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人はいつか死ぬ。
死にゆこうとするときに、
人は何を思うのだろう。
自分が横たわるベッドを、人びとが取り囲んでいる。
自分の息がやんだあと、
彼らはめいめい帰途につき、食事をとったり、愛情を交わしたり、生きる喜びに従事する。
だが死にゆく者は、今、永久にそれらから断ち切られるのだ。
それが恐怖なのだ、死は。
ダイヤル式の黒電話。
1977年10月。
それまで友人だと思っていた男の子の告白だった。
なんだかカチコチの調子で話されると、こっちまでカチコチになっちゃって… 。
風が冷たくなり始めた秋の日の夕方だった。
あの頃に、
戻りたい…。
小学生のとき、リコーダーで吹いていたっけ。
どうして私はこんな人生を送ることになったのだろう。
人生をやり直せるなら、
私、魂を悪魔に売ってもいい。
卒業式で「君が代」が斉唱される約1分間の不起立を理由に今春、一人の東京都立校教師が学校から追われようとしている。卒業・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱を実施するようにとの指導が強まり、反対してきた教師が次々に起立・斉唱に転ずるなか、この教師は、自らの良心に従って不起立を貫いてきた。その姿は、周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動することの大切さを教えているようにも見える。この静かな不服従に東京都教育委員会が免職や停職処分で臨むことは、はたして適切な教育行政なのだろうか。
教師の名は根津公子さん(57)。都内の公立中で家庭科を教え、平和教育にも取り組んできた。昨春から都立南大沢学園養護学校で勤務している。
根津さんは不起立の理由を「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったら、やらない。正しいと思うことだったら、一人でも行動すべきだ』と生徒たちに語ってきた自分の教育に反してしまうから」と説明する。
根津さんの不起立に対する都教委の処分は、05年3月の卒業式で減給10分の1.6カ月▽同年4月の入学式で停職1カ月▽06年3月の卒業式で停職3カ月▽07年3月の卒業式で停職6カ月--と加重されてきた。停職6カ月より重い処分は免職しかないため、24日の卒業式でも起立しなかった根津さんへの免職処分が懸念されているのだ。
卒業・入学式での日の丸掲揚や君が代斉唱は、99年の「国旗・国歌法」成立以降、文部科学省の強い指導もあって、全国的に実施されるようになった。それでも反対はあり、文科省によると06年度に不起立やピアノ伴奏の拒否など国旗・国歌を巡り処分された教職員は全国で98人にのぼる。しかし、教育現場からの排除を意味する停職処分を出しているのは東京都だけだ。国旗・国歌法成立時の官房長官だった野中広務・元自民党幹事長も「東京の処分は間違い。私は答弁で、人の内心まで入ってはいけないと言った」と批判する。
不起立は、根津さん個人の思いに基づく行動だ。
日本教職員組合(日教組)は94年まで「君が代は、歴史的役割、歌詞が国民主権の憲法に違反しているので反対。日の丸は、国の標識としてあることは事実だが、学習指導要領によって学校に強制することには反対」との運動方針を掲げてきた。しかし、村山政権発足を機に、95年に文部省(当時)との関係を協調路線に転換、反対方針をおろしている。根津さんの加盟する日教組傘下の東京教組は、反対方針は変えていないものの、反対行動の提起はしておらず、処分に伴う経済的損失までは「支援できない」という姿勢だ。
こうした中、都教委は03年10月23日付で「教職員は、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことや対面式の会場を認めないなど、卒業・入学式の国旗掲揚や国歌斉唱方法などを細かく定め、その実施を命じる校長の職務命令に従わない場合、服務上の責任に問われることを明記した「10・23通達」を出した。対象は都立校だが、都内の市・区教委などへの影響は少なくない。それまで反対していた教員も起立・斉唱することが多くなった。不起立を貫く教員は目立ち、さらに締め付けは強まった。不服従のシンボル的存在になった根津さんは今年2月、日の丸・君が代強制に反対する意味の文言が書かれたトレーナー着用を巡り、脱ぐようにとの職務命令に違反したとして都教委から事情聴取された。命令を出した養護学校長に、他の教師が着ていたら同様の命令を出すのかと聞くと、返事は「答えられない」だった。
君が代不起立は、授業をしないとか、生徒を傷つける言動を繰り返すといった事案とは異なる。処分を巡る司法判断は分かれるが、「10・23通達」を違憲とした06年9月の東京地裁判決が「皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と君が代について指摘したように重い歴史のある問題だ。
大阪府内のある学校の卒業式で、「強制反対」と声を上げた教師が威力業務妨害で告発される「事件」を取材したことがある。立件されることはなかったものの、異様な力を感じた。
私たちは、多くの命が奪われたアジア・太平洋戦争から、「お国」も間違うことを学んだ。国旗・国歌はそれぞれ歴史を持つ「お国」の象徴だ。国民それぞれに思いがあるのは自然だ。
「良心に基づく不服従」への処分は、東京都だけの問題ではない。日本社会のありようが問われている。(大阪編集局)
毎日新聞 2008年3月26日 0時05分
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日本人は自分に自信を持てない国民性であるという調査が行われたことがある。アメリカやヨーロッパ、アジア諸国や中国における、自分という人間に価値があると思っている人のパーセンテージに較べて、日本人のそれはダントツで低いのだ。たしか10%台くらいだった。
自分自身に自信が持てないため、より大きな集団への帰属意識を強めていくのだろうか。それにしても東京と教育委員会をはじめ、近ごろの日本人の思想の自由への不寛容さは異常だ。個人的な思想信条とはまったく拘わりなく、何か言われている人をいっしょになってバッシングするという、ネットでよく言われる「お祭り」に乗じる感覚で騒ぎたい人も多いのだろうか。
こういう風潮は、人間としての日本人の弱体化だといえる。ブッシュ時代のアメリカでさえ、政府主導の愛国心を主張することにバッシングをする東京と教育委員会への違和感、嫌悪感を指摘している。とくに産経新聞や読売新聞などが、メディアの影響力を使ってこういう風潮を煽っているのが異常だ。
わたしたちは、ものごとを考えたり判断したりする場合、マスコミに与えられた言葉で考えてはならない。つくづくそうおもうこのごろの風潮だ。
米国人は自立や自尊心に幸せを感じるのに、日本人は思いやりなど周りとの関係を重視するといった幸福感の違いを、唐澤真弓東京女子大教授らが16日までに明らかにした。
幸福かどうかを尋ねる各種の国際調査では、日本人は不幸なグループに属することが多い。一方で日本は平均寿命が世界で最も長い国の1つで、「不幸なのに長生き」は謎とされる。
東京と北海道の計約450人と、約3000人対象の全米調査と比較。
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日本人は確かに長生きだけど、幸福じゃないと思います。それはいまだに、自分で自分の生きかたを選べていない場合があまりにも多いからではないでしょうか。
受験競争の激しさから、人を出し抜くことが生きる意味であるかのように思い込み、勝ち抜いて会社に入ると、自慢の能力で人を出し抜いても、コネなどの不公正な人事に悩む。
日本では自己啓発の本は必ずある程度の売り上げを上げます。みな、現状に違和感を覚える。人は何のために生きるのかということにほんとうは関心がある。でもそんなこと恥ずかしくて人には言えない。周囲との関係が出世のための重要な条件だから、周囲から浮いてしまわないように必死になる。自分の本当の気持ちなど考えていられない。
人の思惑など気にしないで、自分の思うとおりに生きていけたら…とふと思うことはありませんか?
そうです。しあわせは自分の望む目標に向けて一歩一歩着実に進んでいるときに感じるものです。そしてそれが達成できたときには、そのよろこびは自分の人生全体を明るく照らし出す栄光と感じられるでしょう。そういうものがひとつでもあれば、生きてきた甲斐があった、自分は人生を精いっぱい生きてきたと思えるのです。
もっと自分に正直になろうよ。足の引っ張り合いで終始する人生なんて、やっぱつまんないでしょ?
秋田県藤里町で06年4、5月に起きた連続児童殺害事件で殺人と死体遺棄の罪に問われ、死刑を求刑された畠山鈴香被告(35)に対する判決が19日、秋田地裁(藤井俊郎裁判長)で言い渡される。長女彩香ちゃん(当時9歳)の橋からの転落への関与と、米山豪憲君(当時7歳)の殺害を認め、「極刑を望む」と公判で繰り返し発言した被告だが、自分の母親にあてた手紙には厳刑を恐れる気持ちが書かれていた。
「少なくとも無期懲役。怖い」。白い縦書きの便せんには、黒ボールペンで被告の小さく丁寧な文字がつづられている。昨年12月3日の接見禁止解除後、母親に2、3日おきに届いた手紙の中で、畠山被告は自分の受ける刑を予測し「怖い」と吐露していた。
畠山被告は昨年10月31日の被告人質問で「米山さんの望む通りの刑。極刑を望む」と初めて発言した。母と弟が初めて接見した同12月4日、被告はドアのすき間から様子をうかがってなかなか近づかず、最初に「母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」と口にしたという。「家族を思うと死刑になっていいのか二つの心を持っている」と揺れる心を公判で話したのは同12月21日。今年1月25日の死刑求刑は想定していたようで、接見した家族にも取り乱した様子は見せなかったという。
被告の母親あての手紙には、家族への思いがつづられている。母親が温かい弁当を差し入れた際には「母さんの弁当が一番おいしい」と書かれ、「彩香へ」と書かれた手紙には母親が用意したクリスマスケーキを「食べるんだよ」と記してあった。豪憲君の遺族にも謝罪など10通以上の手紙を送ったが、遺族は「サル芝居」と被告への怒りを強めている。
事件から間もなく2年。豪憲君の遺骨は秋田県能代市の寺に納められ、行く先が決まらなかった彩香ちゃんの遺骨も昨年春、ひっそり同市の別の寺に預けられた。彩香ちゃんの小さな遺骨は本堂に安置され、生前好きだった黄色い花を供えるなどして住職夫妻が手厚く供養しているという。【田村彦志】
毎日新聞 2008年3月15日 2時30分
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鈴香被告の「怖い」という気持ちは正直なものでしょう。死にたくない、という気持ちがあるのは正直なことでしょう。また一方で、ご遺族の許しがたいという気持ちも当然です。これはこの二者間の問題です。
でも、ご遺族の自然な感情に便乗して、怒りを発散させるマスコミやマスコミに煽られる大衆が死刑を要求するのは行き過ぎです。死刑はいまのところ合法的であるとはいえ、やはり一人の人間を殺すことですから。犯罪者とはいえ、人の生き死にを大衆感情で決定してはならないと思うのです。
殺人の償いはいつでも応報の死であるべき、というのにはわたしは同意しかねます。むしろ人を殺すに至った自分の行為と心情を明らかにし、そこから殺人という犯罪に至らせる人間の行動原理というものの例としてファイルして、どうすれば人間をそこまで追い込まないようにするかというレベルで対処していくのも、償いのあり方ではないでしょうか。
というのは人をして人殺しに至らせる要因というものには必ず、社会のあり方が拘わっていると思うのです。たとえ、それは個々の家庭の問題で、自制心を働かせることができない未熟な人間に育ったことがあるとしても、それはそのように育てられるに至った事情があるはずです。そしてその事情には必ず、社会、あるいは世間の構造というものが関わっているのです。
そういう事情が野放しになっていてはまた同じような事件が起こるのではないでしょうか。ところがもし、世の中のあり方、その社会のアイデンティティに関わるあり方というものに、なにか欠陥があったということが判明したとき、大衆はそれを変えていこうとするでしょうか。それともそれを維持したまま、躓いた人を処理してしまえという全体主義的な思考で片付けるでしょうか。
人間は「伝統」とか「しきたり」というものであればとにかくそれを維持しようとします。でもそれは社会の構成員である私たちのエゴではないでしょうか。世の中を良くしてゆくためには絶えず変革、調整が必要です。それを差し置いて、表面に出てきた「腫れ物」だけを切除してしまえばいいと言うのは、怠惰であり、短絡的であり、エゴイスティックだと思うのです。犯罪者を死刑にするだけでは本質的な対処にはならないと思います。まして被害者感情に便乗して大衆がマスコミと一緒になって死刑を要求するというのであれば、それも一種の殺人だと思います。
死刑を廃止しよう、と主張する人々の主張の根拠として、「冤罪が起きやすい構造」が指摘されています。これは今の日本では特にいえることかもしれません。死刑が執行された後で、無罪が判明した場合、死刑判決を下した裁判官たち、検察官たちは応報として死刑にされるでしょうか。マスコミはそのときも世論を煽って、冤罪で人を殺した彼らを死刑を要求するでしょうか。さらに裁判員制度が実施されるようになると、民間人の審理によって死刑判決が下される場合も考えられます。もしその判決に性急さがあって、実は冤罪だったとしたら、その裁判員たちは応報として死刑に処されるでしょうか。応報として人を死刑にするという考え方は、やはり野蛮であると思われないでしょうか。わたしはそう思います。
(野村キャスター前説)
NHKの世論調査で福田内閣の支持率が40%を割り込みました。日銀総裁人事で厳しい決断を迫られている福田政権の行方にはついて、影山解説委員がお伝えします。
(影山解説委員)
今晩は。1ドル100円突破という円高の波が日本を襲う中、福田総理大臣は、金融政策の最高責任者さえ思うように決められない厳しい現実に直面しています。内閣支持率の低下にも歯止めがかからず、政権発足から半年足らずで、早くもポスト福田をにらんだ動きが出始めています。福田政権のどこに問題があるのか。今夜は、この問題について考えて見たいと思います。
まず、政権発足以来の内閣支持率はこうなっています。今月は38%。初めて4割台を割り込んで、不支持との差は10ポイントに開きました。政権がすぐに揺らぐような数字ではありませんが、支持率が下がる一方であることが不安材料です。こちらをご覧下さい。福田内閣を支持しない理由として、「実行力がない」という理由を挙げた人の割合が37%。半年で政権発足直後の3倍以上に増えていることも気になります。
では、「実行力」に疑問符がつくのはどこに問題があるのでしょうか。福田内閣が抱えている第1の問題点は、日銀総裁の人事で見た通り、参議院の与野党逆転という負の遺産を引き継いで、政策を思い通り進められない、厳しい制約があるということです。
福田総理大臣はねじれを克服する手段として、民主党との大連立に未練を残していました。しかし、大連立に関わった自民党側のキーパーソンの一人は、「小沢代表の姿勢が変わって、その可能性はほとんどなくなった」と言っています。確かに、予算案や税制関連法案の衆議院での採決以来、小沢代表は対決姿勢を改めて強めています。
参議院で不同意になった日銀総裁の人事。この問題でも、福田総理大臣は、小沢代表とのトップ会談で事態が打開されることに期待をつないでいました。しかし、小沢代表は最後まで動きませんでした。大連立で民主党内から強い批判を浴びたことがいまだに尾を引いているからです。その意味で、今回の動きは、大連立絡みの期待が潰えて、福田政権がますます手詰まりになって来たことを浮き彫りにしました。
この後には、税制関連法案を今月中に成立させるという一番の難問が控えています。ポイントは政党間協議の枠組みを作れるかどうかです。対決姿勢を強める民主党を引き込むためには、道路特定財源の問題で政府案を大胆に修正する覚悟も必要でしょう。与党内をどこまでまとめられるか。福田総理大臣の指導力が問われます。
福田内閣の第2の問題点は、経済政策がよく見えないと言われることです。福田内閣を裏から支えて来た自民党の有力者に支持率低下の理由を質したところ、「国民は自分たちの暮らし向きを楽にして欲しいと思っているのに、そこに政治の光があたっていない」。そういう答が返って来ました。これは、NHKの世論調査で見た「福田内閣に最も期待すること」です。確かに「景気対策」という答が増えて、トップの「年金改革」とほとんど並んで来たことが分かります。
円相場がきょうついに1ドル100円を突破。日本経済は、企業の業績回復が個人の家計に及ばないまま、先行きに陰りが見え始めました。食料品やガソリンなどの値上がりも家計を直撃し始めています。福田内閣が「予算の成立が最大の景気対策」と繰り返すばかりであることに対する批判も出始めました。
そうした中で、福田内閣にもようやく動きが出始めています。総理自ら、経済界に異例の賃上げ要請を行う一方で、内需拡大に向けた「新前川リポート」と呼ばれる、福田内閣版の成長戦略の策定に取り掛かりました。政府・与党は、平成20年度予算が成立した段階で新たな景気対策を打ち出すことも検討しています。輸出に依存した日本経済の構造を根本から変えようという力強いメッセージを打ち出せるかどうかがポイントです。
3番目の問題。それは政策路線です。これは、2番目の経済政策がよく見えないことの理由にもなっていますが、要するに、小泉政権以来の構造改革路線を引き継ぐのか、それとも方向転換するのか。そこがはっきりしないということです。
最近の出来事で見ますと、国土交通省が今の国会で法改正を目指していた、空港会社に対する外資の参入規制をめぐって、政府・与党内の意見対立が表面化し、結局、結論が先送りにされました。独立行政法人の整理合理化も、渡辺行政改革担当大臣が官僚軍団の激しい抵抗にあって迷走を続けました。前者は「規制緩和」、後者は「小さな政府」。小泉改革と安倍改革の2つの大きなテーマでしたが、それを、進めるのか見直すのか。福田総理大臣が決断を下す場面はほとんどありませんでした。
消費税の問題も同じです。来年からの基礎年金の国庫負担の引き上げに向けて、国民に正面から負担増を求めるのか。消費税を上げる前に、特別会計の中のいわゆる「埋蔵金」を探し出して財源に回すのか。衆議院選挙をにらんだ自民党内の対立が再燃しています。しかし、これも、福田総理大臣がどう考えているのか。立ち位置がよく分りません。
突然の安倍退陣を受けたいわば緊急避難として、党内のほとんどの派閥の支持を受けて生まれただけに、福田総理大臣は党内の対立は出来るだけ避けたいと考えているようです。しかし、経済政策ではっきりしたメッセージを打ち出すためにも、改革路線は継承なのか見直しなのか。論争をおそれず、しっかりした考え方を打ち出すべきだと思います。
以上見て来たように、支持率の低下は必ずしも一時的な現象とは思えません。福田総理大臣は、衆議院の解散・総選挙は出来るだけ先送りする考えだと言われますが、支持率の低下に歯止めがかからなければ、「解散しない」と言うより、「解散できない」ということになってしまいます。そうなれば、内閣の力がさらに削がれることになるでしょう。
しかし、いくら先送りしても、遅くとも来年の秋までには間違いなく衆議院選挙があります。支持率が2割台に落ち込めば、自民党内では、「福田総理大臣の下で選挙が戦えるだろうか」という声が広がるでしょう。ポスト福田の最右翼と見られる麻生前幹事長は、年金改革で民主党と連携可能であることをアピールするような論文を月刊誌に発表するなど、「次」を意識した活動を活発化させています。その一方で、地方分権を旗印に発足した「せんたく議連」に超党派で100人を超す議員が結集したり、反小沢色の強い自民党と民主党の議員が合同で韓国を訪問したりと、次の選挙の後の政界再編を視野に入れた動きも広がり始めています。
こうした動きは、どれも、福田内閣の求心力の低下につながります。福田総理大臣の周辺では、政権基盤を強化するため、予算成立後の4月に内閣改造を行って、今度こそ自前の内閣を作ることも検討されました。しかし、予算関連法案の審議が控えている中、内閣改造を断行するだけの余裕はないという見方が今では支配的です。
福田内閣は、衆参のねじれという、政策を思い通り進められない重い足かせをはめられています。従って、政権の実行力を歴代の内閣と同列で論じることは出来ないと思います。しかし、日銀総裁人事でも、早くから世論を味方につけて、民主党が反対しにくい状況を作り出すような積極的な戦略も取れたのではないでしょうか。
「自分は、人知れず、着実に前進して行くタイプだ」。福田総理大臣は周辺にそう漏らしています。しかし、今は、人知れず静かに前進して行けるような生易しい政治情勢ではありません。自らが目指す政治を、具体的な政策として、国民にもっと力強く語りかける。そして、世論の支持を背景にねじれ国会を引っ張って行く。そういう気迫を示せるかどうかが、政権の行方を大きく左右するように思います。
NHKオンラインより
投稿者:影山 日出夫 | 投稿時間:23:56