勉強の脳と芸術の脳
私にとって芸術は何かの世界を”翻訳”しているんだけども、自分の感性で彩りをつけた上での翻訳。
”間違えない””正確さ”だけで脳を使わないというか。
ゆらぎ、間、余白、重さ、呼吸。
などにたゆたわせて、そこから翻訳をする。
よく「先生 上手から私は歩いたほうがいいですか?それとも下手? いつのタイミングで出て、いつ引っ込めばいいですか?」と
質問があるんだけど、これを舞台語に翻訳するのに時間がかかっているから
うーん・・となって、客席に自分が想像でワープして俯瞰してみて、
音楽や間などに身をゆだねてみて、前後とのバランスを感じて
お客さんがついてこれる速度に全体を若干0.8倍くらいの速度に落としてから
上手からこのテンポで!と分かる。この時に絶対に”思考”は使わないようにしている。
演奏においてももちろん
”正しさ”だけではなくて。
技術、知性、練習量だけでもなくて。
空間に、相手に、世界に、
何かを”委ねられるかどうか”
すごく脳だけで処理してしまう人が多いけど、脳をからっぽにするところも芸術を育む時に必要かな。
芸術は”頭を使わない”場所ではなく”頭だけを使わない”場所
”思考”を主役にしない。
声の技術的なことなどは、きっちり説明してレッスンするけど
それでも先生(私)が”この声がいい!”という理想のバランスで構築された(ミュージカルとしての、声楽としての、またはそのどれにもはまらないジャンルとしての)
声というものがあって、それを目標にして、「ここをもっと〜して、この筋肉を使って、ここは使わないで」と調整をしているのであって
ここにも実は”思考”は入っていない。
レッスン空きはこちら
