こんばん智です

沢山のお友達のブログでリブログされているのを見かけて、私も参加させて頂こうと思います。
6年前の3月11日。あの日の事は毎年記事に書かせてもらってますが、今でもあの激しい揺れ、恐怖とパニック・避難生活は忘れる事が出来ません。
ショッピングモールで仲良しのママ友と偶然会って、話をしながら2人で駐車場を歩いていた時。
晴れていた空が曇りだし、強い風が急に吹き。
友人と「何だろうねぇ」なんて話していた所、あの強い揺れに襲われました。
駐車中の車があり得ない程左右に揺れて、私達は悲鳴をあげながら抱き合ってましたが、揺れの大きさに立っていられず座りこみパニック状態に。
周りの人たちの悲鳴・ショッピングモールから飛び出してくる人たち。まるで悪夢の様な・・・。
その頃、病気でダンナが入院していたので不安な気持ちを抱えながらも、中学校を卒業して友人の家に遊びに行っていた長女・小学校にいる次女と息子を迎えに。
信号機が止まった道路を相当な時間をかけて走り。ボコボコになったアスファルト。崩れ落ちた塀。瓦が落ちた家々。
橋は段差が出来て走行不能に。
橋を渡らないと帰れないママ友は何時間もかけて遠回りして子供達が待つ小学校に辿り着いたと後で連絡がきました。
家の中は割れた食器類やガラスの破片、棚から飛び出した物が散乱して、玄関の靴箱が入り口を塞ぎ、靴のまま入り持てるだけの荷物を持って実家に避難。
姉妹家族も合流して、皆で持ち寄った食料や懐中電灯、ローソクで余震に怯えながら過ごした日々。
ワンセグで観た、東北の被害の大きさ・変わり果てた光景にショックを受けた事。
宮城県や福島県に住む、友人達に電話やメールが繋がらず心配で堪らなかった事。
食料やガソリンを手に入れるのに何時間も並んだ事。水を汲みに小学校に行った事。
蛇口をひねれば水やお湯が出てくる。スイッチを押せば電気やテレビが付く。当たり前のことが当たり前じゃなくなるんだって。
沢山の尊い命と家族や友人を奪った津波。
6年経っても行方不明の方々が沢山いる事。
今も避難生活を余儀なくされている方々。
3.11を風化させる事なく、次の世代に伝えていきたいと思います。
今朝、自宅から撮影した空は綺麗な青空でした。
涙の跡が乾いたら また呼び掛けるから 答えてよ まだ見ぬ明日へ
一人じゃないと気付いたんだ 輝くあの扉 共に目指そう
嵐さんがしやがれで歌ってくれたのを観た時、涙が止まらなかった。
頑張ろうと思えた曲です。
プロジェクトに参加させて頂き、本当にありがとうございます。
