年末年始に茶人の妹が海外から帰国して、要介護2の父が1人住まう実家に1週間日ほど寝泊まりしてくれました。

 

そのおかげで、普段私が1ヶ月に一回立ち寄るだけでの時よりも、かなり多くの気づきがありました。

 

一緒に暮らしてみないとわからない、作業療法士さんレベルの細かい気づきがたくさんあったのです。

 

慣れ親しんだ家の中での短い距離の移動が、どれだけ危なっかしいか。

冷蔵から食べ物を持ってダイニングテーブルに移動するのが難しいこと。

飲み物をボトルからグラスに注ぐことができないこと。

 

普段は自閉症・不登校娘たちに手を焼いていて、なかなか父のことを気にかけることができず、年に1〜2回しか帰らない妹がこのような観察をしてくれることに感謝しかありません。

 

毎週訪問リハビリは受けているけれど、どんどん体の動きが硬くなってきているそうで、家の中を自由に動き回ることができず、ベッドで時間を過ごしがちだそうです。

 

妹はそんな変化を目の当たりにするだけでなく、床に落としたものを拾おうとした父がバランスを崩して転倒し、その際にテレビ台の角に顔をぶつけて目から鼻のあたりを流血する惨事まで目撃したのです。😱

 

そんなことまであったので、年末にケアマネージャーさんとお話したとき、前から見学をしておいた、家から比較的近い、介護付き有料老人ホームに入居予約をしに行きました。

 

と言っても、まだウェイティングリストには何人もいらっしゃって、すぐ入居ということではなく、順番が来たときにまだ父が入居するほどの状態でなければ次の人に譲って、良いタイミングで入居ということになるのですが、いつか来るその日の安心のために。

 

それが正しい答えなのかどうかは誰も分かりませんが、身体機能が低下していく父をずっと一人で住まわせておくわけにもいかない。

 

その日が来るまで、穏やかに家で過ごす日々が1日も長く続くよう、祈るしかありません。

 

台湾で結構びっくりだったのが、言葉が全然通じなかったことと、私たちが行った多くの場所が現金対応だったことです。

 

英語が話せてクレジットカードがあれば世界中どこでも大丈夫、勘違いしていたことに気づきました。

 

特に言語コミュニケーションが存分に楽しめなかったのは、この度の唯一残念なところでした。

 

ホテルで円から台湾の通貨に両替してもらったあと、夜市で食べ物をオーダーしたあとの支払いの時。台北の思い出No. 1の出来事がおこりました。

 

ビーフン(米粉)をオーダーした時のこと。とても安いので、大きな額の紙幣のお釣りを出す時間は調理と顧客対応の両方を仕切っているマダムにはありませんでした。

 

事後に理解したのは、マダムにとってはこんなシナリオでした。

 

マダム:「小銭はないの?お釣りを出す時間がないんだけど、ちょっと待ってて。」

 

私:「・・・(英語でなんかいってる」)

 

私: (全然話が通じなくて途方にくれてマダムがお客をさばく間、ただボケッとそこに立ちすくむ。)「・・・」

 

そして5分後。

 

マダム:(お客さん対応が落ち着いたのを確認して)「はいどうぞ、おつりだよ。」

 

こんな感じでした。この間、私には現場の臨場感が押し寄せてきて、翻訳アプリを出したりすることなど頭の中からすっぽり抜けていたのです。

 

英語ができて世界を知ったふりをしていた自分が情けなく、とても恥ずかしくなりました。

 

バベルの塔(🍏のライブじゃないほう)は、人間が天まで届く塔建てようとして神の怒りを買い、言葉が通じなかくなったと言う聖書の物語だそうですが、そのインパクトを人生で一番感じた夜でした。

 

旅行に行くからには少しだけでも現地の言葉を勉強していくんだった。そうすれば夜市のマダムとも「交流」が楽しめたのに。😖

 

移動はUberを駆使していたので、ほとんどコミュニケーションが不要だったのですが、またそれはそれで寂しものです。これまでの海外出張ではいつもタクシーの運転手さんに隙間時間の過ごしかたなど相談してきたのですから。

 

そんな後悔から、私が旅行でに一番求めていたのは、他でもなく「現地の人との交流」だったんだ!と今更ながらに気付かされたのでした。

 

 

 

 

 

年末年始と普段では考えられないような外出や親戚との交流を経験していた長女。

 

やはり疲れていたようで、冬休みの終盤はやはり、"取り扱い注意"な雰囲気が漂っていました。

 

茶人の妹が帰国の前日に我が家に再び遊びに来てくれた時のこと。

 

昼夜逆転が当たり前の長女は、妹(長女にとっては叔母)が我が家に夕方に到着した時にはまだ寝ていました。

 

ただ、到着した時の物音で部屋で目が覚め、パニックしてしまったのです。

 

外に出るにも、誰に会うにも、必ずメイクがマストな彼女は、起きてからメイクの時間を十分取れないということは、外に出れない、人に会えないも同然のこと。彼女にとってメイクは「おしゃれ」じゃなくて「武装」の儀式なのです。

 

「メイクもしてないのに、おばさんが訪ねてきてしまった。どうしよう?!」というパニックに陥った様子でした。

 

その時、私も別の用事で出入りしていたので、パパしか家にいませんでした。

 

もし私がいたら、2時間前には起こして、ゆっくり準備をしていい旨を伝えて、安心させながら準備をさせていたことでしょう。

 

自分が必要なその「のりしろ」の時間を自分で作り出すことができないのです。それが長女の特性です。

 

だから家族の支援が必要なのです。

 

パニックの末、マスクをつけて洗面所に駆け込み、急いでメイクをしても、やはり心穏やかに叔母さんと対面は敵わず、終始落ち着かない様子で下を向いていました。

 

姉妹には、自分の部屋にこもり、パパが買ってきてくれたケーキを部屋に届けても、自分のパニックとそれにどう対応していいかわからない不甲斐なさに、ケーキを机の上で素手つぶして塗りつけたり、そのの頃をお皿とフォークと一緒にゴミ箱に捨てたりしていました。

 

私はもうなんの反応も起こさないように感情を殺して、ただ、彼女の部屋に一緒に座って背中をさするしかできませんでした。

 

結果、その夜はみんなで外食をするはずでしたが、家であったもので鍋をするということになりました。

 

虚しさも、ため息もたくさんあるけど、でも、あれだけ年末年始、親戚対応を頑張ってくれた長女。もう少し私も事前にサポートをしたり、無理ない計画を考えられなかったことに猛反省でした。

 

やっぱり、彼女の気持ちや行動に余裕を持たせるための時間とスペースの「のりしろ」を設けてあげることは、本人は当然、家族一人一人が心穏やかに生活していくためにも、決して忘れてはいけないことなのだと改めて痛感しました。

 

しばらく穏やかに過ごしてくれていたので、私の方も長女に甘えすぎて、調子に乗って彼女の特性を見過ごしていました。

 

そのためには、私は今年も決して無理をせず、育児以外のことには手を出しすぎない、頑張りすぎない。とにかく長女から目を離してはいけない、そのために今の働き方に大改造したのだから、という戒めを心に刻みました。