ふたたび、里美です。
l昨日のブログ★ のマヤ暦 Kin3のキーワードの 『 夜 』
これって、何なのかな~
他のものは、母性だったり、目覚めるとか、
そういう言葉で、考えるのに広がりがある。
でも、 『 夜 』 って
そうしたら、ありました。出来事が
※量子力学ですね
これを書くのは、ホント躊躇します。
だから、夜になっちゃった。
それでも、もしかしたら、
私のように、過保護・過干渉で育った方の、
何かキッカケになったらいいなと思って、書きますね。
昨日、旦那さんと大喧嘩に発展しました。
旦那さんから、
『赤ちゃんのいる友達の家に行くのは、
今のコロナの状況から控えた方がいいのでは?
相手の方に確認した方がいいよ。』
と言われたことから、発展して、、
『このコロナの状況で、今月は東京に行かないで。』と。
話を聞くうちに、旦那さんは同じことの繰り返しで、
わたしは頭が苦しくなって。
わたしは 『行かない』と答えました。
でも、旦那さんからは、
『 俺が行くなと言うから、行かないじゃダメなんだ。
俺の言っていることが分かって、
その上で、
自分で考えて、「じゃあ、自分はどうしよう。」
そう考えて、「行かない。」ならいいんだよ。
俺の言っている意味分かるかな? 』
わたしが、「行かない」と言っているのに、
どうして、また説明されるのか?
『行ってはいけない。』
そう言われているのに、
どうして、また自分で考えなければいけないのか?
それが、わたしには分かりませんでした。
何度も繰り返されるうちに、世間の状況も分かっている。
それでも、素直にわたしは『分かったよ。』って言えない自分。
そこで自分が気がついたのは、、、
自分に持ち帰って、考える。
そういう思考が、乏しいってこと。
遠い記憶の奥から出てきたことは、、、
わたしは3歳の時に、自分の飛び出し事故で車にはねられ、
生死をさまよいました。
その結果、大きな車の通る道(田舎の2車線)、
その道を渡る友達の家に遊びに行くこと。
少し遠い友達の家に遊びに行くこと。
中学も、自転車に乗って、20分くらいの距離でも同じで、
本当に、籠の中の鳥に入れられて、育ちました。
だから、、、
わたしが親に「友達に家に遊びに行きたい。」と言う。
↓
親から、「 ダメだ! 」と言われる。
↓
わたしが、また親に「行きたい。」と言う。
↓
親に却下される。
↓
わたしは、絶望感におちいる。
そういう歴史が長かったのです。
すると、言ってもダメだ。って気持ちが、
当たり前になって、その先に考える事がなくなります。
思考がそこで止まってしまう感じです。
持ち帰って、考えて、
「こうするから、行ってもいいでしょう?」 とわたしが言っても、
祖母と、両親の3人を納得させるには、
子供のわたしは悲しくなって、疲れてしまって、、、
まず先に あきらめる 我慢する
そういう気持ちが先に立ってしまった。
そういう事を、旦那さんのやり取り中に思い出して、
ショックでした。
そこで、考える思考の成長が止まってしまった。
そう感じました。
それを、すぐに旦那さんに伝えると、
これまで側で見ていた旦那さんは、どこまでか分かりませんが、
分かってくれた気がします。
話は飛びますが、、、
うちの実家は、祖母という暴君がいて。
祖母に強く物を言う人もいませんでした。
反対に、
今の旦那さんの家では、家族はハッキリ物を言います。
だから、はじめはカルチャーショックで、
わたしは気持ちが動揺しましたし、
落ち込みもしました。
けれども。
昨夜のことを、気が付くことが出来た事は、
これから先の私にとって、
大きな、大きな出来事だったと思っています。
この家に、お嫁に来なければ気が付かなかったこと。
もうすぐ、この家に住んで一年経ちます。
このことを気がつけたのも、
いつも傍らにいて、わたしの成長を願って、
どう話したら私に伝わるのか?と、
頭を凝らして考えてくれていると思う旦那さんに、
猛烈に感謝します。
うまく書けたかどうか、不安ですが、
親たちはよかれと思って、過保護・過干渉であっても、
本人は、自分の意思で考える事をしないので、
その先に苦労します。
ある友達に、「旦那さんは、神様からのプレゼントだね。」
と言われたことがありました。
ホントその通りです。
ここまで、私が立ち直るのに、大きな存在でした。
わたしに、いろんな事を気が付かせてくれる大切な人です。
これからも、大切にしていきたいと思います。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
感謝いたします。
里美