恐怖と不安の心理学(フランク・ファランダ=著

清水寛之・井上智義=監訳 松矢英晶=訳)



「これが恐怖のパラドックスである。バクテリアのもつ死に至らしめる力と戦う努力は、バクテリアをさらに強力なものにしただけだった。そして、新しい耐性株が見つかるたびに、人類は新しい、これまでのものよりさらに強力な抗生物質を考え出す。比喩的な暗闇を根絶やしにしようとする努力は、実際には暗闇をさらに強力なものにするだけである。」


‥これって、抗生物質に対する、耐性菌の話ですよね

耐性菌ができて、さらにそれにも対抗できるような、強力な抗生物質を作り出す


‥→さらに耐性菌ができる


‥まさに負のスパイラル?とは違うか‥恐怖のパラドックス(?)

だから、あまり抗生物質を、出さなくなった、のかな?


あと、中途半端に(菌を)生かしておくと、それで耐性菌ができるとか‥だっけ、結核だか、肺炎だか何かで

最初抗生物質の効くそれだったのが、処方された薬を飲み切らずにいたら、残った菌が耐性菌に変異したとかで、今度は抗生物質の効かない結核になってしまったとか



‥これと関連して、ここで話は変わるのですが


自分の普段の生活とかにおいての“成長”とか“課題や試練との戦い”みたいなことでも、同じような面があるんですよね


‥自分なりに成長しているんですよ


色々なことありすぎて大変で、すごくしんどくて、でも頑張ってる、頑張ってきてるよなー‥と自分でも思うんです正直‥誰もそんなことは言ってくれないし、むしろ「それでかよ、自分に甘いだけじゃねーの」みたいに思われそうだけど‥でも頑張ってると、思います


‥正直、本当に犯罪者とか、引きこもりみたいにならないだけ偉いと思ってる


→でも‥でも現実は、周りの社会からは、それを上回るスピードで“試練”や課題など、“攻めてくるような出来事”は起こる


「強くなったよな」「成長したよな」‥と思っても、まあ実際、成長はしているにしても、強くなったにせよ

‥ただかえって、その「強くなった、成長した」ことによって、逆にまた新たな「課題、試練」を引き寄せたりもする‥


それまでは、「より弱いとき」には味方してくれたり、守ってくれたりした人が、今度はそれをしてくれなくなったり、かえって「敵」みたいになったりとか


‥もう、一体どうすりゃいいのか、みたいな

結局、いろいろなこと見えていないと、次々に色々巻き込まれたり、良くないことも回避できなかったりするのだが‥


‥それで色々“勉強”とかもするわけだし、当然そうやって経験から学ぶこともあるわけだが


‥ただその“勉強”も、多分私を大きく膨らませるもので思い浮かぶことが“読書や勉強”にあたるわけだが

‥それも「恐怖のパラドックス」の一環とも言えるようなのだ(でも自分にとって大事なことでもあり、やめるという選択肢はないが)


まあ、読書とかは、「好きでやっていること」でもあるのでそれは



「‥私たち個人すべてにもっとも直接的に触れる恐怖のパラドックスである。私たちは、自分の恐怖のなかで溺れないように自分自身をフグのように膨らませる。そしてそうしているあいだずっと、私たちは本来の自分からどんどん遠ざかっていく。」



‥まさにいたちごっこであり、“恐怖のパラドックス”なのだ


‥では、今回はこんなんで👋