何年かぶりに生まれ育った街へ降り立ちました。


というのも母が私の為に貯めていたという投資信託が見つかり


その売却手続きの為だったのですが、20年以上も前に買い貯めたもので


いくらで買ったかも書類も無ければ85歳の母の記憶にはなく


20年経てば書類は破棄される普通預金での積み立てで


証券会社の方にアドバイスを貰う為というのが理由でした。



この街に良い思い出が無いことを40過ぎてやっと受け止め


そこでやっと小さな頃の自分とお別れできた気がします。



私がこうやって好きな映画の仕事だけで今、家族を養えるのも


20歳までの家庭環境から得たサバイバル能力のお陰と


今は思えているし、バイト代からの映画館が


居場所だったから楽しみを持って生きてこれたし


大学にも行けないと言われたお陰で、自分の好きなことで


お金を稼いで生きていこうと思えたわけだから。



母はすごく苦労したのだ、と母になり更に痛感しています。



「さとりちゃんが結婚したら渡そうと思っていて忘れてた」


と渡してくれた証券の領収書。


土日も休まずパートをして、私たちが学校へ通えるように働き


足りないお金を親族に頭を下げて母は借りていたと


父が亡くなって知り


子供が一人前になり、生活能力の無い父と別れる決心がやっとついて


逃げるように家を出た母が、証券の資料を無くすのも無理はなく。



父に秘密にしてコツコツ自分で働いたお金を私や姉の未来の為に


投資していたんだと黄ばんだ領収書を目にしたら


恥ずかしさなんて忘れて証券会社の方の前で泣いてしまいました。


私はこの街に良い思い出がないと言ったけれど


それは働いてばかりいる母との思い出が少なくて


機嫌の悪い父や下ばかり見ていた姉やいじめっ子の顔ばかりが


浮かんでくるからなんだと今日、ここに立ち分かりました。



だけど嫌いじゃない。


だってあの歩道橋で母の帰りを待っていた夜や


今はピザ屋に変わったレンタルビデオ店も私の居場所だったし。



母は人の悪口も言わず、父の悪口も言わず、誰かを恨んだり


羨ましがったり、憎んだり、自分を卑下したりもしなかったから。


だから私も不幸だなんて思わずに生きていて、


今は子供の為に生きているんだと思います。



少し干渉的ですが、これは感謝の書き込み。



母の日を前に、母の偉大さに溢れんばかりの感謝です。