2018年7月、職場でも自宅でも実家に帰っても電磁波攻撃などの嫌がらせは続いていたが、こんなあり得ない生活にも、徐々に慣れてきて普通に歩けるようにまで回復はしていた。

この頃からブログだけは再開し、心情を書き残していた。今井美樹や岡本真夜を聞いたりしながら、絶望感の中にも小さな光を見つけようと必死に探すような日々であった。

昼食はわざわざ遠くの店まで買いに行って、弁当やお菓子などを買っていた。遠くまで買いに行けない日は食べない日もあった。夕食は妻に野菜を買ってきてもらい、野菜炒めと玄米ご飯、納豆や鯖缶、ヨーグルトなど体にいいと思うものしか食べないようにした。

その野菜だって毒を混入されてしまうので、妻に頼んだのである。その頃、野菜に毒が入っているか否かは判断できるようになっていた。すべてのものは波動の集合体であり周波数によって決まる。その波動を調べれば、正の波動か負の波動かの判断が私はできるようになっていた。

ナスは好きでよく食べていたが、そのナスを食べた直後にお腹が痛くなった。ちょっと怪しいナスだと感じていたが、頼んでいるので仕方がない。腹痛は続いたが、1日後には回復していた。便を確認したら白かったので、放射能系の毒物であることがわかる。ただ電磁波攻撃もされているし、水道水にも毒を混入されていて、体調が悪いので、一概にナスが原因だと断定できずにいた。

翌日もナスが置いたあったが、私は食べずにいた。妻と娘が食べるだろうと思っていたからである。そのナスからは負の波動が出ていた。その2日後にもまた2袋ナスが買ってあった。
「まだ1袋残っているのに、なぜ買ってきたのか?」
これでナスは3袋もあるが、私は食べずにいた。

その1日後、妻は「なんでナスを食べないの?」と遂に言ってきた。他の野菜はなくなってきていたので、食べるしかない。前回、お腹が痛くなった経験があったので不安であったが、食べることにした。案の定、不安は当たった。

前回よりも激痛で1日たっても痛みは引かず、あまりの腹痛で痛みを避けるように職場で寝てしまった。人間の機能として虐待を受ければ、虐待を受けている自分は自分ではないと回避しようとする。同じような感覚でその痛みを避けようとしたのだろう。雲の上に行き、天国に来たような夢を見ていた。その時、たまたま電話がなったので起きたが、その電話がなかったら、どうなっていたのか。完全に幽体離脱していた。もちろん、初めての経験である。

トイレに行ったら、また白い便が出ていたので、これは間違いはないと判断した。私は仕事の予約がなければ、すぐに家に帰る。娘と会いたいからでもある。5月には『娘と一緒にいる時間を1分でも長くしたい』とブログに書いていた。部活や塾で家にいる時間も減ってきていたので、会える時間も少なくなっていた。それなのに妻はテレビの場所まで変えて、私と娘を会わせないようにさせていた。

確かに家の中でヘルメットを被っていたら変人としか思えないかもしれない。妻は理解しようとしないし、娘も何がが起きているのか理解はできないようであった。

またフラフラの状態になりながら、家に帰ってきたが、誰もいない。仕方なく、自分で食事を作って食べていたら、9時頃に妻と娘は帰ってきた。仕事は6時に終わっているはずなのに、この頃は理由をつけて帰ってくるのが遅くなってきていた。そして、私は遂に言った。
「全てわかっているからな。そこに正座しろ!」
妻は覚悟をしたのか。素直に正座をした。
「もう終わりだな。終わりだよ」
「……」
妻は何も答えない。これでわかるだろう。その後、マニュアル通りの回答があった。
「ナスは私たちも食べているのに自分の体調のせいじゃないの?」
すでにこんなことは何度も経験をしている。水道水に毒を混入されたときは「水道水はどこも同じですから」と大岳不動産:上野は答えたが、「マニュアル通りですね」と聞いたら「マニュアル通りしか答えてはいけないので」と言ってしまっていた。

私は当然だが、怒り狂っていた。しかし、同時に悲しさのほうが強かったようにも思う。
「19年間の結婚生活は何だったんだ?」
私は生活を支えようとスポーツマッサージを頑張っていた。どう頑張っても1時間に1人しかできない仕事である。予約がなければ、収入はない。それでも家と店の家賃を払わなければならない。酒もタバコもパチンコもやらないで節約をしていた。スマホも買わずガラケーにして月1,000円のコースにしていたので、メールも使えない。缶コーヒーを買うことすら我慢をしていた。2017年に車は中古で30万円の軽自動車を買った。サラリーマンではないので、今後どうなるのかはわからない。

まさか、こんなことが自分に起きることなんて、誰が予想できただろうか。