深夜2時、映画の本を書き終わりました。
と言っても人生についての哲学的な本で、女性やLGBTQ+の人達
生きづらさを抱える人たちを頭に思い浮かべながら
その人たちに勧めたい愛の映画を選んで書いておりました。
独身時代も本を2冊出したことがあり、
それとネット小説も書いたことがあるけれど
あの頃は忙しくても没頭してあっという間に書き終えていて
手のかかる子どもがいる今、書くのとはこんなにもわけが違う
と気付かされちゃいました。
いやはや、あの頃は強気だった。
映画『悪人』で柄本明さん演じるお父さんが
「守るものがないと自分は無敵だと思ってしまう。でもそれじゃダメ」
みたいなセリフが身に染みます。
書いている内容もきっとまったく違って
30代の頃はきっと正義感と輝きと葛藤とが相まって
多分、力強いものが書けていたとは思うんですよ。
それはそれですごく大事。
だけどある時、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』のジョーの本音みたいに
「女には知識や才能だってある。女の幸せは結婚だけじゃない。だけど何故か寂しいの」
という思いに呑まれたのと
つくづく自分勝手なんですが
自分の人生の感情と知識の限界に気づいたんです。
「あぁ、子どもを産んで育てた時に、私はどんな感情を手にするんだろう?」
って。
自分としては知ったかぶって今の自分を全肯定して生きるのが気持ち悪くて、
ついでに「守るものを持った女の強さや弱さ」を経験したかった
という邪心がありました。
38歳で気づくんだからまぁモテない🤣
となると
子どもが出来なかったら、そういう身体の私を愛してくれる人と出逢えて
一緒に人生を切磋琢磨に頑張れそうな人と出逢えたら
結婚出来たらいいや、
ダメならそれもそれ、と思ったんですよ。
どーして結婚に拘るのか、って言ったら
小さい頃から親の不仲と離婚を見て
私は「結婚」に挑戦したい、と思ったんだと思うというか😅
最初の結婚に失敗したけど、子どもは持てて
シングルマザーはえらく大変だ、ヤバい、
これ、体力と精神が持たないと子どもの為のお金が稼げない、って気付いて
姉に頼んでもまだ足りなくて、子どもを可愛がってくれて
猫を可愛がってくれる今の旦那を見ていたら
人生の第二ステージを共に生きることを提案しようと思ったんですよね。
その人が幸せならどんな生き方でもいい。
幸せはその人の中にあるからね。
だけど私は、子どもも欲しい、愛し合う努力もしたい
みたいな欲張りで、ついでに好きを仕事にしたから
それだけ腹を括って、子どもを養えるくらい稼がねば、と
馬車馬人生を選んだわけです。
ついでに子どもは女の子。
これまたグレーゾーンなやんちゃで、恐ろしく手を焼く。
そして発達心理学の本やら発達障がいを学んだり
コロナ禍で細々と関わっていたカウンセリングを
子ども、若者の軸にしてみたり
人の心を知り、あの時、救えなかった友達とのリベンジみたいに
私という人間がほんのちょっとでも出来ること、
ほんのちょっとでも役立つことをしたいと、また時間を割いています。
いつか子どもが私がやってきたことを知ったら
自分から忙しく生きて、お節介なこともして、おかしな人だ
と思うだろうな。
子どもとの時間は目一杯作るけど、仕事も頑張るから
ご飯の手抜きの酷いことなんの😅
そんな今の私が、どちらかというと昔の私に宛てて書いた
様々な映画から愛のメッセージを伝える本。
恥ずかしいけれど、出版が待ち遠しいんです。
恋や仕事や人生に悩んでいたあの頃の私の背中を押すみたいな本。
ゼーゼーハーハーしながらニタニタして
険しい人生を泣きながら楽しんで「映画好きー!」って叫んでる
オタク母ちゃんより。