旧影石小学校に戻って、素敵なショップや食堂、エーゼロのワークスペースを見学させてもらう。
この日はあいにく満席で断念したフレル食堂さん、外から見るだけでもほーんと素敵な内装で、今度来るときはまったり!のんびり!滞在したいってめっちゃ思いましたー
鹿の解体施設や、うなぎの加工場を見せていただく。
鹿の解体施設は、表現が良くないかもしれないけど昔テレビで見た、新興国の手術室みたいな綺麗さ。
ドアを開けた瞬間、鹿の脂の香りが立ち込めるけど、全然臭くない。
冷凍庫から出して見せていただいた鹿肉は、既に部位ごとに真空パックに入っていて、見た目にも非常に美しい。
た、食べたい。
続いて、体育館を利用したうなぎの養殖場、養殖用の水の濾過・循環装置、排水を利用した野菜作りを見せていただく。
「ぐるぐる巡る。ニシアワー」
7年前に出会って、衝撃を受けた西粟倉村のキャッチコピー。
うなぎ周りは、端的にそれを実感できる、生態系を壊さない、循環型の仕組みの工夫が随所にあふれておりました。
木材加工で出た端材を使った薪ボイラーで水温管理を行い。
濾過装置で水を循環させつつ、最後の排水は川に戻すのではなく栄養たっぷりの野菜栽培用のお水として活かし。
目に見える部分だけでも既にぐるぐる巡る感半端ないのに、建物の選択自体も「ただそこに広い空間が合ったから」というだけでなく、「床が頑丈」「床下に空間があり、配管がしやすい」という理由もあって合理的に選択されかつ廃校の有効活用にもなっていて、以前訪れた時よりぐるぐる巡る。感がより増しているなぁ。と思ったし、生態系としての西粟倉村。をより意識させられた時間でした。
そして本日の目玉。
体調不良でお咳ゲフゲフの牧さんのお話を、1時間たっぷり伺う。
印象的だったのは、
「たき火のような機能を持ちたい」という言葉。
一人一人が情熱の炎を燃やして事業を動かしていくのはもちろん大切。
でも、一人ではその灯がふっと消えてしまう瞬間だってあるんじゃないのか。
そんなとき、人々が集ってぐっと熱が高まる瞬間。が大事だっていう局面は多い。
お互いに薪をくべ合えるようなコミュニティにしていきたい。
西粟倉は、生態系。
材料の流通で企業と企業がつながっていけるのが木材活用という業態のいいところだし、それぞれが必死で生き残ろうと考えているからこそ、お互いに使い合っていこう。という意識が生まれる。
もともとの地元の企業と競合する場面はもちろんある。
だけど、自社で出来ないことをお願いしたり、逆に事務作業など向こうがなかなか手が回らなくてしんどい部分を一手に引き受けたりしながら、共生できる関わり方を探り、共に育っていくあり方。
久しぶりにお聞きした牧さんのお話。
立場も住処も変わったことで、響く部分が変わっていた。
昔は「あり方」的な抽象的な話を好んで聞いてたけど、今はそれを「どう実装する?」の部分に興味津津。
西粟倉のローカルベンチャー支援は、村のそこかしこにぽこぽこと新しい事業が興っていくことを、村の資源を集積して応援していこうというスタンスだから、やりたいことが明確な人にとっても、まだ輪郭は見えないけど、地方を元気にする働き方について考えてみたい!という人にとっても、可能性をぐぐっと広げてくれる素敵コミュニティだなぁと改めて思いました。
ぎゅぎゅぎゅ!と詰め込んだ一日目の行程を終え、夜はお待ちかねの交流会
ずっと行きたかったあわくら温泉・元湯さんで美味しいご飯をたっぷりいただく
ビールに至っては3ケースも仕入れてもらったのに自分達だけで一晩で飲み干すという商工会組の豪傑っぷりたるや。
そりゃー最初の段階から「フェリー降りて車乗る時点で誰も飲んでないなんて、なんて健全な視察なんだ」川本さんもおっしゃるわけですな
牧さんのお話の中でもポイントだなと思った、海士町とは違う起業型の地域おこし協力隊の制度を町と一緒に創り上げてきた話や、行政と民間がいかに関わり合い、西粟倉村の生態系を守り、豊かにしていくかという話。
「行政がいて、Iターン者がいて、地元企業がいて。この三者がこの場に集まっているということ自体が、西粟倉村における全体の関係性を物語っていて本当に素晴らしいと思う」はツアーメンバーのことば。
行政とIターン。行政と義元企業というつながりがそれぞれ分断されて存在しているのではなく、一緒に未来を見つめているところが西粟倉村のすごいところだなぁとお話を聞いていて感じました。
元湯さんから、宿までの帰り道。
ほろ酔い気分で、冷たい空気の中みんなでお散歩。
これまでの熱気も相まって、いろんなワクワクする未来の話が飛び交う。
前述した牧さんの「たき火のような機能をもちたい」という話ともリンクするけど、こうやって人が集まって、熱量がぐぐーっと高まって、自然に動きに変わっていく瞬間に立ち会えるのはとても素敵なことだなぁと思う。
私は「自分の専門これです!」といえる確固としたものをあまり持っていないので、自分でガシガシ旗ふって実行していけることなんてほとんどない。
でも、そうやって魂に灯がついて、走り出す人を傍で応援したり、下支えしたりできることをとても喜びに感じる部分は、多分20代前半の迷い子時代から何も変わってない。
そんな自分の心の喜び。も久しぶりに思い出したりなんかして、一日目の終わりくらいから、思考がぐるぐる巡るモードに突入。
翌日ようびさんを訪問してなおこさんのお話を聞いたことでよりぐるぐる脳みそが巡りはじめたので、次の記事でそのあたりも書きたいと思います◎