもらって実家に帰ることにした。